初めて彼女を見たのは雪が降る冷たい日だった。

自分達を率いる大将、審神者である彼には妻子があった。その子というのが十代の後半に差し掛かっているであろう娘子で、時折この本丸でも姿を見掛けることがあった。と言っても本当に姿を見掛けるだけで、話したことも声を聴いたことも無く、ただ、凛としたその横顔と椿のように赤い唇は、景色を銀色に染め上げる雪ととても似合うと思っていた。きっとこれが歌仙の言う雅、とかいうヤツなのであろうと勝手に思い込んでいるほどだ。俺は戦場育ちだから、あまりよく分からないんだがな。

大将は厳格な人で、おそらくこの時代で言うと古風で前時代的というのか、とにかく厳しい人である為、世間話など滅多にしないし当然のことながら家族について語ることもない。初めて顔を合わせた時に「娘と妻が家事を手伝いに来ている」と告げられたのみだ。その少ない情報だけで、時折見かけるあの娘子が大将の娘なのであろうと解釈しているのだ。当然演練や出陣についても厳しく、普段の生活の事細かなところに至るまでそれは変わらない。ただ審神者としての実力や統率力は確かであったから、誰1人として彼に反抗する者はいなかった。むしろそうしてくれていた方が、俺は闘いやすいし実力もついていくものだと思っていた。


相も変わらず寒さが厳しい冬、大将の娘、お嬢に関連するちょっとした出来事があった。初めて彼女を見掛けてからおよそひと月程だったと思う。出陣を終えて手入れを待つ刀剣に応急手当を施し、救急箱を持って医務室に帰る途中だった。何処からか言い争うような声が微かに聞こえる。もし誰か刀同士が諍いを起こしているのであれば止めねばならないと考え、医務室へ向かっていた足は自然と声の聞こえる方へ向いていた。
声の主達に近付くにつれ、言い争いをしている片割れが大将であり、言い争いは大将の書斎から聞こえていることが判断出来た。ただ、もう一人の声の主が誰だか分からない。聞き覚えのない、自分と比べて遥かに高い声。もしや新しい刀か?と思考を巡らせつつ、大将の書斎の襖へ近付こうとした時だった。ドカッという鈍い音を立て、目の前の廊下に襖扉とお嬢が現れた。咄嗟に後ろに飛び去り良く観察してみると襖扉はお嬢の背中の下敷きになっており、部屋の主に突き飛ばされた勢いで襖扉ごと廊下に倒れ込んだことが分かる。そしてその部屋の主と言えば、俺達の大将である。

「お、おい、大丈夫か?えっと……お嬢」

慌てて倒れ込んだお嬢(と襖扉)に近付き声を掛ける。そういえば名前すら知らなかったのだと気付き、咄嗟に普段自分の中で勝手に呼んでいる呼び方で呼んでしまった。お嬢と呼ばれたことに特に不審がる様子もなく上半身を起こしたお嬢の頬は赤く腫れ上がっており、おそらくは大将に殴られたのだということが判断出来た。お嬢は俺の言葉に返事はせず、自分を殴り飛ばした相手を睨み据えながら立ち上がりさっさと去ってしまった。あの頬の腫れ具合、きちんと手当すべきものだしちょうど俺は今救急箱を持っている。

「お嬢、ちょっと待ってくれ。その頬手当てするから少しだけこっちに来てくれないか」
「あんな奴放っておけ、薬研藤四郎」

小さくなる背中に声を掛けてもお嬢が戻ってくることはなく、代わりに大将の冷たい言葉だけが返ってきた。大将はそれだけ言うと外れた襖扉を廊下に立て掛け、部屋に戻ってしまった。何があったか尋ねてもどちらも答えてくれそうには無いし、俺は部屋の中で2人に何があったかも分からないままその場を後にすることになった。お嬢がちゃんと頬の手当をしているか、親子関係が上手くいっていないのか、懸念は残ったままだった。


次にお嬢に出会ったのはあの事件から約ひと月後、やたらと冷え込み朝から雪の降り積もる寒い日だった。
部隊長であった俺は出陣を終えた後、戦果の報告をしに戦闘着のまま大将の書斎へ向かった。凍てつくような寒さは晒した脚や頬へ突き刺さり、痛いほど冷えている。早く報告を済ませ風呂に入ろうと決め、足早に書斎へ向かう。誰も居ない廊下を歩く自分の足音だけが、静寂が包む本丸に響く。皆部屋で各々内番に励んだり暖をとっているのであろう。炬燵で団欒する兄弟達を思いながら歩いてる時、ふいに鼻を掠めた鉄の匂いに足を止める。間違える訳が無い、飽きる程に嗅いでいるその匂いは血液であると容易に判断することが出来た。何故平和であるはずの本丸でその匂いがするのか、もしや時間遡行軍が此処にまで?と刀に手を掛けながら警戒して静かに歩みを進める。しかし血の匂いはしても時間遡行軍の気配を感じることは出来ない。では何故だ?考えながら進んで行くと大将の書斎に近付くにつれ鉄の匂いが濃くなっていくことが分かった。もしや、大将の身に何かあったのではと、急ぎ足を進める。静まり返った書斎の前の引き戸に冷たい風がびゅうびゅうと吹き荒び、ガタガタと音を立てる。息を殺し書斎の襖に近付き、刀を構えながら一気に襖を開け放した。

まず目に飛び込んできたのは荒された室内だった。机は倒れ書類が散らばりめちゃくちゃに散らかっており、跳ねた血飛沫を浴びて赤い斑点を刻んでいる。倒れた屑籠からはゴミが溢れて床を散らかしており、割れた鏡の破片が外の光を浴びてきらきらと反射している。その中心で倒れた大将の首元は一際赤く、部屋を赤く染めたのは大将の血であることが容易に理解出来た。倒れ込んだ大将の前には時間遡行軍でもなく、刀剣でもなく、彼の娘であるお嬢が力無く座り込み肩で息をしている。

「……た、いしょう、お嬢、一体何が……」

抜いた刀を鞘に収め、声を絞り出しながら2人に近付く。驚愕を押さえながら大将の手を取り脈を確認するが、一足遅かったようで、冷えた手からは生命を感じることは出来なかった。お嬢の方を見ると右手に鏡の破片を握り締めており、手と共に真っ赤に染まったそれはぬらりと赤黒く光っている。返り血を浴びたであろう身体にはところどころ打撲痕や擦り傷があり、首には絞められたような痛々しい痕が残っている。

「……お嬢、大丈夫か?とりあえず話は後で聞くとして、手当てをさせてくれ」

自分でも驚く程冷静にお嬢に声を掛け、床に転がっている救急箱を取ろうと立ち上がった時、お嬢が掠れた声で「薬研、藤四郎」と呟いた。初めてお嬢に呼ばれる自分のその名にどきりとしつつも、冷静を装いお嬢の隣に再び屈む。

「どうした、お嬢」

なるべく優しい声になるよう心掛け返事を返すと、お嬢は破片を離し俺の方へ身体を向ける。真正面からお嬢を見たのはこれが初めてであり、真っ直ぐに自分を見据える視線から目を離せないでいると、お嬢は唐突に俺を抱き締めた。咄嗟のことで反応出来ずにいると、お嬢は俺の耳元で軽く笑い、

「       」

俺の刀をするりと抜き、転がる大将の首元目掛けてそれを思い切り突き立てた。鈍い音が静まり返った部屋に響き、大将の首元には赤い傷が増える。お嬢は刀を1度引き抜くと再度それを振りかざし、大将の首元に突き立てる。

「お嬢!やめろ!」

ハッとしてお嬢の腕を掴み、動きを止める。手首を強く握ればお嬢は抵抗せずに刀を離し、再び床へとへたり込んだ。そしてゆっくりと俺へ視線を合わせ、穏やかな微笑みを浮かべた彼女は嬉しそうに言った。


「これで、共犯だね」


白い肌に映える椿色の唇と妖しく輝く返り血から、目が離せなかった。










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