story | ナノ


▼  V 

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「マルコ先生!」

漸く追いついたのは、通い慣れた数学準備室の前だった。生徒たちの教室のある棟とは渡り廊下を隔てているここは、しんと静まり返っている。時折遠くから聞こえる笑い声が余計に静寂を強調した。

「あぁ、お前かい」

ちらりとこちらに目をやったマルコ先生は驚いた顔のひとつも見せず、まるで普段通りだ。唯一違うところといったら、スーツの左胸につけた紅白の花章くらいなものだ。今日で最後だと息巻いている自分とは、全く別次元にいるようにマルコ先生は飄々とした態度を崩さない。
準備室の鍵を開ける音。ガラガラと鳴る扉。
鍵についているふざけたキーホルダーは、私が以前冗談でつけたもの。
そんな些細な日常の一つ一つに目を、耳を持って行かれてしまう私はやっぱりかなり重症だと思う。

「どうした。入らねェのかい?」
「は、入る、ます」

廊下に立ち尽くしたままの私を、マルコ先生が振り返る。
私の言葉に、ふっと小さく笑った横顔に釘付けになった。
好きです。私は貴方が。

いつものくるくる回る椅子に腰掛けた先生は、スーツのポケットを弄って煙草を取り出した。紫煙を肺一杯に吸い込んでふぅーと吐き出す。

「え、何してんですか。煙草?」

その仕草はとても自然でうっかり見逃しそうになるけど、ここは学校で当然ながら禁煙だし、私も先生が煙草を吸うのを見たのは初めてだ。ふざけて抱きついてみたりした時、ふいに煙草の香りがすることがあったから、知ってはいたけど。

「なんか新鮮」
「そうかい」

「でも見つかったら面倒くさそうですよ。いいんですか」
「まぁ今日はいいだろ。生徒の門出ってのは教師にとっても感慨深いもんだからな」

分かるような分からないようなことを言いながらマルコ先生はくるりと椅子を回して、立ったままの私を見上げた。煙を避けるように片目を薄く閉じたまま、私の全身をまじまじと眺めるようなマルコ先生の視線に、たじろいだ。

「な、なんですか」
「あァ、お前の制服姿も見納めかと思ってよい」

「なにそれセクハラ、…ってそれじゃあなんか、これからも会うみたいじゃないですか。…え、会ってくれるんですか?ほんとに?」
「なに浮かれてんだい。誰もンなこたぁ言ってねぇよい」

「…じゃあ期待させるようなこと言わないでよ」
「期待したかよい。そりゃあ悪かった」

私の反応を楽しむように、マルコ先生は目を細めてくつりと笑った。マルコ先生はいつもこうして、のらりくらりと期待させて、突き落とす。

「先生って結構性格悪いですよね」
「お褒めに預かり光栄だよい」

「生徒の前じゃさわやかで素敵なマルコ先生で売ってるくせに」
「処世術ってのを身に着けてンだ」

「私も生徒ですけど」
「あァ、知ってる。でもな生憎、俺のモットーは目には目をってやつだからねい」

「歯には歯を、ですか?なにそれどういう意、」
「…エース」

「え?」
「エースはお前に惚れてるだろう。お前はアホだから気付いてなかったかもしれねぇけどよい、授業中も休憩時間もなにかってーと二人でいちゃいちゃじゃれついてよい、頭は撫でるわ、抱きつくわ」

苛立たしげに舌打ちする先生は酷く怒っていて、淡々とした口調が逆に怖い。

「散々迫っといて、服まで脱ぎやがって。ここは学校だぞ?教師辞めさせる気かい。手ぇなんざ出せるわけねぇだろうが。挙句、卒業したら諦めるだ?ふざけんなよい」

「せ、先生?」
「アン、」

マルコ先生は座ったまま、人差し指をひょいひょいと動かした。呼ばれているのだということは分かるけど、今だかつて見たことのないマルコ先生の様子に、思いもしない言葉に、私は驚いて動けない。その場に立ち尽くしたままの私に「チッ」マルコ先生は舌打ちを零して煙草を灰皿に擦りつけた後、おもむろに立ち上がった。向き合うようにした先生は長身だから、見上げないとその顔を拝むことはできなくて、逆に言えば私が上を向かないと先生から私の顔は見えない。これ幸いと俯いた。

「アン、聞いてんのかい」

ドキドキと鳴る心臓は、嬉しさよりも戸惑いが、戸惑いよりも怖いという気持ちが断然勝っていた。どうしよう、どうしよう。
床を見つめる私の頭に降ってきた声は、少し呆れを滲ませていた。伸びてきた手が顎に触れて、上を向かされる。

「怖いかよい」
「…うん」

「大人をからかうとこういうことになるンだ。覚えとけよい」
「!からかってなんて、」

「ないってぇのかい?お前は分かってねぇなぁ、いいか、大人ってのはお前が思ってるよりもずっとガキで、狡賢いんだ。生徒だから手を出せねぇのをいいことに、好きだのなんだのと好き勝手言って、散々もてあそんでくれてよい。学生の青春ごっこに巻き込むんじゃねぇ」
「ごっこって…私は本気で好きなの!私は、先生がっ」

好き。
小さく呟いた言葉にマルコ先生は「っだからお前は」途中で言葉を切って深い溜息を吐いた。

「卒業したら終わらせるっつうやつのどこが本気なんだよい」
「本当は諦められないよ。忘れられるわけないけど、でも先生は全然振り向いてくれないし、だから諦めなきゃって私は」

なんで伝わらないんだ。こんなに好きなのに。
まるで私の気持ちがニセモノだとでも言うように、本気じゃないと繰り返すマルコ先生に腹が立って、無性に悲しくなった。

「…好き。先生、私は本気だよ?」

俯いたまま口にした言葉は涙声になってしまった。

「あー、よい」

また舌打ちをした先生は困ったように、あーと零した。少し見上げると、マルコ先生は途方に暮れたようにがしがしと頭を掻いていた。

「先生?」
「諦めさせるつもりだったんだが、」

「え?」
「改めて好きだの言われたら、途端にこのザマだ。参ったねい。自分で煽って墓穴掘ってりゃあ世話ねェよい」

「どういうこと、ですか?」
「俺ぁとっくにアン、お前に惚れてるってこった。気付かなかったかい?好きだなんだっつうお前を突き放す風に見えて、でもお前が諦めちまわねぇように気にしてよい。お前が数日ここに来なかったら、どうしたのか、やりすぎちまったかっていちいち気にして。授業に行きゃあ呑気にエースとじゃれてやがるし。かと思ったら何食わぬ顔でまたひょっこり現れて好きだ好きだって喚きやがって。んなもん落ちるに決まってんだろうが」

どうしよう。どうしよう。嬉しい。
先ほどまで散々怖い顔をしていたマルコ先生は、突然目の前でしょぼくれだした。

「せ、先生可愛、」
「煩ェよい」

「先生、好き好き好き、好き」

嬉しくて、恥ずかしくて。冗談めかして好き好きと連呼した。マルコ先生はそんな私を見たまま一瞬躊躇するように固まった後、そっと抱きしめてくれた。徐々に力が込められる腕から大切に想ってくれているのだと伝わってくる、そんな気がした。
ふいに抱きしめる力が緩んで、どちらからともなく視線が合った。近づいてくる先生の顔に、そっと目を閉じた。

「ん?」

唇に触れるとばかり思っていた弾力は、頬に落ちてきた。ちゅっというリップ音に不満げな視線を向ける。

「知ってるかい?卒業式ってのは名ばかりで実際高校が終わるのは3月31日だよい」
「え、それまでお預けってことですか?なにそれ律儀すぎ」

折角両思いになったのに。っていうか今こそまさにそういう雰囲気じゃないか。何故、しない。っていうかしてよ、キス。
不服だと口を尖らせるとマルコ先生はにやりと笑った。、

「…その顔、嫌な予感しかしないんだけど」
「そうかい」

マルコ先生は頭を包んでいた手をおもむろに動かし、制服のスカーフを器用に解いた。服の上からさりげなく胸をまさぐったりなんかして。

「せ、んせい。これもう手出してないですか?」
「服着てるだろい」

そういう問題?なにその謎の線引き。
少し乱れた制服から覗く胸元に、マルコ先生は顔を落として「っ!」赤い痕をつけた。

「…マーキング、しとかねぇとな」

もう他のやつに盗られるんじゃねぇかとやきもきすんのは御免だ。
そんなことを言って、咲いたばかりの赤い花を満足げに見下ろして指でなぞる。
その横顔がすごく格好よくて、私はくらくらと欲情した。
胸元をなぞる長い指にそっと触れる。

「先生、今、シよ?」
「チッ…やっぱお前はアホだよい」

もうどうにでもなれ。
やけになったのか、箍が外れたのか。一瞬で男の目になった先生は、あっという間に私を教室の床に押し倒した。
激しい仕草なのに頭を打たないように手のひらで支えてくれている辺り、優しいなぁ、好きだなぁなんて。そんな風に考えてしまう私はきっと一生貴方に溺れ続けるんだろう。



【先生、大好き】


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