story | ナノ


▼  Y

[ name change ]


「よいしょっ、と」

ぴかぴかに磨き上げたリビングを眺めてよしと一人頷く。額に浮かぶ汗を拭いながら、ドラマにでも出てきそうだななんてことを考えた。
我が家は広い。所謂高級住宅街と呼ばれる一角にある新築の一軒家は、いつまで経っても自分の家だという実感が湧かない。マルコさんの収入や地位からすれば身の丈にあっているのかもしれないけど、私はきっと場違いだ。
下町の小さな工場の一人娘。それが私だ。ただ父の町工場は規模は小さいとは言え、その分野では全国シェアの半分を占めるほどの技術力を持っていた。日本にはそういう小さな会社がいくつもあって、この国の土台を支えているのだ。
私が今ここにいるのは、いろいろな偶然やタイミングが重なっただけだ。不況の煽りを受け父の町工場は経営が苦しかった。父の技術を天下の白ひげグループは必要としていた。結果、吸収合併という名の買収が行われた。そしてマルコさんとの縁談が持ち上がった。
縁談を持ちかけてきたのは白ひげグループのほうだった。いくら技術力があるとはいえ、所詮小さな町工場だ。何故わざわざ婚姻関係を結んでまで関係を強固なものにしたかったのか、私は未だに腑に落ちない。しかも相手は白ひげグループの実質No2と言われているマルコさんなのだから、尚更。

「ま、考えてもしょうがないけどさ」

断るなんて選択肢は端から存在しなかったのだから。
洗濯機が洗い終わったぞとピーピー音を立てた。主婦の仕事に終わりはないのだ。ぱたぱたと小走りで脱衣所に行って、洗濯物を取り出す。
ガシガシと掴んで籠に入れる。掴んで、入れる。どんどん入れる。無心で入れる。
脱衣所は蒸し暑い。拭ったばかりの額から汗が零れた。

「…私、何やってんだろ」

時折こうして我に還る瞬間がある。夢から醒めるように、不意にハッとするのだ。
例えば、マルコさんがスポットライトを浴びて輝くドラマの主役だとしたら、私はきっとその他大勢のエキストラAですらない、ただの雑用スタッフなんだろう。今だって手にしてるのはマルコさんのパンツだ。こんなヒロインがいるだろうか、否いない。いてたまるか。



「急な話であんたには酷かも知れねぇが、一度考えてみちゃアくれねぇかい」

老舗の料亭の、豪華な懐石料理を挟んでそう言ったマルコさんを思い出した。立場的に言えば頼み込むべきは此方だろうに、真剣な顔で頭を下げたマルコさんに私は面食らった。

「もし一緒になってもいいってンなら、幸せに、するよい」

思いがけない展開に何も言葉を紡げずにいた私に、マルコさんは言ったのだ。幸せにすると。

何不自由ない生活。大きな家。食卓には自家製の野菜が並んで、どんなに遅くなっても食事は家で摂る旦那。幸せじゃないのかと聞かれれば、幸せだと答えるだろう。それでも私は首を傾げるのだ。こんなに小さかっただろうかと。子供の頃、クレヨンで描いた私の未来は、画用紙になんて到底収まりきらない程の幸せの中で輝いていた。私はドレスを着たお姫様で、まだ見ぬ王子様と手をつないで楽しそうに笑っていた。
あの頃の私が今の私を見たらどう思うんだろう。
何不自由ない生活。大きな家。会話の弾まない食卓に、空回りする私。

「お前が何してようが、俺ァ一向に構わねぇよい」

私はただ笑いたかった。
愛する人と手を取り合って、顔を見合わせて笑い合いたかった。

プルルルル
電話が鳴った。

「こんにちは白猫宅急便です!…なんつって」

サッチからだった。

「お届け物なんだけどよ、え?違う違う本当だって。おう、んじゃ今から行くな」

ねぇ、今だから言えるけどね。
あの日あのタイミングで電話をくれた貴方の、受話器越しの明るさに、私は本当に救われたの。

【あの日想い描いた幸せ】


prev / next



[ back to top ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -