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二週間のお試し体験も終わり、本格的に通い始めて数日。トレーニング後のお喋りは日増しに長くなって、帰りはどんどん遅くなっていった。
そんなある日、ジムから帰ると家に明かりが灯っていた。

「どこ行ってたんだい」
「あ、うんごめんなさい。今日出張じゃなかったの?」

慌ててリビングに入ると、マルコさんはソファに座っていた。

「来週に延期になった。メールしたんだがねい」
「ほんとだ。ごめん。すぐ何か作るね?」

スーツを着たままで、帰って来てそのまま座りましたといった感じだ。いつもならすぐに部屋着に着替えるのに。なんとなく違和感を感じて首を捻る。

「マルコさん今帰ってきたの?」
「…あァ」

やっぱりちょっと変。違和感の原因を探して部屋を見渡したところで、見慣れないものがリビングの机に置かれているのに気がついた。携帯電話だった。ちょうどマルコさんの座っている真ん前にちょこんとそれだけが乗っかっている。普段家では携帯なんて滅多に出さないのに。

「もしかして結構前に帰って来てた?」
「いや、ついさっきだ」

「そ、っか。じゃあすぐご飯作るね。ごめん」
「あー今日はどっか食いに行くか?」
「…あ、うん」

珍しい。マルコさんは外食があまり好きじゃない。ごめんなさい。頭を下げると、マルコさんはちらりとこちらを一瞥した。リビングから出るとき、小さなため息が聞こえた。それきり一度も振り返らない大きな背中に続いて家を出た。携帯はリビングに置かれたままだった。



**
***
****

「どこ行ってたんだい?」

車の助手席に座って暫くした時、信号待ちのタイミングでマルコさんが不意にそう切り出した。

「あ、えっとあの…ジムに」
「ジム?お前が?」

嘘だろうとばかりに目を丸くするマルコさんについ苦笑いが零れた。なんで運動が苦手だとバレているのか。忙しいマルコさんとは一緒に出かけること自体殆どないというのに。

「そんなに驚かなくても…そりゃ私は異様に身体が硬い上に、鈍くさいけど」
「残念ながら否定はしてやれねぇよい」

あ、笑った。

「?、何だよい」
「ううん。何でもない」

驚いた。こんな風に笑うマルコさんなんて、いつぶりだろう。

「しかしそんなに頻繁なら夜道が危ねぇな。昼間行きゃあいいじゃねぇか」
「えっと、それは…」

ごもっとも!おっしゃる通りです!
当然の疑問に、私は口篭った。なんで。なんでって…

「…ヨガ!夜の部にはヨガがあるの」
「昼はねぇのか?」

アリマス!

「夜の部のトレーナーさんのほうが教えるの上手いらしくて…」
「あー仕事帰りのOLをターゲットにしてんのか」
「そうそう」

なるほどねい。すっかり信じ込んだマルコさんにジクリと胸が痛んだ。咄嗟に浮かんだのは、年下で生意気なくせに、優しい眼差しで笑うあの人だったから。
窓の外に視線を逃がして、流れ行く町並みを追うことで話を切り上げた。音楽もラジオもかかっていない車内に沈黙が下りたけど、これ以上この話題を続けるくらいなら、このほうが断然いい。

「俺が出張ン時はいつも行ってんのか?」

やっぱり今日は変な日だ。
いつもは無口なマルコさんがよく喋る。

「毎日ってわけじゃないけど、最近はそうだね、結構通ってる」

もしかして。もしかして何かに気付いたのかもしれない。疑ってるんじゃないだろうか。だから執拗に質問を重ねてくるんじゃないか。
動揺した。ちらりと隣を盗み見ても、マルコさんは前を向いたままハンドルを切るばかりで、まるで表情が読めない。

「メール入れろい」

数秒の沈黙を置いて返ってきたのは、至極短い言葉だった。

「出張中でもそれくらい見れる。夜遅くまで出歩こうが勝手だが、家に着いたっつう報告くらいは入れとけよい」

冷たいわけじゃない。でも暖かさもない。
いつもこうだ。マルコさんはいつまで経っても、私を他人のように扱う。近づけば近づくほど、目には見えない壁のようなものを感じるのだ。夫婦なんだから、家族なんだからと私は結婚して以来、この距離を打ち破るべくあらゆる作戦を練って実行した。でも近づいてみてもよくて小さく笑う程度で、大抵はこうして突き放される。

「報告したら何してもいいの?」

−ねぇ、私のことなんてどうでもいいの?−

「あぁ。俺がいねェ時にお前が何してようが、俺ァ一向に構わねぇよい」

好きにすりゃあいい。マルコさんはそう言って言葉を切った。
自分が家に帰る時さえ家にいればそれでいいと、そう言われたのだと理解した。外食嫌いなマルコさんだから、もしかしたら食事さえあればいいという意味かも知れなかった。会社のために見合いを受けて、籍を入れて。マルコさんにとって、この結婚は業務の一環だったのかもしれない。なんだ。…なんだ。薄々感づいてたけど、本当は最初から気付いてたけど。やっぱりマルコさんは私のことなんて愛してなかった。
そう思ってみたら、今まで必死に作り上げてきたささやかな幸せは、全て虚構の家族ごっこだったように思えた。

「…そっか」

再び下りた沈黙にそっと目を伏せて、窓の外を眺めたら、街灯がやけにキラキラと揺れて見えた。


【悲しいなんて感情を抱くほどの絆なんて、きっと端から築けちゃいない】
滲んで揺れる街並みは決して、涙のせいなんかじゃない。


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