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▼ 君だけを想う、長い秋の夜

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「ビール買って来たよ。安かったの」
「んー俺もつまみ買っといた」

アンが買ってきたそれは俺のお気に入りの缶ビールで、俺が買っておいたこれも、アンが好きな青いラベルの裂けまくるチーズ。

「じゃあ乾杯しましょ」
「ははっ何にだよ」

テレビに向かって左側がアンの定位置で、右が俺。このソファは俺が形を選んで、色はアンが決めた。何がいい?笑いながらそう返すアンはパリッとしたジャケットを脱いで、髪をゆるく束ねる。首を少し傾けるそのしぐさも、いつも左の耳の下で髪を束ねるということも、俺は全部知ってる。
元、彼女だから。

「じゃあ俺とお前の謎の友情にってことで」
「あぁー浮気男と振り回されたか弱い乙女にってこと?」

「ちょアンそれひでぇ!まだ言うのかよ」
「いつまででも言うわ。死ぬまで言い続けてやるんだから」

死ぬまで、言ってくれるならそれもいいかもしれない。
俺とアンは随分長く付き合っていた。これからもずっと一緒にいるもんだと思っていたし、俺はそれを望んでいた。
たった一度の浮気。こう言ったらアンは怒るにちがいないけど、俺にとってはほんの些細な出来心だった。俺はアン以外の女を抱いた。一度だけ。
アンは怒らなかった。ただただ、泣いた。泣いて泣いて、そして一言だけ言った。

「私、もう無理」

二度としないと何度誓っても、アンが首を縦に振ることはなかった。頑なに拒絶するアンに俺まで泣けてきて、最後は二人でわんわん泣いた。


「ほんと若かったわよねぇ、私たち」
「あーそうだなぁ。二人でティッシュ一箱使い切ったもんなぁ」

「あらやだ、ヘンタイ」
「へ?いやいやいや涙でってことだろ、ヘンタイはお前だっての」

お回りさーん、ここに不審者がー。立ち上がった##NAME1##がわざとらしく口に手を当ててそう言いながら笑う。ついでのように窓を開けた。暑くもなく寒くもない風が鈴虫の音色を運んで来る。

「鈴虫って実は鳴いてるんじゃなくて、羽をこすり合わせてるんだぜ?」

自慢げに言った俺に、まだ制服姿だったこいつがえ、キモいと可愛げのないことを言ったのは何時のことだったか。

「秋と言えば焼き芋じゃん」

だから芋を焼こうと真顔で言い切ったこいつに付き合って近所の親父に怒られたのは何時だったか。


「あの日も秋だったね」

窓の外を見ていたアンが顔だけで振り返って笑う。その姿はもう立派な大人の女で、きっと町に出れば振り返る男は一人や二人ではなくて、でもその笑顔は昔のままで。俺は曖昧に返事とも取れない音を返した。
あの日とは俺達が友達から恋人になった日のことで、同時に恋人から友達になった日のことでもある。そういう類の思い出話に花が咲く時、アンはいつも笑顔だ。至極楽しそうにあの時のあれがイヤだったーなんて、相当な時間差を以て不平不満を暴露するもんだから、俺はいつも冷や冷やして密かに反省する。もし、仮に万が一1%の可能性でも、アンとまたやり直せる日が来るかもしれないから。

こちらに向き直ったアンが、下を向いてくふくふ笑った。
あれはものすごく嬉しいことがあった時のアンのクセ。
俺がすげー好きなあいつのクセ。

「なんだよ、昇給でもしたわけ?キャリアウーマン様は」

俺はビールを片手にソファに凭れたまま、そんなアンを茶化して笑った。

「あのね?サッチ、」



すぅ
隣から聞こえる穏やかな寝息。疲れていたのだろう。アンはソファに座った体勢のまま眠りこけてしまった。きっと目が覚めたら終電を気にしてさっさと帰るに違いなくて。
でも、今日は。今日だけは。起こさなくてもいいだろ?昔よりほんの少しだけカサついた指先に触れ、そっと包んだ。手のひらからじんわりとぬくもりが伝わってきて、指が情けなく震えた。

「あのね?サッチ、私結婚するの」

鈴虫の音色が部屋に満ちる。
本当は分かっていた。いつかこんな日が来ることなんて当の昔に分かっていた。少なくとも彼氏ができたと聞かされた時に俺は気付いていた。
でも分からないふりをした。分かりたくなかった。

元彼。友達。
どんな括りでもいいから、この微妙な距離でもいいから、アンの隣にいたかった。
視界が滲むから目を閉じたら、暖かくて、でももう二度と訪れない日々が脳裏に浮かんで。

「俺ってば超情けねぇ」

そんな自分を笑い飛ばそうとしたけど、うまくいかなかった。



ただ、
【君だけを想う、長い秋の夜】
燃え盛る夏でもなく凍える冬でもない。
その中間に取り残された俺はきっと、中途半端な秋そのもの。




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