Before Short | ナノ


▼ あーじゃあ、そうする?

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「…さん、クザンさん」

開け放った店先からふんわりとした秋風が入ってきて、古びた本の頁をめくる。
下町にあるここ青雉古書店もすっかり秋。夕日の傾く空にはぽっかり鰯雲。
昼寝というには遅い、いうならば夕寝とでも呼んだ方がいいかもしれない惰眠を貪っていると、肩口にとんと触れる暖かいの感触。

アンだ。
客なんて大して来ないこの店のたった一人のアルバイト。

「もーなんで寝てるんですか?ちゃんと店番してくださいよ」

アンがほとほと困りましたといった風にため息交じりの言葉を呟く。その柔らかい響きに穏やかに微笑んでいるだろう顔が容易に想像できて、緩む口許を隠すようにしれっと寝返り。
起きるのが惜しいなんてこんなおっさんが言ったら犯罪か?
確かアンとの歳の差は…あー忘れた。まぁ結構アレだ。

「しょうがないですねぇ」

起こすのは諦めたらしい。
ぺらり、ぺらり。規則的に頁を捲る音が聞こえる。

古い書物は定期的に頁を捲ったり日光に当てて虫干しをしなければ、じわりじわりと劣化する。好きで集めた本を適当に並べて始めたこの店にアンがやってきたのは1年前。古書が好きなのだと目を輝かせたアンにじゃあ働いてよと声を掛けたのは、完全なる下心。ボインちゃんでもセクシーでもないけど、ふわっとしたアン独特の雰囲気は二言三言話しただけでするりと心に入り込んで、運命の相手ってのはこういうやつかねぇと柄にもないことを思った。
かと言って別段手を出しているわけでもない。がっつくだとか、一歩踏み出す勇気だとか。この歳になればどうにもうまく表せない。おっさんという生き物は複雑で繊細で臆病なのだ。

あー眠い。
アンが来たならいいか。
そもそも昼からずっと寝入っていたことなんて棚に上げて本格的に目を閉じた。




夕飯の匂いがどこからともなく漂ってくるのどかな通り。
オレンジの空と、スーパーの帰りだろう手を繋いだ親子。
その通りを一本脇に逸れるとある、知る人ぞ知る古書店。
開け放たれた入り口の脇にはいつもよく分からないものが置かれていて、今日は何故かススキがあった。

店長のクザンさんは自分の趣味に偏った本ばかりだと謙遜するけど、確かな目で集められたその品揃えは愛好家たちの間では非常に有名だ。ふらりといなくなったかと思うと、現存しているのが奇跡的な書物を持ち帰ってきたりする。ちなみにかなりの確率でその小脇にはコンビニの雑誌とおでんを抱えている。

クザンさんは不思議な人だ。
この前なんて、真剣に本を見つめているから何かと思ったら「アンちゃん見てよこれ、この子おっぱい見えそうじゃない」なんて言いながら水着姿のグラビアアイドルを見ていた。まるで観察するようにじっくり眺めながら「スーパーダイナマイトボイーン」なんて呟くその口調は、熱視線とは正反対に全く興味がなさそうで、私は毎度笑ってしまう。

今日もまたバイトに行くと、クザンさんは居眠りをしていた。ご丁寧にアイマスクまでしているあたり、店番をする気など鼻からないのかもしれない。

幾重にも積み重なった本で埋め尽くされたカウンターに突っ伏している大きな背中をゆさゆさと揺する。一瞬身じろいたから目を覚ましたと思ったのに、くるっと反対を向いてしまった。
絶対、起きた。
不貞寝か。

子供みたいだ。可愛い。
具体的に何歳かは教えてくれないけどきっと十歳は年上だろう男の人なのに。こんなガキの私が貴方を本気で好きだと言ったら、クザンさんは笑いますか。

ぺらりぺらりと頁をめくる。クザンさんから言われたわけではないけれど、無秩序に塔と化した書物を見て私が自主的に始めた。
まるで冒険だ。何十年の時を経て此処に辿り着いた書物は表紙だけでは中身が皆目見当もつかない代物も多い。一頁一頁めくるごとに浮かび上がる文字や絵は、まるでこの時を待っていたかのように途端に色を帯びて言の葉を伝える。一冊一冊に沢山の人の面影があって、その物語や伝承は面白くて興味深くて。どれを手に取っても楽しい。
クザンさんが、選んだものだから。

「アンちゃんじゃないの。今日頼んでたっけ?」

作業というか読書に没頭しているとクザンさんがむくりと起き上がった。伸びをしたら骨がボキボキ。イタタなんて背中を摩っている。今しがた起きた風だけど、本当はとっくに気付いてたくせにと思うとまたそこが可愛く見えたりなんかして。

「どうでしたっけ?私も覚えてなくて。でもどっちでもいいですよ。バイトじゃなくても今日はここに来たかったんです」

コーヒー飲みますか?と言いながらサイフォンをセットする。返事を待たないのはクザンさんの返事はいつも一緒だからだ。
サイフォンなんて今時古風で、もしかしたら私の友達は知らないかもしれない。マッチでアルコールランプに火をつける。このアルコールは薬局で売ってるなんてことも、みんなが聞いたら驚くだろう。熱せられた水がポコポコと小気味いい音を立てる。

「そりゃあまた仕事熱心だねぇ。あ、もしかしておじさんに会いたくなったとか?」
「はい、そうですよ。クザンさんに会いたくなって」

「あららーアンちゃんってばもの好きだねぇ。お、コーヒーもういいんじゃない?」
「ですね」

素直に気持ちをぶつけてみても流されてしまう。やっぱりダメか。きっとクザンさんには素敵な女の人がいるに違いない。普段はこんなにだらだらとしてるけど、本当は行動力のある格好いい男の人だから。
私じゃダメ、なんだよね。

「今日月見だってねぇ、アンちゃん知ってた?」
「そうなんですか?あ、だからススキ?」

なるほど!コーヒーをカウンターに置きながらそうかそうか、と納得。クザンさんは面倒くさがりのくせにこういう行事は意外と楽しむのだ。

「ススキを軒先に吊るしとくと一年間病気しないんだよね」

病院要らずだね、なんて相変わらず興味なさそうにズズッとコーヒーをすすったクザンさんが熱っと呟いた。猫舌なのに何故かいつも同じことを繰り返す。クザンさんが「熱っ」と言うと、私はいつも「猫舌ですからねぇ」と返す。

「じゃあ吊るさなきゃいけないんじゃないですか?」
「んーまぁね」

吊るすの面倒くさいんだな。
あとでやってあげよう。

コーヒーの香りに包まれた空間に心地いい沈黙と頁をめくる音。
ふとクザンさんが口を開いた。

「そういやアンちゃん今日ヒマ?」
「月見ですか?」

今思いつきましたと言わんばかりの提案に私は苦笑い。
クザンさんは一人でも行事を楽しめるタチだから、本当にただなんとなく口にしたんだろう。

「そうそう月見。病気嫌でしょ。おじさんと一緒に願掛けしましょうや」
「はい。あ、でも今晩台風だって天気予報で言ってまし、」

あ、しまった。
思いつきでも折角誘ってくれたのに。

「え、そうなの?あーじゃあダメか。残念」

残念だなんて思ってもないくせに。
そう思うとツキリの胸が痛くなって、いっそのことあたって砕けてみようかな、なんて思った。


「もし帰れなくなったら…泊まっていってもいいですか、なんて」

ありったけの勇気を振り絞った台詞はやっぱり自嘲気味の笑いで終わって。

「え、」
「や、あのその、」

クザンさんの方なんてとても向けない。
開いた本に視線を落したまま、言葉にならない言い訳を口にする。


数秒後にクザンさんが言った言葉はやっぱりどうでもよさそうで。

でももしかしたら、
何かが変わるきっかけになるかもしれない。




【あーじゃあ、そうする?】
貴方と私、精一杯の愛情表現。




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