▼ 触れてキスして抱きしめたい。その衝動こそ愛なのです
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私だってもう子供じゃないし、彼氏だっている。だからいつ何が起こってもいいくらいには心構えもあるつもりだ。何にって…ナニに。
そりゃあクラスのイケイケなあの子たちみたいに具体的な知識があるわけじゃないけど、ドラマのそういうシーンなら何度も見たことあるし、映画だったらもうちょっとすごいシーンだって見たこともある。だから、それなりに心構えはあるんだ、私だって。
ローの横顔とか、唇とか、すらっと綺麗なのにやっぱり私とは違う手とか。そういうのを見る度に、自分との違いを知る度に、私の心臓はキュンと締め付けられるみたいに苦しくなって、触れたいって、そう思う。
女の子がそんなこと考えるのって変なのかな?でもこんな気持ちになるのはローだからで、ローが好きだからで、だから自分じゃどうしようもないし、むしろ我慢する必要ないんじゃないかとか、我慢だなんてそれじゃあまるで男の子みたいじゃないかとか。
色々、色々考えて、私一人で考えて、結局ローはなんにもしないで頭をぽんと撫でるだけでバイバイって帰るんだ。
ねぇロー。
私、ローとキスしたいよ。
ローは電車で三駅離れた進学校に通っていて、彼氏と彼女という関係になった日から一日も欠かすことなく校門の前で待ってくれている。下校時間は同じ筈なのに、なんで?と聞いたら帰りたい時に帰るに決まってるだろうとローは真顔でちょっとよく分からないことを言った。
「ローごめん。遅くなっちゃった」
「また居残りか?」
「違いますー。掃除当番だよ」
人でごった返す靴箱で靴を履き替えてグランドに出ると今日もまた人ごみの奥に見慣れた姿があって、私は無意識に早足になる。グランドから校門へと続く人だかりの中でも際立って人目を引いているのは、他校の制服だからという理由だけではきっとなくて。
スラリと伸びた長身に黒髪。耳に開いたピアス。
緩めたネクタイと、伏せた目に掛かる長い睫毛。
肩に掛けた鞄は味気ない学校指定の黒い皮のやつなのにローが持つと途端におしゃれに見える。
不思議だよねとこの前ナミに言ってみたら、肩を竦めてご馳走様と呆れられた。
「行くか」
「うん」
ローを見てきゃあきゃあ言っている女の子たちや何故かローを睨みつけている男の子たちをすり抜けて、私たちは歩き出す。
ローは手を繋いだり、繋がなかったりする。
今日は繋がない日らしい。
がっかりした。
ローがどんなタイミングだったら手を繋いでくれるのか。規則性はあるのかないのか。いまいちよく分からない。ただ、私が密かに取った統計によると、雨の日と街で一番大きなショッピングセンターに行く時だけは絶対手を繋いでくれる。だから私はすごく嫌いな雨の日が好きになって、人酔いにもめげなくなった。
一歩前を歩くローの大きな背中にドキドキする。背中なんて誰だって同じはずなのに、ローだけは特別。すごく、かっこいい。
やっぱり私はどうしても手が繋ぎたくて、でも自分から繋ぐなんてとても出来なくて。手の行き先が所在なくて仕方がないので、両手でぎゅっと鞄の取っ手を握りしめた。
「ねぇロー。今日はどこ行くの?」
「特に考えてねぇな。お前どっか行きたいとこあるか?」
「え、私?」
今日、ナミが言ってたんだ。
付き合って一ヶ月経ったら彼氏の部屋に行ってもいいのよって。
「ね、ねぇロー?!」
「くくっどうした?んな気合入れなくても聞こえてる」
ローが此方を振り向いて笑った。
目を細めて片眉を下げて。
私はローのこの笑い方が大好きだ。まるでしょうがねぇやつだなと言うみたいな、ちょっと困ったような笑顔。
シャチ君やペンギン君に向ける悪いヤツみたいな笑い方じゃないこれは、私だけに見せてくれる顔なんだって。ベポにも似たような笑顔を見せるけど、それともまたちょっと違うんだって。
これはこの前ペンギン君がこっそり教えてくれたことで、席を外していたローは平然とコーラを飲むペンギン君とそんなペンギン君を真っ赤な顔で見つめている私を見て、迷わずペンギン君を叩いた。全力で。あの後、ペンギン君はコーラを吹き出してそれがシャチ君の顔に直撃して大変なことになった。
「どうしたアン。戻ってこい」
考えごとをするとぼーっとしてしまうのは昔からのクセで、ローはそんな状態になった私を一頻り眺めたあと言うのだ。戻ってこいと可笑しそうに。今日もまた同じようなやり取りをして無事ローの隣に戻ってこれた私は、何の話をしてたんだっけと首を傾げてあぁと思い出した。
そうだ、これからどこ行くかって話してて、それでナミが。
「ロー、あのっあのね?」
−今日が何の日か知ってる?−
「は?」
いきなり何の話だ。
ローの顔にはばっちりそう書かれていた。
「…あっ。ううんなんでもないっごめん忘れて!」
そりゃそうだ。分かるわけない。いや、覚えてるわけない。今日で付き合ってちょうど一ヶ月だなんて。
一人で盛り上がって私、バカみたいだ。
私ばっかり。
私ばっかり、好き、なのかなぁ?
その場で立ち止まってしまった私は、鞄をぎゅっと握り締めたまま俯いた。
「血清療法の日」
「…へ?」
「E.Tの日」
「…ちがっ。そうじゃなくて」
ローの手がすっと伸びてきて「あ、」私の手をふわりと包んだ。ちょっと冷たくてかさかさしてて、大きくて綺麗な男の子の手。
そのまま私の手を引いてローはまた歩き出す。
手から腕、肩と辿るように顔を上げて、そっとローの横顔を見つめる。
見上げた先で不意にローが此方を振り返って、視線がぶつかった。
ローが笑った。ふわりと笑った。
「俺がお前を攫った記念日」
「っ…!」
息が、止まるかと思った。
目の前にあったのは今までで一番優しい笑顔で。
幸せそうで、嬉しそうで、私は泣いた。
あぁ人って幸せすぎると泣くんだね。
その涙は悲しいとかつらいとかいうんじゃなくて、言うならば胸から溢れ出た貴方への途方もない愛しさなのかもしれない。
「…ロー」
無意識に手が伸びた。気がつくと大きな背中に腕を回していた。
好き。
好き。
大好きだよ。
言葉じゃ到底伝えきれないから。
想いを込めてぎゅっとぎゅっと抱きついた。
今信号待ちだとか。周りにいっぱい人がいるとか、隣のクラスの誰かがきゃあきゃあ叫んでるとか。
そんなことどうでもよかった。ローが抱きしめ返してくれるから。
腕の力が緩んで、二人の間にほんの少し距離ができる。
見つめ合って、
小さく笑って、
初めてのキスをした。
【触れてキスして抱きしめたい。その衝動こそ愛なのです】
「今日は俺んち泊まるか」
「うん…へっ?!」