男が重々しい扉から姿を現した時、今の今までバカでかい部屋の床に座り込みながら仲間たちと談笑していたイーサン・ハントは、思わず口を閉じて男を見た。
 イーサンは今まで生きてきた二十数年間の間で人の本質を見抜く力はある方だと自負していたが、目の前の男からはなにも読み取ることができなかった。
 入ってきた男にざわつく周りの声を聞きながら、イーサンだけはしげしげと男を見つめた。そうしたのは、男がきっと自分たちと同じスパイだろうにも関わらず、――といっても、イーサンがスパイの経験を積むのはこれからなのだが――街中を歩く一般人たちとなんら変わらない風貌だったからだ。男はよく脚に馴染んだジーンズを履き、黒のレザージャケットを着ていた。
 男は床に座り込む数人の若者たち全員に視線を送る途中に一度だけイーサンと目線を合わせはしたが、それ以外は彼からの露骨な視線を平然と受け止めていた。偽ることの上手い男だ、とイーサンは思った。街でもごく稀にこういう人間に出くわす。年はいくつくらいだろう。二十代に見えるが、妙な落ち着きがある。
 腕を組んだまま自分たちを見下す男の無感動な瞳を見ながら、コイツは扱いにくそうな男かもしれないとはっきり思った。身長は170後半、くすんだ金の髪をした男などアメリカには何万人も存在するだろうが、男の底の見えない瞳が他とは違うとイーサンに理解させた。
 突如現れた男に困惑していた若者たちは、なんの言葉も発しない男に怪訝な視線を向けている。
 ざわつく若者たちの前に立ちながら今まで腕を組んでいた男の手が解かれ、右手が左腰に伸ばされる。男の目の前の床に座り込んでいた年若い男は、その動きには気づいていない。男はイーサンと目が合うと少し笑んだ。イーサンはその嘲笑するかのように歪んだ口元を見た時、全身の毛が逆立つような気がした。

「、逃げろッ!!」

 男の手に握られた黒々と光る物体の先は、年若い男の額に突き付けられている。ハッと息を呑む音を聞きながら、イーサンは、ああ畜生、と思った。あと数秒早く動けていたら、男の行動を阻止できたかもしれない。奴の動きは捉えられていたはずなのに、動くのが遅すぎた。ああ畜生、とイーサンはもう一度心の中で呟いた。
 銃口を突き付けられた年若い男は、突然の状況と、目の前の男から発せられる威圧感に完全に呑まれている。先程までイーサンと陽気に話していた姿はなりを潜め、顔を真っ青にし、体を硬直させていた。
 腰を中途半端に浮かしたままの状態だったイーサンは、拳銃を年若い男に突き付けつつも周りに注意を怠らない男をじっと見つめながら、この状況を突破する方法を考えた。ここにいる全員が一斉に男に飛びかかれば男を捕えられるかもしれないが、その場合ジャック――銃口を向けられている男。男が現れる前に自己紹介は済んでいる――は犠牲になるだろう。
 トリガーにかけられた男の指が微かに動く。マズい、そう思った瞬間、背後の重々しい扉が開く音がした。
 男の意識が一瞬扉に向かうのを感じ、イーサンは考える前に飛び上がるように体制を立て直すと男に向かって駆けだした。イーサンは男だけを見つめていた。獲物を狙う狼のように。
 男に襲い掛かろうとした時、ふっと口元を歪めた男の口から音が紡がれた気がした。止まってしまったかと錯覚するほど短い時間の中で、イーサンは獲物は誰なのかを思い知った。
 真っすぐに男の元に向かっていた体は気づくと地面に押さえつけられ、片腕を捻りあげられていた。ジャックに向けられていた銃口が自身の頭に押し当てられる。パァン、と鳴り響く銃声と床に広がる赤い液体に、周りが息を呑む声が聞こえた。



 拳銃を突き付けられたことで真っ青な顔をしていたジャックは、パァンという鼓膜に痛い音を聞きながら茫然としていた。発砲時特有の煙の匂いが鼻につく。それがなお、イーサンは撃たれたのだという事実をジャックに理解させた。

「やぁエージェントトンプソン、今回の新入りたちは君のお眼鏡にかないそうか?」
「やぁ、ジム。鍛え甲斐がありそうな奴らばかりだよ」
「はは、補習授業が大変そうだな、アルフ教官」

 先程まで自身の命を握っていた男は、扉から突然現れた初老の男と親しげに話し合っている。なんだこれは、とジャックは思った。イーサンの腕を捻っている状況は、親しげな談笑の雰囲気とはかけ離れている。
 くすんだ金髪の男は「おっと」と声をあげ、イーサンの拘束を解く。その際関節が軋んだことで発せられた苦痛の声を聞き、そんなまさか、とジャックは思った。男は確実に銃を撃っていた。イーサンの頭から流れ落ちる血がそれを物語っている。スラム街で稀に同じような光景を見た。頭から血を流し、倒れ伏す人間。けれど頭を貫かれた人間が悔しさを滲ませた表情で立ち上がる光景は初めて見る。
 ジャックはイーサンに向かってなにか話しかけようと思ったが、喉が張り付いたかのように言葉がでなかった。先程陽気に談笑していた時とは別人かのように険しい顔をしたイーサンに気後れしてしまったからかもしれない。
 乾いた喉を潤すためにごくりと唾を飲んだジャックは、恐々とした様子で拳銃を持った男を見上げた。
 しかし予想に反し、男はにこやかな笑みを浮かべている。拳銃を突き付けられていた時の妙な威圧感など微塵も感じさせないような人好きのする笑みだった。
 ジャックは男の手に握られた拳銃に視線を向け、次に床に溜まった血だまりを、それから男から少し離れた場所に立ちながら鋭い眼差しで男を睨みつけているイーサンを数回ほど順番に見た。その瞬間、男と目が合った。彼の好奇心は途端に萎み、再び銃口が自身に向くのではないかと危惧した。男が一瞬笑んだような気がした。

「これが気になるか?」

 と男は言った。楽し気な声だった。
 ジャックは男の目を見たまま頷いた。男の手に持たれた銃が、巧みな指使いでくるりと回る。ジムと呼ばれていた初老の男が愉快そうに笑った。

「これはIMFの化学開発部で開発された拳銃だよ。銃声や匂いはまるで本物だが、弾はでない。代わりに血液に似た液体が放出されるんだ。主に疑似死にみせかける道具だよ。驚いたか?」

 ジャックは緊張しながらも小さく頷いた。何度も拳銃を見てきたが、本物の銃と見分けがつかなかった。

「まだまだこんなものは序の口さ。エージェントになればさらに最新鋭の道具を使えるぞ」

 男は拳銃を見つめながら茫然とするジャックにぱちりとウインクをした。彼の陽気な雰囲気に安心し、周りの若者たちは肩の力を抜いた。
 IMFという組織やエージェントという役職の大まかな説明を受けてはいたがそれでも拭えなかった僅かな不安が、期待に塗り替えられていく。

「これからは君たちがこれらの道具を使いこなすんだ」

 男の手の中でくるりくるりと回される拳銃から目が離せない。最新鋭の機器を使えるという言葉は、機械類に関して飽くなき探求心を持つジャックにとってなによりも心躍るものだった。

「俺の名はアルフ・トンプソン。今日から君たちの教官を務める。よろしくな」

 ジャックは真っすぐに男の顔を見上げた。男は力強い瞳をしていた。
 この人はすごい人だ。強くて、信頼感がある。

 期待に胸を高鳴らす若者たちとは違い、イーサンだけが疑心に満ちた瞳で男を睨みつけていた。



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