掴んだ手


「なぁ、ナマエ」

月の光を背に背負ったディオが此方を見つめていた。月光の眩い光が彼の顔に影をつくる。ディオはどのような表情で此方を見ているのか。僅かに見える唇の端が歪に吊り上っていることから、笑みを浮かべているのだと辛うじて分かった。

「自由になりたいか?」

囁きかけるような声が私の耳に届く。甘い響きを含んだそれは闇に支配された部屋に溶け込んでいく。
彼の立っている場所は輝きに満ちているというのに、一歩離れたベッドの置かれた此処にその光が届くことはない。境界線のようだと思った。醜く自由などないわたしと、何処へでも行ける彼とを別け隔てる境目。
「自由が欲しいか?」彼が問う。誘惑するかのように。

「じゆう、」

確かめるように小さく呟く。
それは強く切望していたもの。
手に入ることはないと諦めていたもの。

言葉を出すことにより、今まで曖昧だったそれがいやに現実味を帯びて私の中に流れ込んでくる。胸が張り裂けそうな、今すぐにでも泣き喚いてしまいたい気持ちになる。

「自由がほしいか」なんて、そんなの聞かれるまでもない。外は危険が溢れているとジョナサンは言う。不完全なわたしは、すぐにでも息絶えてしまうような恐ろしい場所なのだ、と。しかしそんな答え、見当違いもいいところだ。この部屋に充満する恐ろしい闇を知らないから、望むことなくはじめから光を手に入れているからこその答え。
わたしは知っている、光のない延々と続く闇のこわさを。
わたしは知ってしまった、外にあるであろう美しいものたちを。

「自由との代償に人間を捨てる覚悟があるか」
「…、」

人間を捨てる、覚悟。
それは今の自分を、ジョナサンを、すべてを捨てるということ。

「なぁ、ナマエ」

ディオは言う。艶をもった声で、わたしを誘うように。

「私と一緒に来る覚悟はあるか?」

月の光を纏った彼がわたしが横たわるベッドに歩み寄ってくる。先ほどまで光の届かなかったこの場所から闇が消えていることに気づいた。目に眩しい月明かりが差し込む。窓の外にらんらんと輝く妖しい満月。

「わたしを、」

腕を伸ばそうにも腕がない。彼の元に駆け出そうにも脚がない。
けれど彼は満足そうに、心底愉快そうにわたしを見下ろしていた。

「わたしを連れて行って」

彼の手に握られた禍々しい仮面をなにに使うのか、そんなことはどうでもよかった。それをわたしの顔に近づけながら、ディオは鬱蒼とした妖しい笑みを浮かべてみせる。
満月のようだ、とふと思った。

「今日からお前は自由だ、ナマエ」

野を駆ける姿を脳裏に浮かべ、わたしはそうっと目を閉じた。



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