始まりも終わりも君の手の中
牢に女を監禁してから一週間がたった。その間女は静かなものだった。今までの行いが嘘かのように。
はじめは微かな命乞いをしていた女も、三日もたてばなにも言わなくなった。ただ零れるような声を出し、痛みを与えられた箇所を庇うこともしなくなった。
虚ろな瞳で私を見つめているのだ。なんの感情も読み取れぬ瞳。私はそれを知っている。死んだものの目だ。濁ったそれ。
「……、」
虫の息になった女はみっともなく地面に転がっている。縄で縛られた手足は擦り切れて血が絶えず滲み出ていた。
「おい、」
女は宙を見つめたままだ。此方に視線を向けようともしない。
「、おい!!」
なぜだか泣き出したい気分になった。罵倒を浴びせかけ、子どものように泣き叫びたかった。そんな私の声にやっと気づいたのか、女の視線がゆっくりと此方に向けられる。口元に僅かに浮かべられている微笑を見た私は、思わず息を呑む。女のつくられたような笑みはたくさん見てきた。媚たような甘さを含んだ笑み。しかし今女が浮かべているのはそのどれとも違っていた。慈愛が篭っているようにも、困った子どもを見る母のようにも、苦笑を浮かべているようにも見えた。
「せんぞ、くん」
「、」
女の声は掠れていた。耳を澄まさなければ聞き取れない小さな声だった。
しんっと静まり返った部屋の中、私は息をすることも忘れ、食い入るように女のすべてを見つめていた。慈愛の篭った瞳の色、やさしい声、ゆるやかに笑みを浮かべた表情。
「天女、さま、」
口をついて出た言葉は無意識だった。しかし今の彼女にこそふさわしい言葉だと思った。今までの彼女の行いがすべて頭から抜け落ち、ただ頭を占めるのは目の前の彼女だけだった。
「ごめん、ね、」
「…私は、」
「…うん、わかってるよ」
「ぜんぶおもいだしたもの、」彼女は言う。申し訳なさそうに眉を下げながら。
「あなたはめちゃくちゃにしたんだ、学園を」
「…うん、」
「あなたの言う「愛している」は嘘でしかなかった…っ!!」
「、」
堰をきったように想いが溢れ出す。彼女は言った、「愛している」と。頬を染め、私を熱い視線で見つめながら。けれど私は知っていた。誰にでも愛を囁きかける彼女は、しかし誰も愛してなどいない。たとえ私でさえも。
彼女が愛していたのは違う私だ。彼女の中にもともと存在していた別物の『立花仙蔵』。いくら私がその言葉に応えようとも、彼女は私を本当に愛することなどないのだと。
「私はただ…っ」
"ほんとう"が欲しかっただけなのに。
「っ、」
「…天女さま?」
ごほごほと彼女が咳き込む。苦しそうに体をくの字に曲げている姿はか弱いただの女だった。体は痩せ細り、全身痣ができ、肌は紫色に変色している。きっと骨が折れているのだろう、右足は動かせそうにもなかった。
「ごめ、ね、」
「…ぁ、」
苦笑を浮かべた彼女の瞳に浮かんでいた温もりが消える。濁った瞳だ。死んだ者の目、だ。
「あ、ぁ、」
体の震えが収まらなかった。頬を濡らすこれはなんだろう。力のはいらない足を懸命に動かし、力なく地面に横たわる彼女に近づいていく。
「天女、さま、」
彼女はなにもこたえない。
開かれた目はなにも映してはいない。
彼女の体を抱え込むように抱き上げる。
力のない腕がだらりと私の腕から垂れ下がった。
「…あな、たは、」
口元に浮かんだ僅かな微笑は消えてはいなかった。彼女の表情は穏やかだった。体中の傷跡に不釣合いなほどに。
天女とはすべてを包み込むそんな存在だと、どこかで聞いたことがある。彼女はきっと今この瞬間に『天女』になったのだろう。そうして天に帰っていったのだ。彼女が元いた場所に。
いまだ温もりをもつ体を抱きしめながら、私は祈るように呟く。
「私が死んだらその時は、」
きっと、貴女のもとに。