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【素晴らしい会話文は『貴女の正義に溺れたい』のみちさんから頂いたものです】

92点。
手に持ったテスト用紙をじいっと見つめても、書かれている点数は変わらない。数学は得意科目だった。誰にも負けない自信もあった。

夕日がさす教室には誰もいない。外からは部活動に参加している奴らの声が聞こえる。この声の中に、あいつのものも混ざっているのだろうか。人を馬鹿にしたようなあいつの、必死になった声も。いつもは帰りのHRが終わったらすぐに帰宅するが、今日はそんな気分になれなかった。時計の短針はもうすでに5をさしている。今頃は家で勉強している時間だ。毎日の予習復習。それを欠かしたことはない。周りのクラスメートたちが部活動や遊びに現を抜かしている傍ら、俺はずっと努力してきた。すべてを犠牲にして、勉強というただ一つだけのものを。

椅子に座ったままテスト用紙を見つめていると、背後から僅かな物音がした。自身の思考に浸っていた俺は肩を大げさに揺らし、勢いよくそちらに視線を向ける。あ、と喉から声が零れ落ちた。今来たばかりなのか、それともずっと前からそこにいたのか。腕を組んで壁にもたれ掛りながら、人を馬鹿にしたような笑みを浮かべた御堂筋が愉快気な色を瞳に浮かべ俺を見つめていた。
思わず眉を寄せる。部活の途中で抜け出して来たのか、見慣れた学ラン姿ではなく、紫と白のユニホームを着ていた。奴が自転車競技部に入っていることは知っていた。なんたって京都伏見の自転車競技部は全国でもトップクラスだ。学校に置かれていたトロフィーを見たこともある。その事実は知っていても、こいつが部活動に専念している姿を想像することはできなかった。一見大人しいくせに、その瞳の中には強すぎるほどのなにかを持っているこいつ。口元に浮かべられた歪んだ笑みは強者のそれ。絶対の自信を持っている姿。俺はこいつが嫌いだ。心の底から。
俺の内心など分かっているのだと言いたげに、御堂筋は嗤う。目を三日月のように細め、俺を見つめながら。

「なあ、ほんまは主人公に成れへんってわかっとんのやろ?」

息が詰まった。なにを言っているんだと非難することも、奴の言葉を無視することも普段の俺なら容易なはずだ。なのに今は体が震えださないようにするのが精一杯で、目を見開いたまま奴を見つめる。御堂筋の口元がよりいっそう歪むのがわかった。絶対的強者、勝てない相手。そんな言葉が脳裏を過ぎり、ハッとして強く拳を握る。俺はなにを考えているんだ、こいつの口車に乗せられちゃいけない。何度もそう自身に言い聞かせる。うん、大丈夫、さっきは急に現れた奴に驚いただけだ。だから今吐いた息が震えているなんて、きっと気のせい。
先ほどの動揺を打ち消し、奴の目を真正面から睨みつけながら唸るように言葉を吐き出した。

「うるさいねん。モブが何言おうが響かへん」

そう、奴はモブだ。中ボスにもなれない、ただのモブ。俺の経験値を上げるためだけの存在。
冷静さを失わないようにしながら、冷ややかな視線を投げかける。これが虚勢なんてことはわかってる。奴の真っ黒な瞳に見つめられるだけで身が竦む気になるのは、きっとこの異様な空間のせいだ。俺たち二人しか存在しない、夕日で真っ赤に染め上げられた教室。いつもの、クラスメートが溢れる教室なら、こいつと俺は同等な存在なはずなんだから。いいや、同等なもんか。クラスから浮いているこいつは、きっと俺以下。いくらこいつが俺と並ぶくらい勉強ができようが、そんなの関係ない。友人もろくにいないこいつを見れば、分かりきったことじゃないか。

「賢い御堂筋翔ならわかるよなぁ?君のすべてをもってしてでも、勝つべき器とちゃう」

そうだ、こいつは俺の敵にさえならない相手。言葉に出すことでより強く自分に言い聞かせる。思わず手に力を込めると、手の中のテスト用紙がぐしゃりと音をたてた。92点のテスト用紙。きっとクラスで一番だと思っていた。クラスでトップをとるくらい、毎日の努力に見合う当然の結果だろう?けど俺は知っている。あいつが受け取ったテスト用紙に書かれた97の文字も、目を見開く俺をちらりと見るあいつの歪んだ口元も。いつもそうだ。たった数点の差、けれどその壁を越すことができない。目の前で俺を見つめながら嘲笑っている奴がモブだと何度言い聞かせても奴は俺の前に立ち塞がってくる。俺はこいつを倒さないといけないんだ。そうすることで俺の努力に見合う結果が得られる。俺は二番になりたいわけじゃない。クラスメートたちが当たり前のように手に入れているものを捨ててまで勉強に打ち込んできたのだから。
テスト用紙は俺の手の中でぐしゃぐしゃに丸まっていた。

「…………キモ」

奴は言う。心底楽しいものでも見るかのように俺に視線を向けながら。俺の中身全部を見透かすみたいに。口元に浮かんだ笑みは消えてはいない。なんだか馬鹿にされているような気がして頭に血がのぼった。こいつのこの笑みが嫌いだった。俺だけに向けるこの笑みが。
不愉快な顔を隠しもせず奴を睨みつけていると、御堂筋は大げさに肩を竦めてみせた。なにもかもが気に障る男だ。

「知っとる。でも付き合うキミも相当な変わり者やで」

俺の本心を知って尚愉快気に目を細める奴は、ちらりと俺の手に握られたテスト用紙に視線を向ける。思わずぐっと眉を寄せた。もしかしたら、こいつは知っていたのかもしれない。奴が俺よりよい点数を取るたびに俺が苦々しい思いをしていたのも、奴を倒すために毎日勉強に明け暮れていたのも。きっと目の前の男はそんな俺を見て嘲笑っていたのだろう。毎回敗北を味わい、下唇を噛み締める俺を横目で見ながら。目の前の男を倒すために脇目も振らず勉強していた日々も、奴に言わせれば、俺は奴に"付き合っていた"だけなのだろう。
日々敗北を味わううちに、分からなくなる時がある。もしかしたらモブは俺なのではないか、と。俺がモブだと言い聞かせていた御堂筋が主人公で、俺はただの悪役。そのほうがふさわしいんじゃないか?だって俺は何度戦っても勝てず、奴の前に立つのでさえ虚勢を張らなきゃ体の震えさえ抑えられない。

「な、物語の中心人物には成りゃせんのよ。せいぜい悪役やで」

奴は言う、すべてを見透かすような目で俺を見ながら。

「愛されることなんかないんよ」

その言葉が脳に届いた瞬間、強く握られた拳からふっと力が抜けた。

「それでええ」
「それでええ?」

答えるつもりなんてなかったのに、思わず口から言葉が滑り落ちた。愛されることなんかない、だなんて、奴に言われなくたってわかってる。いくら勉強だけに努力を注いだって、俺は奴に勝てない。それどころか、勉強ばかりで友人付き合いのよくない俺には親しい友人もいなければ、勉強以外にすることもない。愛されない、なんて今更だ。そんなのとっくの昔に知っている。きっと俺は御堂筋のことが羨ましかったのだ。すべてを捨ててまで勉強に打ち込んで、結局それさえも奴に勝つことができなかった俺と、部活も勉強も両立させて、日々を謳歌しているこいつ。それをこいつに言えば、馬鹿にしたような笑みを浮かべながら非難されるのかもしれない。俺が知らないだけで、奴は俺以上に何倍も、何十倍も努力しているのかもしれない。けど、もしそうだったとしても、俺は諦めきれないのだ。奴を倒すために、すべてを捨ててまで取り組んできた勉強に関してだけは。
体の震えは自然と収まっていた。御堂筋の目には今尚俺が持ち得ないなにか強いものが渦巻いている気がしたが、それも気にならなかった。奴は俺が主人公になり得ない、悪役止まりな存在だと思っているかもしれない。きっとそれは正しいのだろう。俺の瞳の中には御堂筋が持っているような強い意思なんてないし、奴の存在に劣等感を持っていた俺が主人公になれるわけがない。けれど俺は、たとえ主人公になり得なくとも奴を倒したいのだ。
なぜだか笑みが浮かんだ。歪に歪んでいるであろう口元は、奴が言う"悪役"に相応しいものに違いない。

「悪役らしく足掻いたろやないの。みっともなく人間らしく。愛なんてクソ食らえや。な、好きやろ?」

どれだけ頑張っても奴に勝てない俺は、きっと奴から見ればひどく滑稽でみっともないものなのだろう。常に俺を馬鹿にしたような笑みで見つめている御堂筋には、そんな俺の姿を見るのは愉快で仕方がないはずだ。けれど今はそれでいい。わらってられるのも今のうちだ。俺は今以上に努力して、いつかきっとこいつを倒す。主人公としてではなく、悪役として。

「…………ほんにキミは、」

今までの笑みが崩れ呆けたように俺を見つめていた御堂筋は、次いであきれた表情で顔を片手で覆っていた。予想もしていなかった反応に思わず此方も呆けてしまう。御堂筋のこんな表情はじめて見た。今までは嘲笑にしか見えない笑みや、俺を馬鹿にしたような表情ばかりだったから。
奴に嫌われているとばかり思っていた俺は、御堂筋が見せる柔らかい表情に困惑していた。
呆けた俺の顔を見て、御堂筋は疲れたような溜息を吐き出す。

「……頭良いんやから、全部わかってや」

奴の言いたいであろう言葉はなにひとつ分からない。けれど耳の先を少し赤く染め上げた御堂筋を見ていたら、思わず笑ってしまった。照れる主人公とそれを笑う悪役だなんて、おかしな話だ。



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