main | ナノ



「ねぇ、アルミン、神さまっていると思う?」

 彼女は微笑みながらそう言った。
 僅かに幼さの残る顔は、しかし彼女が醸し出す翳りのある雰囲気のせいか大人びて見える。
 真っ黒な髪は艶やかで、一度だけ東洋人かと尋ねたことがある。その時の彼女も今のように微笑むだけで、それが答えだと言わんばかりに口を閉ざしたままだった。
 彼女は自身のことについてなにも語らない。闇をとじ込めたような真っ黒な瞳を弓なりに細めたまま、ただ僕を見つめるのだ。

「…神さまなんているわけないだろ」

 求められているものがなんなのか分からず、僕は自身が思うままに言葉を発した。
 「カミサマ」と、言葉をもう一度口の中で転がす。彼女の口からその言葉を聞いた時はすんなりと受け入れられたそれは、しかし声を口に出すことで体の中を染み渡っていき、いやに不快な思いに苛まれた。心の中にどろりとした泥水が流れ込んでくるような感覚がして思わず眉を寄せる。

 そんな僕を見て笑みを浮かべるなまえがなにを感じなにを考えているのか、僕は一度も分かったためしがない。いつも微笑んでいる彼女の瞳の底の底、真っ黒に塗りつぶされたそこが本当は冷たく冷え切っているのを僕は知っている。

「神さまってね、ほんとうにいるのよ」
「…は?」
「神さまは人間の力を遥かに超えた存在なの」

 彼女はまるで子どもに物語を読み聞かせるように楽しげに言葉を紡ぐ。それが本当に楽しそうなものだから、僕はムッとして反論の言葉を発しようと口を開く。
 なにが神さまだ。そんなものがいるならこんな世界になんてなってない。僕も、エレンもミカサも、この世界に生きる誰も彼もが絶望なんて味わわない幸福な世界で怠惰な毎日を過ごしているはずだろう。
 躍起になって彼女の言葉を遮る僕に彼女は言う。「神さまはね、」と。

「神さまは私たちには理解できない考えをもっているのよ。私たちが感じる怒りも恐怖も戸惑いも絶望も神さまにとってはなんてことないことなの。もちろん命の重みだって私たちの価値観とは違う。だから人間は死ぬ。たくさん死ぬ。ごみを処理するみたいに。一斉に。けれどアルミン、それじゃあ人間が可哀想でしょう?いいえ、これも人間的な感情よ?神さまはそんなこと思わないもの。けれどいやに人間たちがあっけなく死ぬものだからそれに同情した別の存在が来世を作ったの。別の存在はなんでもいいの。この世界にも人間以外の動物がたくさんいるでしょう?牛や豚なんかの家畜や、巨人なんかも。それと同じよ。神さまの世界にも神さま以外の生き物がいるの。そうして生まれた来世はね、この世界じゃなかったり過去だったり未来だったりするんだけれど、そこは今私たちがいる世界なんかよりずっと平和で、ずっとずっと平和で、人の死はありはするけれど、その命が残虐に、一方的に奪われることなんて滅多にないの。夢みたいでしょう?巨人たちに蹂躙されるこことは大違い。だけれどね、アルミン、神さまだって時たま失敗してしまうことがあるの。いいえ、神さまは失敗なんてしないから、もしかしたら故意にかもしれないわ。でね、単調な作業に飽きた神さまは時折わざと失敗するの。そう、来世に生まれていた人間を、この地獄のような世界に生み落とさせるの。本来なら地獄のような世界から来世に生まれ変わった人間は記憶をリセットされるけれど、来世から巨人どもが蔓延る世界に産み落とされた人間の記憶はリセットされずそのまま。何度も何度も死んで生まれて死んで生まれてを繰り返すのに記憶は引き継がれ続ける。来世を一回体験したからか、もうあちらの世界には戻れない。はじまりの地を延々と巡る気の遠くなる時間を与えられるの。死にたいのに死ねない。死にたくないのにその命はあっけなく、暴力的なまでに一方的に奪われる。そんな人間が最終的にどうなるか、アルミンは知ってる?」

 淡々と、しかしよどみなく紡がれる言葉の羅列。それは一方では救済的で、一方では絶望的なものだった。
 この世界で絶望を味わい生きている人々にとって来世の世界はまるで天国のようなものだ。本当に来世があるんだとしたら、それはなんて幸せなことだろうか。僕たちは絶望を抱きながら死にゆくんじゃない、その先に希望があるのだから。
 しかし一方で、地獄のようなこの世界に囚われ続けることを想像するのはひどくおそろしかった。

「……、」

 言葉を失う僕をよそに彼女はくすくすと笑う。光のない瞳が僕を真っ直ぐに見つめる。

 そこにほんとうの絶望があるような気がして。

 それを理解した瞬間、僕の背に快感にも悪寒にも似たなにかが走り抜けていくのを感じた。彼女のことはなに一つ知らないというのに、すべてを知っているように思った。過去も未来も、すべて。
 暴力的なまでに一方的に希望を奪われた人間がいるとしたら、それは彼女のような人なのではないだろうか。
 彼女は緩慢な動作で僕に手を伸ばす。まるで母親に手を引かれる子どもみたいに。

「ねぇアルミン、」彼女は言う。

 微笑を浮かべる彼女は先ほどからなにも変わっていないというのに、その声に、表情に、諦めにも似たなにかが浮かんでいるように感じるのは何故だろうか。

「貴方だけはずっと傍にいてくれる?」

 僅かに震えた彼女の手をとる。

「馬鹿だね、」

 ほろほろと静かに涙を流しながら嘲笑する彼女が無性に愛おしかった。



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -