一年前、夏2



滝のような汗が流れ落ち、次々と地面に染みを作る。

額から流れた汗が目に入り慌てて目を瞑った。

『切原、ごめんな』

沢井の言葉が蘇る。

(‥謝って、ほしい訳じゃねーよ)

部活が終わって、他の部員を帰して一人で自主練をしていくと言った俺に、あいつは、俺もやってくよと言った。
それを無理やり帰らせた。
無理すんなよと、沢井は言った。
他にも何か言いたそうな顔をしていた。
いつもキレやすい俺のフォローをしてくれる奴。

呆れているだろうか、幸村部長みたいに上手く皆をまとめられない俺を。
気付いているだろうか、あいつらを先輩達と比べてしまうことを。

あの大会の後、一つ上の、あの化け物の様な先輩達は引退した。
まあ引退後もほぼ毎日部活に来てはいるけど。
ただ、全く干渉してこない。
練習方法に、俺のやり方に。「赤也が部長だろ」幸村部長はそう言ってにっこりと笑った。

俺が部長に決まった時、やっぱ俺しかいねーだろ、と思った。
それと同時に、なんで俺しかいねーんだよ、とも。

先輩達の記憶がでかすぎて。
なんで先輩達みたいに出来ないんだよ、と。
もっと言えば、なんでそんなに弱いんだよ、と。

幸村部長の真似をして、他の部員の指導をしようとしても上手くできない。なんか一年は俺を怖がるし。
そして自分の練習の時間が減る事にどうしようもないストレスを感じて。

立海のトップに立つ。
その目標は成し遂げてしまったけども、三強と、そう言われていたあの先輩達には結局一度も勝てなかった。

(くそっ勝ち逃げじゃねーかよ…)

あの壁が、大きく、立ちふさがったままだ。
越えてやる、越えてやる、越えてやる

乱暴に目を擦り、壁打ちの練習に戻った、その時。

「赤也!」

部室から七栄が出てきた。

「んだよ七栄」
「もう帰ろう」
「先帰ってろよ」

つーかなんで待ってんだよ。
七栄が待っていて、嬉しい反面どこかイライラした。
こいつも俺を駄目な部長だと、幸村部長にはかなわないと、そう思ってるんだろ。

「はあああ?」

七栄が急に大きな声を出してビクッと身体が動く。

「私今まで赤也待ってたのになんで先帰んなきゃなんねーんだよ。待ってた時間返せよ私はもう帰りてーんだよ」
「知らねーよ!勝手に待ってたんじゃねーか」

流石は俺の幼なじみ。なんて勝手な奴なんだろう

「俺もうちょいやってくから」
「つーか」

昔からこうだ。自己中で、言葉づかいは男みてーだし

「もうすぐ門、閉まるから」

その言葉にハッとする。
まだ空は明るいけど、そんなに時間が経っていたのか。

「今何時?」
「もうすぐ7時」
「‥悪りぃ、帰るか」
「おう」

七栄が投げて寄越したタオルを受け取って汗を拭う。

「充血してるよ」
「ああ、さっき擦った」
「目薬」
「ぜってーやらねー」

あんな、目に異物を入れるなんて出来るか!
出来てたまるか!

「赤也ー、目薬は怖くないよ」
「別に怖いわけじゃねーし」
「ふーん。ほら、ドリンク」

そう言って今度はドリンクボトルを剛速球で投げて来た、のをなんとか受け取る。

「っぶねーな!」
「いや、そのくらい受け止めて当然だろ。テニス部だろ」
「テニスはそんなスポーツじゃねーよ!」
「ふん、良いツッコミじゃねーの」

満足げにそう言って七栄はボールを拾い出す。
冷たいスポーツドリンクは、めちゃくちゃ美味かった。




閉まる、ギリギリのところで門を出た。
段々と薄暗くなってきた空の下、七栄と並んで歩く。
出来るだけ、ゆっくりと。

街にはドボドボと夏みかんが落ちていて、七栄はそれを蹴っ飛ばした。

「おおう、ナイッシュー」
「どこにゴールがあんだよ」
「お前には見えないのかよ」

見えねえよ。
それから二人で夏みかんをドリブルしながら歩いた。
あたりに腐りかけたみかんの、甘酸っぱい匂いが立ち込める。

「私サッカー部のマネージャーやりたかった」
「‥お前こないだはバスケ部のマネージャーやりたかったって言ってたろ」
「そうだね。バスケ部もやりたい」
「中学入るまでは野球部のマネージャーやるって言ってたし」
「良く覚えてるな、赤也のくせに」

実際俺は、本当に七栄は野球部に入るもんだと思ってたんだ。
それなのに、当たり前のようにテニス部に入部届を出していて。

「まあ野球部のマネージャーやるならまず新体操部入らなきゃならないし、双子の幼なじみもいないし」
「お前は絶対に、絶対に南ちゃんにはなれねーよ」
「ふん、今に見てろよレモン作ってやる」

え、栽培すんの?ハチミツ漬けじゃなくて?

「赤也、レモンってどうやって作んの?」
「知らねーよ。つーかお前さ、なんでテニス部入ったんだよ」
「はあ?そんなん赤也が入ったからに決まってんじゃん」

本当に、何言ってんの?って顔で俺を見る。
俺は、熱が集まって赤いだろう顔を背けて「そーかよ」とそっけなく返した。

七栄からパスされた夏みかんを思いっきり蹴っ飛ばしたら路肩に停まっていた車の窓に当たった。

「やべっ」
「あーあ、何やってんだよ赤也」
「よし、中に人いねーな」
「赤也ー」
「ん?」
「沢井が待ってろって、言ってきたんだよ」
「へ?」
「私に、赤也が自主練終わるまで待っててやれって」
「‥‥‥」
「つーか言われなくても待ってるつもりだったけどさ」

なんだよ、あいつ、そんなに俺が滅入ってるように見えたかよ。

「みんなさー」

夕焼けに染まってオレンジ色をした七栄が淡々と喋り出す。

「赤也みたいに強くなりたいって思ってるよ」

「そんで、赤也を支えたいって思ってるよ」

「先輩達に負けないぐらい良いチームにしたいって、そう思ってるよ」

知ってた?と七栄が下から俺を覗き込んだ。
いつの間にこんなに身長差がついたんだろう。
読めない表情の七栄を見ながら、答える。

「‥‥知ってるよ」

本当、わかってる。
沢井も、みんなも、七栄も。
常勝立海の看板を背負って。尋常じゃなく強かった、あの先輩達の栄光を受け止めて。

プレッシャーを感じてるのは、俺だけじゃないってことは、知っていた。

ただ、俺は幸村部長みたいに、出来ないから。優しくねーし、周りが見えねーし、すぐカッとなるし

弱音を、吐きそうになる。七栄にこれを言ったらどうするだろう。
慰めてくれるだろうか、それとも甘えるなと怒られるだろうか。
それとも「あっそう」と言われて終わりだろうか。‥これが一番可能性高いな。

どうせ何も言わなくてもお互いの事はわかるんだ。なら格好悪いことわざわざ言いたくねーし、

「来年は絶対優勝だ」
「あたりまえじゃん」
「あたりまえだな」
「出来るよ。うちら強いよ」
「ああ、立海だしな」

七栄は嬉しそうな顔をして俺の背中を叩いた。

「お前やめろよな、すぐそうやって叩くの」
「叩いてねーよ、撫でてんだよ」
「どこがだよ!」
「あー、お腹すいたー!!」
「俺も」

いつもより時間を掛けて歩いた家までの道のりは、もうすぐ終わりが近づく。

夕焼けは真っ赤で、もうすぐ夏が終わる。
だって赤トンボが飛んでるし。

先輩達はきっと卒業するまでずっとにやにやと俺の部長ぶりを見ているんだろう。

丸井先輩の、「赤也も偉くなったなあ」なんてからかう言葉が容易に想像出来る。

あの三人の先輩達には、勝てなかったけど、いやいずれ勝つけども、取り敢えずは新しい立海を見せてやろう。

そして全国優勝をして悔しがらせるんだ。
優勝旗を、見せびらかしてやるんだ。
今の、仲間と一緒に。


「ついたー、じゃあな赤也」
「おう、じゃあな」

七栄の家の前に着いた。もう三十秒歩けば俺の家。

「赤也ー!」

七栄の家を通り過ぎて歩き出したところで呼び止められる。

「なんだよ」
「えーと、」

考えてなかったのかよ…

「頑張ろう!」

少し間をあけて、でかい声で、ほんと恥ずかしい奴。

こんなんだから近所のおばさん達に、切原さんちの赤也君と北さんちの七栄ちゃんはいつまでたっても仲良しねーなんて言われるんだ。

「おう!!」

負けじと俺も、でかい声でそう答えた。

「七栄!赤也!うっせーぞ!!」

七栄の家の窓が開いて七栄の姉ちゃんがそう怒鳴る。

「姉ちゃんの方がうっせーよ!」
「ああ!?赤也お前そこ動くなよ、待ってろよ」

そう言って外に出てきそうな七栄の姉ちゃんから逃げるように走って自分の家に駆け込む。

「ただいま!」

制服に染み付いた夏みかん匂いが、甘酸っぱい。

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