(おそくなっちゃったなあ)
トントントンと、リズム良く地下に降りる狭い階段を抜ければわくわくというか、ドキドキというか。
ときめき、みたいな感情。
(もう始まってるかも)
ぶ厚い扉を開けばボリュームの大きすぎるダンスミュージックにあちこちで焚かれたチャンダンの香に煙草と汗が混じった臭い。
おっきなミラーボールにサーチライト。
ああ、大好きだなあこの感じ。
「オレンジジュース!」
熱気を持った沢山の人々を掻き分けて、やっとのことカウンターへたどり着きそう高らかに宣言する。
すぐに出てきた薄くて高いオレンジジュースを受け取りソファに腰をおろす。
「うそ、君一人?」
「うんそーだよ」
「何飲んでるのー?」
「オレンジジュース」
二人の大人の男の人に話し掛けられる。
あ、色黒い方の人格好いーな。いーな。
「あれ、未成年?」
「うん、ないしょね?」
オールナイトのクラブは未成年の入場は出来ないらしい。
出来ないらしいけど、出来るんだ。
私はバカだからその仕組み、よくわからないけど。
「お兄さんがお酒ご馳走してあげよっか」
「えー、未成年だもん」
「真面目だねー」
「私お酒のめないの」
「そーなの?」
「うん。ジュースみたいな甘いのでも吐いちゃうの」
そっか、ならしょうがないねって格好いいお兄さんはそう言って笑った。
日に焼けた腕に彫られたタトゥーがいかつい。
いーな、きっと、ジャッカルもこうゆうの似合うだろうな。
へらへらしてたら黒くない方のお兄さんに腰に手を回される。ああ、私は黒いお兄さんの方がタイプなのに。
「かわいいね」
「ありがとー」
ちやほやされるのは、大好き。
かわいいねって言われて、身体を触られて。
「ね、せっかくだし番号教えてよ」
「バッカ何がせっかくだよ。あ、俺も教えて?」
「うんいいよー」
少しだけ、こわいときもあるけど、いつだって
「おい、沙知」
ジャッカルが見つけてくれるから。
不機嫌そうな声色で私の名前を呼ぶジャッカルに、お兄さんに腰を抱かれながら片手を上げて陽気に「へいジャッコー」なんて答えれば、さらに不機嫌そうに片眉をひそめる。
「あれー、彼氏と一緒だった?」
「ううん、友達だよ」
苦笑いのお兄さん達の元をするりと抜けて、ジャッカルに軽く抱きつく。
「おそいよー」
「遅せえのはお前だっての‥っつーか離れろよ」
お兄さん達にばいばいと手を振ったら振り返してくれた。ちょっとハッピー。
「ジャッカル出番いつ?」
「12時」
「おこってる?」
「別に」
ナイトクラブのダンスイベント。
クラブへ通うようになってもうすぐ一年。
ジャッカルと知り合って、もうすぐ一年。
「お前一人で来るのやめろよ」
「えー、いーじゃん。ほかの男の子と来たらジャッカルやきもちやいちゃうでしょー」
「っ、妬かねーし、つーかそもそも女友達とかいるだろ」
「私の女の子の友達は夜遊びしないもん」
「そーか?」
「そーだよ」
そんなのうそだけど。
だって、ジャッカルが踊ってるの見た女の子が、ジャッカルのこと好きになっちゃったらダメだもん。
私はバカだけど、ジャッカルに関してはちゃんと、慎重なんだ。
手をつないでもジャッカルは嫌がらない。
腕に抱きつくのはちょっと嫌がるけどまあ許されてる。
目が合うと5秒以内にそらされる。
キスはまだできない。
私たちは、友達。
12時を少しすぎた頃。
メインフロアのちょっとしたステージみたいな所に、さっきまでパフォーマンスをしていたダンサーの人と入れ違いにジャッカルが登る。
はやし立てるような声にまばらな歓声。
顔見知りのDJが流すヒップホップでジャッカルは踊り出す。
私はゆらゆら揺れながらそんなジャッカルを少しだって見逃すもんかとじっと見つめる。
一年前から、ちっともかわらない。
ジャッカルが、一番かっこいい。
一年前のお話。
私とジャッカルの出会いのお話。
むかしむかし、一年前のことでした。
私とジャッカルが中学三年生のときのこと。
あ、ちなみに私はそのころから今と変わらず、バカでした。
よく人から「バカだねー」と言われたし、「良くバカって言われるでしょ?」と初対面の人から言われることだってなかなかの回数。
ある日、夜の街で。
大人の男の人に声をかけられて、いわゆるナンパ。一人でいるときにそうやって声をかけられたのは初めてで、少し怖かったけどそのお兄さんは、「クラブで遊ぼうよ」と言ってきたんだ。
そのとき私はクラブだなんて行ったことなくて、周りの子達もクラブに行ったことある子はいなかったし、なにしろ中学生だし。
バカな私はきっとみんなに自慢できる、なんて思ってそのお兄さんに喜んで付いて行く。
連れていってもらった初めてのクラブは、暗くってキラキラしてて、いい匂いで格好いいお兄さんお姉さんが沢山いて。
大きな音で流れる外国のヒップホップもかっこよくて。
私はすぐにこのドキドキしてわくわくして、ときめくすてきな空間が大好きになったんだ。
「はい、これ」
そう言ってお兄さんが渡してくれたグラスには、オレンジジュースが入っていて、一口飲んだらそれはオレンジジュースじゃなくて多分お酒で、私はちょっとだけ気持ち悪くなってしまったのだけど、迷惑かけるのも悪い気がして、我慢してお兄さんと話したり、踊ってる人達を物珍しげに眺めたりしていた。
そして、すぐに、ジャッカルを見つけた。ジャッカルが目立っていたっていうのもあるけど、「あ、ジャッカル桑原だ」って見た瞬間思ったのは私はジャッカルのことを知っていたから。だっておんなじ学校。
クラスは一度も同じくなったことは無かったけど、フルネームも、ブラジル人とのハーフだってことも知っていた。
だってジャッカルは、立海の一番の自慢で誇りの(そう先生が言ってた)怖くて強くて格好いい、テニス部のレギュラーだったから。
わあ、あのテニス部のジャッカル桑原がクラブとか来るんだしかもステージで踊るんだ、なんてすごくびっくりした。
ジャッカルがパフォーマンスを終えてステージから降りたとき、目が合った。
ステージにはまた新しいダンサーが上がってまた周りは盛り上がっていたのだけど、ジャッカルは私を見て驚いたような顔をして少しの間立ち止まってた。
「おお、ジャッカルお疲れ。相変わらずすげーなお前」
驚いたことに私を連れてきてくれたお兄さんはジャッカルと知り合いだったみたいで、そう声をかけた。
「あ、どーも。あの、その子」
「ああ、俺の連れ。良いでしょ」
「大丈夫か?」
「え?」
我慢は、限界だった。
一口だけ飲んだオレンジジュースみたいなお酒のせいで気持ち悪くて仕方がなかった私の手をジャッカルは引っ張ってトイレに連れて行ってくれた。
狭くて汚いトイレでジャッカルに背中をさすられて私は夕飯で食べたマックを全部戻してしまった。
「どんだけ飲んだんだよ‥」
「ひとくち」
「‥‥なんでそんな弱いのに飲んだんだよ」
「だって、お酒とは知らなかった」
「ちょっとは疑えよ」
「うん‥‥うおえっ」
呆れたようにペットボトルのミネラルウォーターを差し出してくれたジャッカルにお礼を言ったら、「自分を大事にしろよ親が泣くぞ」って。
その瞬間、今まで生きてきた中で、一番ジャッカル桑原君が格好いい男の子だって思ったんだ。
テニス部の幸村君とか仁王君とか丸井君とか、あんまりよく知らないけど、格好いいと女の子達から良く言われている子達よりずっと、彼が。
それからだいたい一年くらい。
私はジャッカルと仲良しになった。うん。仲良しだ。
つきまとったとも言うけど。
学校で会えば必ず声をかけるし、毎日寝る前にその日あった出来事を一方的にメールしてる。(必ず翌日の朝には、それに対する感想とダメ出しの返信がはいっている)
いつのイベントに出るって聞けば必ず見に行って、イベントに出ない時でもジャッカルがクラブに行くときは付いていった。いろんなクラブに連れてってもらったけど大体がヒップホップがかかるところ。私はクラブに夢中になって、ジャッカルも、しょうがねーなーって感じではあるけどいつも一緒にいてくれる。
「ジャッカルーおつかれー」
ダンスを終えてステージから降りてきたジャッカルにおつかれさまを言う。
「おお。何時までいる?」
「ジャッカルが帰るまでいる」
「そーかよ」
ぴったりとジャッカルの腕に絡みつけばやっぱりちょっと微妙な顔。
私の大好きな男の子。
かっこよくって優しい子。
一緒にいるだけで、心がほわほわしてきゅうってなる男の子。
◇◇◇
沙知はいつも楽しそうだ。
特にクラブにいる時。
暗闇にサーチライトが光るダンスフロアでゆらゆらふわふわ音楽に乗っている。
「沙知」
大きな声を出さなきゃ何も聞こえないこの状況では仕方なく耳元に口を近づけなくてはならない。
ふわふわした髪に隠れる耳の場所にあたりをつけて声をかける。
「なあにー」
一年前から少しも変わらない脳天気な笑顔。
そういえばこいつが不機嫌なところを見たことがない。
ふわふわふわふわ、掴みどころのない口調に態度。
「腹減らねえ?」
「へったー!!」
「うち来るか」
「いくー!!」
誰にだって付いていきそうな軽い性格。
ちょっと、本気でこいつ大丈夫か、と言いたくなるくらいの馬鹿さ。
警戒なんてもの知らない馬鹿で世話の焼ける女。
きっと俺じゃなくても、このあとうち来いよなんて言われたら付いていくんだろう。たとえそれがどんなに危なそうな男でも。
「ママまだ起きてるかなー」
「あー、寝てたら俺がなんか作っから」
「私カレーたべたい」
「レトルトでいいか」
「ナンたべたい」
「無茶言うな」
今何時だと思ってんだ。
もうそろそろ此処を出て、俺んちで飯(夜食でもあり朝食でもある)を食って、親父のバイクでこいつを送って。
俺は午前から部活だからあんま寝れねえな。
沙知は多分昼まで寝て、確か土曜は夕方からバイトに行く日だろう。
夜遊びする癖に睡眠を削りたがらないこいつに、仕事中居眠りをさせるわけにはいかないし、そろそろ帰ろう。
「ほら、そろそろ出るか」
「うん」
沙知は嬉しそうに跳ねながら俺の手に自分の指を絡めて大きく腕をふる。
いつものように当たり前に。
恋人同士の様に。
こいつが、何を考えていつもこんな行動をとるのか分からない。
「カレーだカレーだっ」
何も考えていないのかもしれない。
ニコニコと本当に楽しそうに笑って俺の腕に抱きつくこいつは、頭のネジが数本抜けてるのかと思うことも良くあるけど。
馬鹿で考えなしで警戒心が無くって、気が付いたら世話を焼きに勝手に体が動いてしまうようになってしまったし、いつだって気苦労が絶えないけど。
それでも、きっとこいつに何をされたって嫌いになれない自信がある。
苦笑いで許してしまう気がする。
外に出れば、深夜なのに灯りはあり、場所が場所だけに柄の悪い若者達がまばらにたむろっている。
「お前もうちょっと服とかさ」
「?、なにかだめー?」
「肌出し過ぎなんだよ」
足も肩も胸も。暗い中で街の灯りが反射して余計に白く見える。
「ジャッカルが喜ぶとおもってー」
「喜ばねーよ」
「ちぇー」
ちぇー、じゃない。自衛をしてほしいんだ。俺が四六時中一緒にいれる訳じゃないんだから。
歩きながらそんな小言を聴かせる。聴いているかわからねーけど。
「喜ぶとおもってって、うそ」
「は?」
「‥‥‥今日こそはジャッカルが手を出してくれないかなーっておもって」
その次に沙知が言った言葉は、小さくて良く聞こえなかった。
「今何か言ったか」
「私はジャッカルがおもってるより、したたかなおんなだよって言ったの」
「お前、強かって意味分かって言ってんのか?」
「え、そう言われると自信ない‥」
俺達の関係は変わらない。
たまにそれが無性にもどかしい時もあるけど。
今は、このままでいい。
握っていた手の力を、少し強くすれば沙知は嬉しそうに目を細めた。