綺麗だとか美しいだとか
そんなありふれた言葉では表現しきれない、芸術品の様な″男子″と今向き合っていた。
放課後の教室。
彼の前の席に座り、椅子ごと後ろに向けて。
「幸村君、今日も相変わらず麗しいね」
まじまじと見つめてから、そう言った。
純粋な、本心からの感想。そして感動。
この感動を与えてくれた本人にお礼を言わなくては。
「産まれてきてくれてありがとうございます」
日本の宝だ。いや、世界の宝だ。
冗談とか、私の主観のみの話しでは無くて、きっと、近い将来本当に世界で活躍するテニスプレイヤーになるんだろう。
「その美しさ、ノーベル賞ものだよ」
「お前ノーベル賞馬鹿にしてるの?」
恐れ多い事に私を見るために頭を上げて、そう言ってくれた。
今まで彼は、日直日誌を書いていたのだ。それを中断して、私に返事をしてくれた。
「いや確かにノーベル賞を少し履き違えていたかもしれない。でも何らかの世界的な賞に値するよ幸村君」
それに特に相槌も打たずに再び日誌を書く作業に戻った。
学校のヒーロー的存在の幸村君が、他の人に押し付けたって誰も文句は言わないだろうにこんなに真面目に日誌を書いている。なんて素晴らしい人なんだろう。
この日誌を読んで一言コメントを書く先生が羨ましい。
「いつまでいるの、沙知」
「え、邪魔かな?」
「うん。とっても」
日誌から目を離さずに話し掛けてくれた。
嬉しいけど申し訳ない気持ちになる。
「そもそもお前違うクラスだよね」
「いや、気にしないで。私のことは空気だと思って」
「空気はこんなに不快な物質ではないよね」
「そうだよね、じゃあ二酸化炭素だとでも思って」
「ああどうりでさっきから空気が悪いと思った。ちょっと窓開けて換気してきてくれる?」
「わかった」
立ち上がり窓を開けに行った。
少し冷たい爽やかな空気と金木犀の甘い香りが流れ込む。
美化委員が頻繁に手入れをしている花壇の植え込みが窓の外に見えた。とても綺麗だ。
幸村君の前の席まで戻りながら、「幸村君が育てた花は、とても綺麗に咲くんだね」と言えば、若干、本当に少しだけ幸村君の口の端が上がった。
花を褒めた時が彼は一番嬉しそうにする。なんて素敵なんだろう。
再び席に着いて後ろを向く。
「幸村君は花の妖精なんじゃないかなって思うよ時々。それくらい美しいよ」
「そして心まで綺麗だもの。本当に、私はあなたと同じ空気を吸えるだけで幸せだよ」
「おこがましいけど、私は幸村君の事を愛しているよ、いやそんな浮ついた感情じゃないや、心酔している。神の子だなんて言われているけど」
「私にしたら、神そのものだよ」
そこまで言ったところで、パシンッと良い音か響き、頬にジンジンとした軽い痛みが走る。
平手打ちをされたのだ。多分20%くらいの力加減。
「ああ、すまないね。花の妖精のあたりでイラッときてね」
「好きよ。幸村君」
「知ってるよ。痛かったかい?」
「もっと強く叩いても良かったのに」
「お前は俺にどうして欲しいんだい」
「どうもしなくて良いよ」
そんな、甘い関係なんて、望んだことも無い。
私が望んでいるのは、
「存在を無視してくれても、罵ってくれても、殴ってくれても、踏んでくれたって良い。あまり死にたくは無いけど、幸村君になら殺されても良いよ」
「ああ、お前は本当に、気持ちが悪いね」
ゾクリと背中に何かが走る。きっと快感のたぐいの。
彼の前でなければ身悶えしていただろう。
気持ちが悪いね、そう言葉を紡いだ口の形も、楽しそうに蔑んだ目も。
なんて、良い顔。
こんな彼の顔を知っているのはきっと私だけ。
「ねえ幸村君、幸村君がこんな扱いをしてくれるのは、私だけ?」
「あたりまえだろ」
優越感が込み上げる。
利き手ではない彼の左手を取り、甲にそっと唇を落とす。
男の人にしたら充分細身だけれども、意外と骨ばった大きな手。
白くて綺麗な幸村君の手に。
「あーあ、アルコール消毒しないと」
「そう言うと思って用意しておいたの」
除菌用のウエットティッシュを取り出して差し出すと、幸村君は気が利くね、とにこやかに言って受け取った。
「お前こそ俺以外にこんなに気持ち悪いことするんじゃないよ」
「するわけないじゃない」
「なら良いけど。多分訴えられたらお前負けるからね」
「心配してくれるの?優しいね」
「ああ、俺はとても優しいよね」
そう言って日誌に戻った幸村君の、濃い藍色をした艶やかな髪が揺れた。
長い睫毛が顔に影を落とす。
金木犀の甘い匂いが教室に充満する。
私は再び黙って彼に見惚れる作業に戻った。