溢れたもの



「大木ー、仁王はー?」

いつの間にか姿を消した仁王の行方をクラスメイトの大木に聞けば、知らねーよ、と返ってくる。

「サボりだろ、どうせ」
「あーあ、あいつサボると俺も幸村君に怒られるんだぜぃ」
「大変だなー、テニス部は」

中学の時から常にフラフラしてサボり癖のある仁王の面倒を任されていたのはずっと同じクラスの俺だった。
人の面倒見るとか、そんなキャラじゃねーのに。

「あ、あいつ俺の膝掛け持って行きやがった」
「つーことは外か。屋上か中庭にいんじゃねーの?つか丸井も仁王も膝掛けとか女子か!」
「んだよ男女差別かこのやろー」
「テニス部の癖にだらしねーな」
「テニス部差別か、訴えるぞ」
「誰にだよ幸村か?やめろよ?」

割とマジでびびる大木を無視して、さっき女子がくれたクリームパンの包装を開けて一口かじる。

「‥でけーな、一口」
「んー?ほーか?」
「つーか最近仁王変だよな」
「あー、な。」

そう、最近仁王は変だ。前から変な奴だったけども、よりいっそう。

もしゃもしゃと咀嚼しながら数日前の事を思い出す。


『嗅げ』

そう言って仁王が腕を俺の鼻先に突きだしてきたのが何日か前。
素直に嗅いでやれば別に変わった匂いはしなくて、それを伝えたら無言で教室から出て行った。
そんな奇行の後からだ。仁王が変になったのは。

やたらと頻繁に溜め息をつくし、話しかけても上の空だったり、覇気がないのはいつものことなのだけど、前までより更に気怠げだ。

ここ数日間で盗み聞いた、クラスの女子の噂話。

『仁王君が最近ヤバい』

『エロい』

『物憂げな表情がエロい』

キャッキャと楽しそうにそんな事を言っていた女子に、なんてこと話してんだ、と少し呆れもしたけれど。

確かに、そうなんだ。
こんな事言いたくないけど、あいつは今、なんていうか、色っぽい。(絶対に口に出して言わないけど。思うだけでも気持ち悪りぃ)

そして、今仁王がそんなことになってる理由を、多分俺は知っている。

あいつが変になるのなんて、十中八九あの人の影響なんだ。




「仁王ー!」
「おお、早いなブンちゃん」

昼休みのチャイムが鳴ると同時に屋上のドアを開けた。
給水タンクの上には案の定シャボン玉と眩しい銀色。

「四限自習だったんだよ。弁当持ってきてやったから降りて来いよ」
「おお、かいがいしいのぉブンちゃん。俺ん事好きなんか」

むかついて、おえっと吐く真似をしたのを見たのか見てないのかはわからないけど仁王は給水タンクの上から飛び降りた。

「お前そこ好きだなあ。漫画みてえ」
「おん、定番じゃろ」

早速日当たりの良さそうな所に腰を下ろして弁当を広げた。

俺が食い始めても、仁王は携帯を眺めたままだ。

「食わねえの?」
「んー、腹減っとらん」
「ふーん」

自分の弁当と仁王の水色の小さな弁当箱を見比べる。
うわ、マジでちっちぇー。

「あ、なに勝手に開けとるん」
「おー、さすが超美味そう」
「良いじゃろ」
「食わねえんならくれよ」
「‥‥‥‥‥」
「冗談だけど」
「‥ええよ。食っても」
「は…」
「俺全部食いきれん。残したら聡美ちゃんに悪いけんのぉ」

‥‥なんて顔をしてんだこいつは。

「なんかあったのかよぃ」
「なにが」
「聡美さんと」

仁王はそれに答えず、横になった。あ、こいつ俺の膝掛け下に敷いてやがる…!

「ちょっとは食えよ。残したら俺が食う
から」
「そうじゃな」

仁王がのろのろと起き上がって、ようやく弁当に手を掛けたとき、チラッと、見えた。

最近ずっと、本当に暇さえあれば眺めている携帯の画面が。

「おい」
「ん?」
「ちょっとそれ見せろ」

「は?」とか「やめ、」とかとにかく仁王は嫌がったけど俺は無理やり二つ折りの携帯を奪った。

「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥なんか文句あるんか」

太陽が眩しくて少し見えづらい液晶の中には、

「うわあ」
「‥‥‥」
「うわあ」

笑顔の聡美さんがいた。

前髪をヘアバンドで上げて、恐らくすっぴんで部屋着姿。
それなのにめちゃめちゃ可愛くって、ドキドキした。いやむしろこうゆう油断してる姿の方が生々しくて、なんていうか良い。

「‥これ良いな」
「じゃろ」
「他のねーの?あるだろ?」

勝手に仁王の携帯の画像フォルダを開けば、出てきた。大量の聡美さんの写真が。
どれも聡美さんの部屋のもので、料理をしている姿だとか、テレビを見ていたりだとか。
そして、特にポーズをとっていたりカメラ目線のものが見当たらない。

「‥‥おい」
「なんじゃ」
「お前シャッター音消してるだろぃ」
「‥‥それがなにか」
「盗撮」

知らん顔で弁当を食い始めた仁王に呆れて溜め息が出る。

「つーか家帰れば聡美さんいるじゃん。見れるし話せるし触れるじゃん。なに学校でこんなん眺めてんだよ中学生かよ」
「ええじゃろ別に」


結局仁王の弁当は半分以上俺が食った。
想いすぎて食欲が無いとか、本当中学生かよ。

何かあったんだろう。聡美さんと。
別に聞いてやらねーけど。

ただ、俺から言わせれば、あんな油断した顔を見せる聡美さんが、仁王の事嫌いなわけねーだろって事で、本当に、早く付き合っちまえよって事なんだ。

こんなに格好悪い仁王を見るのはなかなか楽しいけど、そろそろ良いと思うんだけどな、俺は。


◇◇◇



青空にシャボン玉がゆらゆらと舞うのをぼうっと眺める。

ゆっくり流れていく薄い雲に向かって消えていく。

屋上の給水タンクの上。日差しはギリギリ暖かいのに風がとにかく冷たい。

丸井の膝掛けはさっき没収されたから余計に寒い。ぶるっと身震いしながら再びストローをくわえる。

『ねえ、雅治君知ってる?』

(聡美ちゃん、)

『シャボン玉って、春の季語なんだよ』

(聡美ちゃん)

『だから、春に似合うんだね』


もう随分前、アパートのベランダでそんな話をした。聡美ちゃんは覚えてないかもしれんけど。

(冬にやるんもええけど、寒いしやっぱ春かのお)



もう暫く聡美ちゃんに触れていない。
多分触ったらもう我慢出来ないから。
良く今まで我慢してたな、俺。

こないだちょっと本当にどうかしている夢を見て、それから、自分からずっと不愉快な匂いがして取れない。

誰に聞いても、そんな匂いはしないと言うけど。

心ん中に、コップみたいなものがあって、ずっとそのコップはいっぱいだったけど、こないだついにそれが溢れてしまって、その溢れ出した分が身体から染み出しているんじゃないか。

そんな馬鹿みたいなイメージが、なんだか妙にしっくりきてしまって。

(乙女か、俺は…)

その染み出してくる甘くて苦いものは、きっと聡美ちゃんの事を好きな気持ちで。

馬鹿みたいだ。

余裕なんて、全然無い。
もう我慢なんて出来ない。
それなのに、聡美ちゃんに嫌われるのがとにかく怖くて、困らせたくなくて、とっさに仮面を付けた。


『つーか家帰れば聡美さんいるじゃん。見れるし話せるし触れるじゃん。』

さっき教室に戻った丸井の言葉がよぎる。

今まともに見れないし話せないし触れないんだ。
それでもやもやして夜は良く寝れんし、腹は減らんし。

本当になんて子供なんだろう。




携帯の画面の中の聡美ちゃんを見て、頭の中にいる聡美ちゃんを思い出して、膝に顔をうずめたら、すっかり鼻に馴染んでしまったあの匂いがより強く香った気がした。

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