雅治君



まだ薄暗い朝の六時半、いつものようにチャイムも鳴らさずに合い鍵を使って隣の部屋の鍵を開ける。
あーあ、本当に雅治君は朝なかなか起きないんだから。冬は特に。

第一段階 ベッドに向かって声を掛る
第二段階 カーテンを開ける
第三段階 掛け布団を引き剥がす

いつも大体この三段階目までやってようやく目を覚ます雅治君。
もういっそのこと初めから布団を剥いでしまおうか。溜め息をつけば白い息が躍る。
ガチャリと音を立ててドアを開ければ、いつもより部屋が明るい。
あれ、カーテン開いてる…?

「‥‥‥え」
「あ、聡美ちゃんおはようさん」
「‥おはよう」

既に制服に着替えた雅治君がそこにはいた。

「どうしたの」
「なんか起きれた」
「そっか。ご飯出来てるよ」

なんて珍しい。
朝から結構なエネルギーを消費させられる毎日だっただけに少し嬉しさを感じる。

「昨日、どうしたの?」
「何が?」
「お風呂入らないで帰っちゃったじゃない」
「ああ、どうもせんよ。めちゃくちゃ眠くてな」
「そう」
「おん」

そう言った雅治君はいつもと変わらないように見える。
昨日の様子が少し変だったから心配していただけに拍子抜けだった。

「なあ聡美ちゃん、俺なんか変な匂いせん?」
「ええ?‥‥いや、しないんじゃないかな」

急にどうしたんだろう。
少し近付いて匂いを嗅げば私と同じ柔軟剤の香り。え、これ変な匂いかな…

「ならええんじゃ。飯なに?」

何でもないように笑った雅治君を見て、あれ、と思う。
いつも通り、だよね?何かが違うような、そんな不確かな疑問が生まれる。


一緒に私の部屋に入って、クリームチーズを挟んだベーグルとヨーグルトをこたつに運ぶ。
美味しそうに食べる雅治君に、明日からも早く起きなさいねと言えば、頑張るナリ。なんて言って雅治君は笑った。

(あ、また…)

ほんの少し胸の奥がチリっと違和感を訴える。
その正体がなんだかは解らないのだけども。


そして、雅治君の早起きは本当に次の日も続いた。
その次の日も、その次の日も。







(可笑しい)

はっきりとそう感じるようになったのはあれから数日後のことで。

なんて言うか、えーっと、認めたくない気持ちが勝ってなかなか自覚できなかったけれども、

「聡美ちゃん、俺もう帰るな」
「あ、うん。おやすみ」

まだ夜の九時だ。前までは、一緒にご飯を食べてお風呂に入ってそれからテレビを見たりDVDで映画を見たりして大体日付が変わる頃にやっと自分の部屋に戻っていたのに。

ここ数日、ご飯を食べてお風呂に入って、すぐに帰ってしまう。

多分、本当に多分。
もしかして、ひょっとしたら。
私は雅治君に避けられているんじゃないだろうか。


距離が、出来た気がする。
会話はいつも通り。ご飯を食べればちゃんと美味しいと言ってくれて、笑顔も見せてくれる。

ただ、なんていうかその笑顔が、作り物のような。

まるで一年前、最初に出会ったときのような。
当時は解らなかったけど、一年一緒にいて、なんとなく解るようになった、余所行きの仮面みたいなものを感じる。

あと、心の距離だけじゃなくて、物理的距離も。

これはわかりやすかった。
だってここ数日、

全く触ってこない。

あんなに甘えたがりのくっつきたがりだったのに。
それどころか心なしか同じ部屋にいても私と距離を取る。



雅治君が帰って一人になった部屋で手持ちぶさたになる。
テレビも見る気になれないし、もう今日は飲もう。飲まないとやってられない。

冷蔵庫からビールを持てるだけ取り出しこたつに置く。

(飲まないとやってられない…)

なんでこんなことを思うのか
なんでこんなにやさぐれた気分なのか

缶ビールのプルタブを開け、グラスに注ぎもせずそのまま口をつけて一口、二口と喉を鳴らす。

「んっ‥ぷはあっ」

なんてことだ。一回口を付けただけでもう缶の重さが半分になった。これだから350ml缶は…

あっという間に飲み干した空き缶を片手で握りつぶした。

アルミの缶は思っていたよりずっと簡単に潰れたけど、手が少しだけ痛む。

(何だよもう……)

私は、今、とても苛々としていて、それはまぎれもなく雅治君のせいで、それを解消する為に思い付く事と言ったらビールを飲むことくらいだった。

(明日仕事なのに)







頭がボーッとして顔が熱い。

(‥‥眠い。)

六本の空き缶(もれなく全て潰してある)をゴミ袋に入れて酔い醒ましに珈琲を淹れようとキッチンに向かう。

「いてっ」

途中壁にぶつかってしまい、結構酔ってしまったなと反省する。
残らなきゃ良いけど。まあ、明日の事は明日の私に任せよう。

いつもの癖で、二人分のマグカップを出してしまった事に気が付いてうんざりする。

(雅治君の馬鹿。)

声に出してみる。

「まさはるくんのばか。」

涙が出そうになるのをこらえて、熱い珈琲を一気に流し込めば、熱くて本当に涙が溢れる。

「〜っ、熱いぃ」


心を許していた相手に、避けられて、そんなの嫌に決まってる。
傷つくに決まってる。

勝手に心を閉ざして、私だけ……


こういうのが嫌だったんだ。

人付き合いで苦労した事なんて無かった。
小さい頃から、いつだって私は上辺だけ良くて、いつだって無難な正解を選んできた。

人とちゃんと向き合って、こんな風に傷つくのが怖かったから。



それを、あんなに近くでずっと一緒にいて、楽しくて、安心して…

その男の子を、私はどうしたいんだろう。
8歳も年の離れた男の子を。

ずっと傍に置いておきたい?どうかしてる。


涙がポロポロとこぼれ落ちる。
目を擦らないように顔を洗いに行く。
明日は仕事だ。腫れさせてなんかいられない。
私は、大人なんだから。

(本当に、どうかしてる)

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