甘苦い



「ただい‥あ」

部屋のドアを開けた所で思い出す。

(今日は新年会、じゃったっけ)

靴を脱いで明かりをつける。

いつもは大体帰ったら聡美ちゃんがいて、毎回おかえりと一緒に、手洗いうがいしなさいって。

冷たい蛇口を捻って、それよりももっと冷たい水を手に掛ける。

(言われなくてもやる俺、偉か)




いつもより適当に手洗いとうがいを済ませてレンジのスイッチを押す。

聡美ちゃんが用意してくれてあった夕飯は、驚くほどあっという間に食べ終えた。

(‥美味くない)

そう思うのは何故かだなんて解りきっていてうんざりする。

一年近く一緒にいるんだ。こうやって聡美ちゃんがいない事なんて初めてではない。

社会人なんだし人付き合いや飲み会だって仕事みたいなものなんだろう。

ただ、やっぱり

独りで食べる飯は味気なくて、隣に聡美ちゃんがいないのは寂しくて。

一年。

ちょうど去年の今頃だ。聡美ちゃんと初めて会ったのは。

あの頃俺は中学生で聡美ちゃんは社会人一年目で。
今俺は高校生で彼女は社会人二年目で。

十六歳。まだ、十六歳。
自分の年齢に腹が立つ。くそ、十六歳め…

こんなことになるなんて、あの頃は思ってもみなかった。こんなに、嵌まるだなんて。
色んな感情を知った。
切なくて辛くて、寂しい。

(楽しい、愛しい、恋しい。)


静かな部屋に溜め息の音が響いた。
テレビをつける気にもなれなくて、こたつにごろりと横になり目を閉じる。

一年前彼女を助けて、それから始まった。
生活の全てが変わった。

それが良かったかと聞かれれば、すぐには答えは見つからなくて。

昔はもっと楽だった気がする。
こんな辛い気持ちになることもなく、我慢したりもしなかった。
一人でいることが好きで、寂しさを感じることなんかなかった。

ただ、あの時聡美ちゃんを助けないで大怪我していたらと思うとぞっとするし、聡美ちゃんを助けたのが俺以外の奴だったらと思うと虫唾が走る。

他の男と聡美ちゃんがいるのなんて、想像するだけで嫌なんだ。









「ただいま、雅治君」

うわ、気がつかなかった。ドアの音が聞こえなかったなんて。

「おかえり」

そう言って身体を起こして部屋の入り口を見れば、楽しそうな顔の聡美ちゃん、と

「あ、あの子は気にしないで、座って」

動けなかった。
身体の動かし方を忘れたように俺は馬鹿みたいに驚いた顔をして

誰、そいつ

口も動かないし声も出ない。
知らない男が俺の方なんか見向きもしないでこたつに入る。

は?なんなん、これ。
聡美ちゃん?

その知らない男の為にコーヒーを運んできた聡美ちゃんも、俺を見ないで外寒かったね、なんて言って男に笑いかけて

喉がからからで、必死に聡美ちゃんの名前を呼ぼうとしても声がでなくて。

聡美ちゃん、それ俺のカップ

聡美ちゃん、そこ俺の場所

聡美ちゃん、なんでこっち見ないん、聡美ちゃん



不意に、知らない男が

スーツを着た大人の男が、俺を見て、

可愛い犬だね、とそう言って

聡美ちゃんは、そうでしょうと言って俺を慈しむような目で見た。



「聡美ちゃん!!」
「うわあ!びっくりした!」

動かなかったはずの口が動いて、自分が目をつぶっていたことに気がつく。

「どうしたの雅治君。寝てたんじゃなかった?」

目を開ければ天井を背景にした聡美ちゃんが俺をのぞき込んでいた。

「聡美ちゃん」
「なあに?あ、ただいま」
「え?」

飛び起きて部屋を見渡してもさっきの男はいない。

「どうしたの?ご飯ちゃんと食べた?あ、制服着替えないで寝てる!皺になるじゃない、早く着替えて、あ、お風呂すぐ支度するから入ったら、って雅治君?」

やばい、そう思うと同時に聡美ちゃんに抱きついていた。
本能的に身体が動いた。
きつく、きつく。
聡美ちゃんの身体は冷たくて気持ち良い。駄目だ、すぐ離れないと、本当に駄目だ、

「あー、雅治君あったかい!外寒かったよー」

聡美ちゃんは俺の背中に手を回して暖をとり始めた。
離れないと、離れなきゃ

「聡美ちゃん」
「んー?本当にどうしたの」
「今何時」
「え?九時半」
「もっと遅くなるかと思っとった」
「ああ、疲れちゃったから二次会出なかったの。なあに、寂しかったの?」

聡美ちゃんは笑いながら俺の背中を撫でて、俺は泣きそうになった。

「ねえご飯食べた?」
「‥食った」
「そ、ほらお風呂いれるからそろそろ離して」


身体をゆるゆると離して、聡美ちゃんの顔を見る。
俺の名前を呼んで、寝ぼけてるの?と俺の好きな優しい顔で言った。

「っ、いっ‥」

心臓がぎゅうと、握り潰されるような感覚に顔をしかめる。

「雅治君!?どこか痛いの?」

心配そうに声を掛けてくる聡美ちゃんから後ずさって距離を取る。

「え!?大丈夫!?心臓!?心臓なの!?心筋梗塞!?」

俺に近づいてこようとする聡美ちゃんから更に距離をとる。

「え!何で逃げるの」
「逃げとらん」
「えええ…」

今、聡美ちゃんに近づいたらどうなるか本当にわからない。

「ねえ、本当に大丈夫?病院行く?」
「行かんし大丈夫じゃから」
「そう?じゃあお風呂いれてくるね」

そう言って風呂場に向かった聡美ちゃんに、帰ると告げた。
聡美ちゃんはきょとんとした顔で、お風呂は?と聞いてきたけど、俺はそれに答える余裕もなく荷物を掴んで部屋から飛び出した。


酷く慌てて自分の部屋の鍵を開ける。
何回か失敗して、ようやく開いたドアに滑り込んで、すぐにベッドに倒れ込む。

制服が、皺になろうと知ったこっちゃない。

甘いようで、苦い匂いが鼻を掠める。

暫くの間ベッドに突っ伏していた。

起き上がって、思う。
何でここに聡美ちゃんがいないんだろう。

(俺が逃げるように帰ってきたからか)

何で俺は大人じゃないんだろう。
何でまだ高校生で、何で聡美ちゃんは大人なんだろう。

のろのろと風呂場に移動してシャワーを浴びる。
どんなに良く身体を洗っても、甘苦い匂いは取れなかった。



それは、早かったのか遅かったのか


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