おねえさんとまるいくん



目の奥と頭が痛くて目が覚めた。

午前5時30分。

日曜日で仕事は休み。雅治君を起こす時間もまだずっと先だ。

ぼんやりと起き上がって、のろのろと洗面所へ足を動かす。

「‥ひっど」

鏡を見て思わず呟く。
嫌だなあ、独り言とか…
そう思いつつも、もう一言

「ぶさいく…」

目は真っ赤に充血して、瞼も腫れている。
とりあえず顔を洗って歯を磨き、寝癖を整える。

冷凍庫から保冷剤を取り出して目にあてがう。

(明日までには、引くと良いけど)

そのまま昨日のカフェで挽いて貰った珈琲豆でコーヒーを淹れる。

良い匂いをたてるマグカップと煙草の箱を持ち、ベランダに出た。

「っ寒い!」

嗚呼、さっきから独り言ばっかりだ。
そそくさと部屋に戻り上着を着てまたベランダへ出る。

流石にこの時間は寒い。
まだ日は出ておらず、薄暗い。
仄かに月が見える。

煙草を一本取り出してくわえ、ライターで火を着ける。
深呼吸をするように吸い込んで、ゆっくりと煙を吐き出した。

『あ、まだ吸ってたんだ』

ふと、昨日の彼の言葉が蘇った。
付き合っていた頃、散々禁煙を促された。
まあ大体の男性は、女が煙草を吸うのを良く思わないけど。

あれから、丸井君が偶然来て、彼はすぐに帰った。
私は丸井君の事を弟の友達だと紹介した。
丸井君は帰った彼の座っていた席に腰を下ろし、それから私達は少しお喋りをした。

以下、回想。

「聡美さん、今の元カレ?」
「ああ、うんそうだよ。部活終わったの?」
「はい。で、仁王、弟だったんすか?」

少し可笑しそうに丸井君はそう言った。

「あ、ごめんね。とっさに出てきた言い訳がそれで」
「いや、全然良いッスよ、説明し辛いっすよね。つーか聡美さん弟いるんすか?」
「いないよ。あの人、私に兄弟がいるかどうかも知らないから」
「へえ、そうなんすか。あ、すいませーん!コレとコレとコレお願いします」

ウエイトレスに3つケーキを注文した丸井君は、嬉しそうに、ここのケーキめちゃくちゃ美味いんすよ、と笑った。

「なんで別れたとか、聞いても良いですか?」
「あはは、つまらないと思うよ?」
「聞きたいっす」

ゆっくりと、記憶を辿る。
良い人だった。本当に、理想の恋人だったんじゃないだろうか。

「結婚をね、しようって言われて断ったの」

「好きだから付き合っていた筈なのに、この人と結婚なんてしたくないって思ったの」

「酷いでしょ?」

酷いのは分かってる。
自分勝手で、思いやりがない。

「結婚を断った事が、じゃなくて、良く考えたら、好きじゃなかったの」

「それなのに付き合ってたの」

「いい加減だよね。雅治君に一度いい加減な事をするんじゃないって怒った事があるんだけどね、私が言うなだよね」

丸井君は黙って聞いてくれた。
余計な相槌も打たずに。変に共感するような事も言わずに。
頭の良い子だな、改めてそう思う。

「みんな、そんなもんなんじゃないかなって思います。少なくとも、俺、今までいい加減な付き合いしかしたことないっすよ」
「ふふ、そうだよね。あんまり綺麗事言ってられないよね」

話しのキリの良いところで、丸井君のケーキが届いた。

「いただきます!」
「どうぞ」

美味しそうにケーキを頬張る丸井君を見ていると嫌な事続きで荒んでいた心が軽くなる。

「聡美さん」
「なあに?」

あっと言う間に一つ目のケーキを食べ終えて、二つ目に取り掛かった丸井君が話しかけてきた。

「今まで、妹とかそんな風に思っていた奴を、恋愛対象として見ることってあると思います?」

ビクッとした。妹って言ったけど、私と雅治君の事を言いたいのかな、と考えてしまう。

「うん、どうだろうね。あるんじゃないかな」
「ええええ、やっぱあるんすかねー」

‥ああ、違うか、この反応は、きっと丸井君は妹みたいに思っている女の子の事で悩んでいたんだ。

「難しいよね。もしさ、その子が他の男の子と付き合いだしたらどう感じるか、じゃないのかな」

自分で言って、自分で悩んでしまった。
雅治君が、他の女の子と付き合いだしたら。
‥あれ、雅治君って彼女いないのかな、聞いたこと無いな。

「それはやっぱりなんか気に入らないんすよね。で、聡美さんは仁王に彼女が出来たらどうします?」
「ねえ、雅治君って彼女いないの?」
「‥‥え」

丸井君が固まってしまった。口はもぐもぐとケーキを咀嚼しているけど。

「今大声で『はあああ!?』と言わなかった自分を誉めてやりたいっす。いないっすよ」
「え、ごめん。聞いたことないなって思って。雅治君モテるだろうに」
「モテますよ。週一ですよ」
「え?なにが?」
「告白受ける回数」
「は…」

今度は私が固まってしまった。
丸井君は三つ目のケーキを食べ出した。

「ま、漫画のようだね」
「今までは、‥具体的には一年くらい前は、あいつすげえとっかえひっかえしてたんですけど」
「あらまあ」
「ここ一年で更正しちゃって」
「‥へええ」
「なんでだと思います?」
「なんでだろうねえ」

丸井君は少し怒ったような顔をして、またケーキを頬張った。
分かってる。本当は分かってる。

雅治君が、私をどう思っているかだなんて。
分かってて、突き放さないんだ。

「どうします?仁王に彼女が出来たら」
「どうもしないよ」
「本気で言ってるんすか?」
「大人は狡いんだよ、丸井君」

30分くらい、丸井君とお喋りをしてしまった。
いや、30分足らずでケーキを3つペロリとたいらげた丸井君には驚いたけど。

「そろそろ出ようか。雅治君帰ってるだろうし」

お会計をしようと財布を取り出したら、先に出て行った元彼が、お金を預けていっていたらしい。
丸井君の分も併せておつりがきた。

「うわ、見ず知らずの人に奢って貰っちゃったぜぃ」
「あ、気にしないで丸井君」
「聡美さん、あの人と連絡取り始めるとかは…」
「あはは、絶対しないから。あ、おつりで珈琲豆買おう」

お礼のメールだって、しない。
傷付けてしまった彼に、再び傷付けることなんて、しない。

そこで丸井君と別れて、私はアパートへ急いだ。

最悪な一週間だったけど、最後に丸井君と会えて、最悪加減は少し薄まった、と思っていたのに。

アパートの前まで来てあの仕打ちだ。
私も車の免許は持ってるから、いかに運転中に歩行者が目に入り辛いかは知っている。
しかし、水溜まりの水を引っ掛けられると言うのは、経験した人にしかわからない絶望感があるのだ。


回想、終わり。

もう何本吸っただろうか。灰皿にスペースか無くなってきた。

少し温くなったコーヒーを啜る。
やっぱり美味しい。

あれから、家に帰って、それから、シャワーを浴びて。

雅治君が傷の手当てをしてくれてそれで…

あんなに泣いたのは何時ぶりだろう。
小さな、子供のころでもあんなに泣きじゃくった事無い気がする。

一時間くらい、雅治君は抱き締めてくれていた。

「はあああぁぁぁ」

大きなため息が出た。

(どうしよう。)

雅治君を起こしに行く勇気が出てこない。
昨日は泣きやんでから、特に会話もせずに私は夕飯を作り、彼はテレビを見ていて、出来上がった夕飯をもそもそと二人で気まずげに食べて、雅治君はお風呂に入って帰って行った。

起きたら、忘れてないかな。

そんな都合の良い事を考えて自嘲気味に笑った。

段々と空が明るんで来た。
冷たい朝の空気が、腫れた瞼に気持ちいい。

雅治君の体温を思い出して切なくなる。
自分以外の体温に包まれるのは気持ちがいい。

彼の暖かさに安心して、仕事の事だとか、悲惨だった一週間の事だとか、元彼と再会した事だとか、雅治君への罪悪感だとか、
いろんなものが、涙になって出て行った。
スッキリした、だなんてあんなに迷惑を掛けておいて言えないけど。

人に甘えたのは、本当に久しぶりだった。

私はずっと、良い子で、優秀で。
親に迷惑を掛けた事なんて、無かったんじゃないかな。

生き賢い子供だった。

それをストレスに感じたりだとかは、していなかったと思う。自分でも分からないけど。

ただ、中学生の時、煙草を吸い始めた。
部屋に匂いを残したくないから、家族が寝静まった夜に、自室のベランダで。
何年もの間、ずっと。

外で吸ったり、友達に言い触らすだなんて馬鹿な事しなかったから、誰にも咎められずに。

それが優秀でいることへの反抗だった、なんて思いたくない。思春期すぎて、格好悪いったら無い。


ふう、とまた一つ溜め息をついて、立ち上がる。

着替えて、朝ご飯を作って、雅治君を起こそう。

昨日の事を謝って、もしかしたらお別れをしないといけないかもしれない。

触っちゃ、駄目だったよなあ。
もっと、触れたいって思ってしまう前に。

(余裕、無いなあ)







私は、その時思いもよらなかった。

朝起こした雅治君が、昨日のことには一切触れずに、ただ昨日までよりもずっと甘えてくるようになるだなんて。

後ろから抱きつかれても、あの時彼の背に腕を回してしまった負い目から、触らないでとは言えない事を、良いことに。



この子も大概、狡い。







***

未成年の喫煙描写がありますが、それを推奨するものでは決してありません。
未成年の喫煙は法律で禁じられています。


prev next

 しおり 目次へ戻る
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -