俺と彼女の関係
「早かったな、仁王」
放課後。人気のない校舎裏から部室に向かって歩いていたところで丸井に声を掛けられた。
丸井は俺の隣りにやってきて同じように部室に向かって歩き出す。
「そうか?」
「三分位しかたってねーんじゃねーの?断ったんだろ?」
「おお」
放課後の校舎裏に呼び出し、なんて言ったらイジメか告白くらいのものだろう。
別にイジメなんて受けていないし、呼び出してきたのは女子だったから、当然のようにそれは後者で。
「なんて言って断ったんだよ。好きな人がいるって?」
「‥‥そんな事言うかボケ」
ニヤニヤと腹の立つ顔で聞いてくる丸井に珍しく子供のような返しをしてしまった。
ちゃんと、誠意を持って断ったわ。三分でな。
「真面目そうな子だったよなー」
「そうじゃな」
「つーか客層変わったよなお前」
「‥客層て」
「そんでもって増えたよなー、告白」
「そうじゃな。面倒くさい」
ほぼ週一。
何がって、告白を受ける頻度。
今までだってそれなりに有ったが、この頻度は″異常″だと、周りから言われるし自分でもそう思う。
ここ最近、具体的には一年くらい前から俺はぱったりと彼女を作るのを止めた。
人気があると言っても、適当な女と適当な付き合いを繰り返していた俺を、当然のように良く思わない女子も沢山いた。
女遊びが激しいとか、チャラいだとか。
そう噂されとる事も知っとった。
だが。
所謂、″女遊び″を止めてから、今まで嫌われていたらしい真面目系女子からの好感度が上昇中らしいのだ。
『客層が変わった』そう言った丸井の言葉はなかなか的を得ている。
今まで顧客の大半を占めていた、遊んでいる派手系女子と同じくらいの割合で告白を受けている。
そんなマーケティング分析を、クラスメイト達は半ば面白がってしていたが、俺にしたらただただ迷惑な話で。
真面目な分、気を使うのだ。適当にあしらえないから。
あんまり不誠実な事をしていたら、きっと彼女に嫌われてしまう。
‥まあ告白されたー、とか断ったー、だとか、そんな話をする事は無いのだけど。
「相変わらずひでえよなあ。お前は」
「丸井じゃってそう変わらんじゃろ」
「いや俺は告白されたらもうちょっと面倒くさがっていることは隠すぜぃ」
面倒くさいことに変わりはないのか。
‥そう言えば。
「丸井、最近彼女作らんのう」
夏に別れてそれからいなかった筈だ。
中学から腐れ縁の丸井の女事情は大体把握‥と言うか無理やり聞かされていたから知っているが、こんなに長期間彼女が居なかったことは無かったんじゃないだろうか。
「俺?俺は今自粛してんだよ」
笑いながらそう言う丸井見て、すぐに気付く。
自粛、何に対してって、それは。
中等部にいる大事な後輩が、今学校であまり良くない状況にいるから。
「ほーお。好きな奴がいるって言って断るんか?」
「あっはっは!そんなんじゃねーよ」
心底可笑しそうに笑って、丸井は歩みを速めた。
「ほお」
俺も足を速めてまた丸井の横に並ぶ。
「それよりお前、進展無いんだろ?聡美さんと」
「‥ええじゃろ別に」
大体なんでこいつ聡美ちゃんの事普通に名前呼びしとるんじゃ。
こないだカレーを食いに来たときも随分仲良く話しとったし。
「仁王のへたれっぷりには呆れを通り越してもはやおもしれーわ」
「ほっとけ」
「本当、ネタだよな。もはや。詐欺師の癖に」
「ブン太、仁王」
「げ、幸村君」
やっと部室に着いた、と思った所で丁度部室から既に着替えを済ませた幸村が出てきた。
「何を遅れてきて悠長に歩いているんだい?」
いつものにこやかな表情を浮かべながら氷点下の声音でそう言い放った幸村から逃げるように部室へ駆け込んで猛スピードで制服を脱ぐ。
絶対部長制。
いや、まだあいつ部長じゃないけども。
「ただいま」
「おかえり。お疲れ様」
本当に疲れた。遅刻って言っても1、2分くらいだったのに部活後、丸井と外周を命じられ10キロ走った。
現金なことに、くたくたになった身体は聡美ちゃんのエプロン姿を見て少し元気になる。
おかえり、お疲れ様
キッチンに立ってそんな事を言ってくれるとか、新婚みたいじゃな。
こんな事言えば、子供が何言ってるのと呆れられるんだろうけど。
「今日パスタ?」
湯気を立てている大きな鍋に麺を入れた聡美ちゃんにそう聞いたら、「スパゲッティ」と返された。
「え、パスタじゃろ」
「うん。パスタだけど、スパゲッティだよ」
いまいち噛み合わない会話に疑問を感じながら靴を脱ぐ。
「え、パスタとスパゲッティて違うんか?」
「違うって言うか、パスタの種類の中の、こういう細長い麺をスパゲッティって言うの。パスタは総称ね。色んな種類があるんだよ」
うわ、知らんかった。スパゲッティの格好いい言い方がパスタだと思ってた。
聡美ちゃんは物知りで、いつも俺が知らなかった事なんかを教えてくれる。
「俺、雑学王になれそう」
「一般常識だってば‥」
‥これは、遠まわしに俺が非常識だと言っているんだろうか。
「何スパゲッティ?」
「たらことイカ」
「‥超好き」
「美味しいよねー」
一気にテンションが上がる。
手洗いうがいをさせられて、キッチンを抜け部屋に入って部屋着に着替える。
キッチンからはタイマーの音が聞こえて、聡美ちゃんはお湯の中から麺を上げている。
俺はテーブルを片付ける。
いつも通りの光景。
『進展無いんだろ?』今日の丸井の言葉が蘇る。
進展、か。
トレーに二人分のたらこスパゲッティとサラダにスープを乗せた聡美ちゃんが部屋に入ってくる。
「おまたせー」
全然待ってない。相変わらず手際が良い。
聡美ちゃん。
一番最初は、綺麗なお姉さん。
簡単に落ちるかと思っていたけど、そんな事は全然なくて、信用出来る大人、そう思った。
そして逆に、落とされた。いとも簡単に。
俺は一人でいるのが好きなんだと、ずっと思っていたのに、それは違くて、この人といるのが好きだと、今ではそう思う。
「うま」
「たらことスパゲッティの組み合わせ考えた人凄いよね。日本発祥なんだって」
「え!そうなん?」
「らしいよー。たらこってあんまり外国では食べないらしいしね」
「こんなに美味いのに」
「ね」
好きだと、認めてしまったらどうなるんだろう。
片思いか。
この俺が。
‥丸井にそんな事を言えば、「お前、とっくの昔から片思いじゃねーか」と言われてしまうんだろうけど。
「魚の卵って時点で引いちゃうんじゃないかな、外国人は」
「あー、まあ生臭いしな」
「その点、日本人ってそう言うの結構平気だよね」
触りたいし抱きしめたいしキスをしたい。その先だって、したい。
ああ、好きじゃ。認めよう。
認めてしまおう。
この欲望を抑えているのは、理性と、恐怖心。
「うちの部活にブラジル人のハーフおるけどそいつは寿司とか好きじゃけどな」
「え、凄いね、ブラジル人のハーフか。名前なんて言うの?」
「ジャッカル」
「格好いい!!」
名前がか?格好いいか?くそ、ジャッカルめ。
いつも通りの美味い夕飯を、いつも通りに聡美ちゃんと楽しく食べる。
この日常を、失うのが怖い。
一度、はっきりと拒絶されているし。
出会ったころの事を思い出す度に後悔する。
あれが無ければ、こんなにヘタレる事など無く、我慢しないで好きだと言えたかもしれない。
そうしたら聡美ちゃんはどうしただろう。
冗談だと受け流して相手にされないだろうか。
それともまたきっぱりと拒絶されて、もう来るなと言われるだろうか。
‥‥マイナスな想像しか出来ない。
どんなに近くにいようと、この人は大人で。
余裕で。
腹が立つ。
本当に弟だとか、そんな事を思っているんだろう。
ああ、なんて俺はかっこ悪いんじゃ。
「ほら、ちゃんと野菜も食べる」
「わかっとるよ」
聡美ちゃんは、絶対に知らない。
俺がこんなにも、聡美ちゃんの事を考えては悶々としていることを。
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