始まりの終わり



今日で仁王君が怪我を負ってから二週間目の土曜日。





「別にもう痛くないし、行かんでよかよ」



「だーめ。念のためもう一回行くの。先生が二週間後に見せてくださいって言ってたでしょ?」



少し不満そうな仁王君を引っ張って駅前の整形外科へ向かう。



道中、あろうことか手をつなごうとした彼を「もう一人で歩けるでしょ?」とやり過ごす。










もしかしてこの子、私を口説こうとしているのではないか、そう思い始めたのは一週間前のことだった。



当たり前のように毎日夕飯を食べにくる彼に、戸惑いこそすれ、それほど困ったりはしていなかった。怪我をさせてしまったという負い目もあったし、なによりも、一人で食べるよりも一緒に食べる夕飯はとても楽しかったから。




その日、食後にゆっくりしていたら、いつの間にか隣に座っていた彼は「お姉さん、手綺麗じゃな」と手を絡ませてきた。

手つきが妙にいやらしい。

目線が、絡む。口元がニヤリと笑っている。ものすごい色気にゾクッとした。



「やだなあ、仁王君の手の方が綺麗でしょう」


そう言いながら、軽く動揺したのを悟られないようにゆっくり手を振りほどく。






怖い!
なにこの子‥恐ろしい!

これは絶対にわざとだ。



残念そうに笑いながら「そんなことなかよ」と言い、その日は終わった。











だがそれに気がついてからは、だんだん露骨に落としにかかる仁王君を少々冷めた目で見てしまう。



まあ、男子中学生なんてそんなものか。
学生時代に付き合っていた男の子たちは皆一様に猿のようだった、と思い出す。


思春期だもん。仕方ないよね。


でも勘弁してね、お姉さん犯罪者になっちゃうから。



そんなことを思いながら、隠す気もないのか日々エスカレートしていく仁王君の攻撃を、彼のプライドを傷つけないように、やんわりとかわしていた。






それにしても、彼の色気は半端ない。
なんだよあれ。ふざけるな、中学生だと?
女としての自信をなくすぐらいの色気に嫌気が差す。



だいたいあの子はもう少し慎重になったほうがいい。

私だったから良かったものの、世の中には怖いお姉さんはたくさんいるんだ。

本気にされてストーキングされたり、攫われて監禁、なんてことだってありえるんだから。










「うん、完治だね。明日から部活やって良し。」

初老の整形外科の先生がそう言った。

ただし一度捻挫した足は繰り返し捻りやすいから絶対に無理をしないように、そう釘を刺されて診察室を出る。



「良かったね!」


「あ〜、明日から部活じゃー」


少し嫌そうに顔をしかめる。彼はこの二週間、放課後は筋トレなんかに参加するだけで、土日の練習は行っていなかった。


「部活行きたがってたでしょ?」


「まぁ、テニス好きじゃし。でもそれとこれとは‥今まで休んだ分きっついメニューやらされる‥絶対‥ああぁぁ」


そう言って焦る彼はいつもより幾分子供らしく見える。可愛らしい。


「ふふ、頑張ってね。いや、私のせいなんだけど‥ごめんなさい」


「本当気にせんでええよ。飯食わせてもらったし得したナリ」


‥‥また気を使ってくれた。
いい子なんだよな、あの妙な色気さえなきゃ。




「今日はお昼も食べてって!何が良い?」


「なんか、肉的なもの」











家に帰り、オムライスの制作に取り掛かる。

肉的なもの‥ほら、チキンライスに入ってるしね!肉的なものが。


「え、肉は?」


背後に仁王君が立つ。
出来たら呼ぶから自分の部屋に帰ったら、と言ったけど私の部屋で待つと言って一緒に帰ってきた。




‥それにしても

この距離は少々近いわ。よろしくないわ。



「チキンライスに入ってるでしょう、ほら、あっちで待ってて!」


ここ数日のこともあり、少し警戒してそう言う。




背中に急に熱を感じる。
っ!近いっ!


「おねーさん、俺腹減ってない。飯作るのまだええんじゃなか?あそぼ」


「なっ!ちょっと!?」


後ろから奴が抱きついてきた。ちょっと!包丁持ってんでしょうが!!


「なあ、怪我治った、おいわい」

首筋に顔を埋める。

「ちょーだい?」

なんて耳元で甘く囁いてくる。


ゾワッと悪寒がする。キツく抱きしめられて身動きが出来ない。

嘘でしょう?
なにやってくれちゃってんの?

片手を私のシャツの下に侵入させ、彼の冷たい手がお腹を這う。






その瞬間、私の中で何かがキレた。


このガキ。




「止めなさい。」


「‥止めない。」


「強姦未遂」


「‥‥‥え」


「今私が警察に通報したときに付く君の罪名。下手したら少年院よ」


「ちょ、ま‥」


「一生を棒にふる気?私は君の学校も本名も実家の住所も知ってるの。警察が嫌ならご両親に電話しましょうか?」


「え、住所って何で‥」


「保険証に書いてあったのを控えておいたの」


こんなことに使うとは思わなかったけども。



腕の力が緩む。


かなり焦っている。珍しいな。少し可哀想。


でも、浅はかな行動をした彼の自業自得。



「すぐ作るから、あっちで待っててね?」


「‥はい」









オムライスとサラダを手早く作り、テーブルに運ぶ。


おまたせー

さあ食べましょう。

いただきます。



‥‥‥‥‥‥。


‥‥‥‥‥‥。



この上なく気まずい食卓だった。







「仁王君。私は君とそういうことをするのは望んでない。もしも勘違いをさせる事をしてしまっていたのならごめんなさい」


無言で食べ終わり、どういったもんかな、と言葉を選びながら、黙っている彼に語りかけた。


「もっと自分を大切にしなさい。いい加減なことをして、いずれ傷付くのは君なんだから」



今日は帰って。そう言って玄関へ向かわせる。


「ねえ、仁王君。あのとき助けてくれて本当にありがとうね。感謝してるよ。」


「仁王君さえよければまたご飯食べに来てよ」




彼は小さな声で、すみませんでした、と言って帰って行った。

見送りながら、「もう来ないだろうな。」と一人ごちる。この二週間、なんだかんだで楽しかった。

「ちょっと寂しいな」






















ところが、


「お姉さん、夕飯なにー?」


その日の夜。チャイムが鳴って、まさかね、なんて思って確認したら、そのまさかだった。



何事もなかったかのように、いつもと同じように、私の部屋にあがる。


そして、見たことのないようなイタズラな顔で


「お姉さん、これからもよろしく頼むぜよ」


これ食費、と言って一万円札の入った封筒を渡してきた。



「いやぁ、お姉さんにはかなわなかったぜよ。まじかっこええー。男前じゃ!俺お姉さんみたいな男になりたいナリ」


「え、今君物凄く失礼なこと言った?え、てゆうかお金‥え?」


「月一万で足りるかのう?」


「そういうことじゃなくって!」


ニコニコしている彼に呆気にとられる。か、可愛い。


「もーあんなことせんよ。なあ、駄目?」







仁王君、私あなたのお色気攻撃には耐えたけど、その母性本能をくすぐる大型犬攻撃には勝てそうにないわ。



というかそっち方面で迫られてたらヤバかったかも‥‥






やっかいな子に懐かれてしまった‥‥








(これが私達の始まり。)

(また来てくれて、嬉しかったよ)

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