05.
『……っなんで! またいるんですか!』
今日はやけに怒りっぽいな、と画面の向こうで頬を膨らます少女を見て、スティーブンはマグの中身を見せた。本日3杯目の真っ黒い液体が、湯気を立たせている。
「仕事が多すぎる」
これは嘘ではない。スティーブンはライブラの構成員の中で、クラウスと同じかそれ以上に頭と体を使って働いている自信がある。ここ最近は外で戦うことも多く、その分の報告書やら何やらが山のようにデスクに積み上がっていくのを、半ば他人事のように呆然と眺めていた。
『……前は、ここまで事務所に籠ってることなんて無かったですよね』
「まあね」
アユを避けていた時期はそもそも事務所にいないようにしていたし、それ以前もそれ以降も泊まり込むのは、週に一度程度。三十路の体には徹夜は負担がかかりすぎるし、超過労働で体を壊してしまっては元も子もないのだということを、ちゃんとわかっていた。しかし、今はあの時とは、精神状態がまるで違う。
『やっぱり心配ですよ、スティーブンさんが倒れたら誰がライブラをまわすんですか』
そうなるよな。そうなんだよ……しかしアユ、実は仕事は、定時で間に合っているんだ。
『レオさんやツェッドさんあたりに、お手伝いを頼んだらどうですか?』
なぜ定時で間に合ってるかって? 要は、やる気の問題なんだよ。僕は数日に一度、モチベーションアップをはかっている。夜中の3時。この椅子に座って。
『ザップさんはやめといた方がいいですけど……ってスティーブンさん? 聞いてます?』
「君が手伝ってくれたりは、しないのか?」
えっ、とアユが目を見開いた。しまった、つい。
『……何言ってるんですか、少なくともあと1ヶ月は無理ですって』
やだなぁスティーブンさん、今そこにある仕事の話をしてるんですよ? と笑うアユの頬が、ちょっとピンク色に染まっている気がした。あれ? と目を凝らした次の瞬間には、いつも通りののんびりした顔に戻っていて。彼女はちょっとだけ目をそらして、やんわり微笑んだ。
「帰ってきてからは、書類仕事も教えてください」
私でよければ、お手伝いしますよ。
*
(あ”ー!! バカバカバカ!!)
スティーブンが画面から離れ、仮眠室に入っていったのを確認してから、アユは髪をぐしゃぐしゃとかきまぜた。今日の昼休みの、女子達のあの盛り上がりよう。思い出しただけでもスティーブンへの申し訳なさがもくもくと迫ってきて、アユはそのままがっくり項垂れた。
(そんな訳、ないじゃんか!)
そもそもが間違っている。彼女達は、イケメン教師と女子高生のアブナイ恋愛〜みたいなのを、思い描いているに違いない。が、実際は秘密結社。上司と部下だし、何かいろいろ……差がありすぎる。
そもそもスティーブンは、他者の追随を許さないほどの美丈夫で、おそらく恋愛上級者。ザップが以前、ハニートラップも楽々こなす冷血漢、と言っていたのも思い出した。夜中にテレビの前に座っているのは、事務所で徹夜しているのに、アユが彼の存在に気付かないまま結果を張り始めると困るから。帰ってこいというのは、やはり前に言っていたように、グルズヘリム本人がいなければ不測の事態に対応出来ないからだろう。
(あー! 少しでも意識してしまって、本当にごめんなさい、スティーブンさん)
そして、よりによってこんな邪な感情が渦巻いている時に、彼が画面越しに微笑んでああ言ったから。
『君が手伝ってくれたりは、しないのか?』
顔が赤くなっているのが、よくわかった。なるべく普通を装ってはぐらかしたけれど、変な風に思われていたら厄介だ。というかめちゃくちゃ申し訳ない。
別にアユが、スティーブンのことをそういう風に思っている訳ではない。しかし周りからなんやかんやと言われると、気にしてしまうのが普通の女の子だろう。忘れよう。スティーブンさんが可哀想だ。アユは目を閉じて、画面に両手を添え、小さく呟くような詠唱を始めた。
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