06 First Operation
01.
何のことはない、いつも通りに異常な街の、昼下がり。秘密結社ライブラのリーダー、クラウス・V・ラインヘルツのデスクの前に、小さな少女が立っていた。
「あの〜クラウスさん、ちょっといいですか……?」
ようやく9月に入り、ここHLにも少しだけ秋らしい空気が漂い始めていた。相変わらず霧の中で、秋も何も無いと言われればそんな気もするが。
「む、何だね?アユ」
「実はその、私……せっかくこの街にいるんだし、」
ほかの場所でも、結界を張るお手伝いをしたいなーと思いまして。
まあ、予想通りの申し出だった。彼女はどうやら最近思いつめたような顔をしていたから、自分の仕事が”これだけ”だということに、疑問を抱いているのだろうとは思っていたのだ。
「……君がそう考えるのも無理はないが、それはマダムから固く禁止されていて……」
「おばあちゃんには、許可を取りました」
クラウスが顔を上げる。しかしまあこれも想定内だ。真面目な彼女のことだから、必ず突かれるであろう部分は、きんちと埋めてきている。
「昨日スカイポでベルリン本部と連絡を取ったんです。おばあちゃんはクラウスさんが許可して下さったら、好きなようにして構わないと」
その時は連絡をくれとも言われました。クラウスはそれを聞いてぐぐ、と限界まで猫背になって険しい顔をした。怖いなぁ、と今でも思うことがあるが、彼女は別段恐れている様子もなく、ただクラウスの返事を待っている。
「しかし君は、レディであって」
「レディでもなんでも、HLにいるグルズヘリムは私だけです」
そうなのだ。アユはこの街にいるただ1人のグルズヘリム、エギンウイルスに対抗できる存在なのである。この街の建物という建物は、今もなおこの新種ウイルスに侵食され続けている。アユがここにやって来てそろそろ2ヶ月。その間、彼女はこの事務所以外の建物に結界を張ったことは無い。
「グルズヘリムは普通はこの街に入りませんから、ライブラ以外の建物で、依頼があったものには片っ端からロロカリアンの手練が結界の張り替えに当たっています。でも、ロロカリアンの結界は最短で効力を失うものでも2週間。その間に活動的なエギンが術式を食い破ってしまわないとも言えません」
それは確かに一理ある。グルズヘリムが張る結界の最大の特徴は、”強く短く”。強力な代わりに、短くて数分、長くて1週間で張り替えを要する彼らの結界(例外もあるが)は、エギンウイルスのような数週間〜数ヶ月で術式を食い破るものにとっては天敵である。ロロカリアンやその他の術士による結界では、エギンの侵食速度に対抗できないのだ。
「勿論、皆さんが信頼できると確信している場所だけです。シャミアニードのHL支部にも行きたいですし」
さあどうですか、あとはOKするだけじゃないですか?といつもよりも気迫めいた(つもりの)顔でクラウスを見つめる少女に、少し口元がゆる…
「ゴホッ」
「何よ腹黒男、風邪?」
近寄んないでよね頼むから、と嫌そうな顔をするK.Kにはとりあえず笑みを向けておく。
「うむ……了解した。しかし条件を提示したい」
クラウスがアユに課した条件は、
@結界を張るのはライブラ本部が許可を出した場所に限ること
A移動する際は必ず1人以上の戦闘員の護衛をつけること
Bライブラ、シャミアニード以外の人間にグルズヘリムであることを知られないように尽力すること
この3つだった。
「@とBは必ず守ります。でもAは……必要ですか?」
「君は確かに常に身体に結界を張っているが、それはグルズヘリムの中でも最弱のもの。街の外には君を狙う者も多く存在するのだから、護衛は今まで通り必要だ」
護衛となる者が事務所にいなければ、出張してはいけないと。クラウスはつまり、こう言いたかったのだろう。
「……わかりました。それじゃ、他の場所にも結界を張りに行っても……?」
「許可しよう。それでいいだろうか、スティーブン」
クラウスがこちらに顔を向けて、一応了承を求めてきた。アユも少しこわごわとしながらこちらを見ている。クラウスよりも僕の方が怖いのか。
「ああ、勿論。構わないよ」
とびきり普通の笑顔を作れていたと思う。背後でK.Kが舌打ちした気がした。
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