05 She croon.
01.
「……誰も、いない……」
しんと静まり返った事務所の中心で、寝転がって叫びたくなる衝動をぐっと堪えて、アユはただ立っていた。
(やはり、辛い……のです……)
原因はスティーブンにある。彼のアユに対する逃避は未だに続いていたのだ。彼女がこの異常が日常の街HLへやってきて、もうすぐ1ヶ月。他のメンバーとはそれなりに仲良くなってきた自信はあるのだが、スティーブンとだけは、一線を画したままだった。こればっかりは、周囲に相談する訳にもいかず…アユはううう、と床にしゃがみこんだ。クラウスに話せば、間違いなく胃を痛めるだろう。チェインは最近人狼局の仕事が忙しいらしく、あまりこちらに顔を出さない。K.Kは……彼女に話せば、スティーブンの命が危うい。ザップはこれでもかと言わんばかりに爆笑してあっさり本人に告げ口しそうだし、レオとツェッドには話してもいいけれど、無闇やたらに緊張させてしまうのも申し訳なかった。
(慣れてはいますけどね!?)
アユはお荷物のグルズヘリムなのであって。牙狩りの人間にとっては、命取りにもなりかねない存在である。ロロカリアンの中でもグルズヘリムに寛容な人間は多くないし、人前で魔法を使わないため、常人と何も変わらないようにも思われている。物心ついて間もない頃から多感な時期、そして今でも陰口、面と向かった悪口、無視なんかを身内から食らい続けていれば、誰だって狂うか、逞しくならざるを得ないだろう。
そんなアユがこの街で、この秘密結社で暮らしている理由。それは、エギンウイルスという正体不明の異界産新種ウイルスへの唯一の対抗手段として、グルズヘリムの守護魔導が挙げられたからだ。今まで単に防御と結界を張るのが得意なだけだったお荷物グルズヘリムに、ここに来てようやくその使い道が出来た、といっても過言ではない。しかし、だ。グルズヘリムは特殊体質の希少種。彼らにしか拒めないエギンウイルスに苦しむのは、星の数ほどある建物全てである。そんな中にはもちろん、闇の世界の住人だったり、異界の悪人(人というべきか定かではないが)だったりがいるわけで。グルズヘリムは疎まれる存在から、狙われる存在へと変わった。
(おばあちゃんは、ああ言っていたけど)
『今はシャミアニードが総力をあげて彼らを守っているよ』
グルズヘリムは本来、HLで活動する牙狩りを邪魔しないように、この街に入ることを許されていない。そして彼らは現在、どこかでシャミアニードによって匿われている。それはつまり、今この街にいるグルズヘリムが、アユだけだということを示しているのだ。ロロカリアンの中には物好きも結構いて、その中に『グルズヘリムの短所を克服する団体(アユは勝手に『グル短団』と呼んでいる)』がある。彼らにしてみれば、アユほどの画期的な研究材料は他にはないだろう。HLで暮らすアユの身に何らかの変化があれば、それはグルズヘリムの変化、そして進歩だ。
世界の均衡を保つ秘密結社の守護魔導士、そしてグルズヘリムの希望の星。
(……重いなぁ)
改めて自分が置かれている状況を思い出し、アユは頭を痛めた。普段ロロカリアンに鬼のような厳しさを見せる女傑、ゲルダ婆はアユの才能をこれでもかという程に褒めちぎってくれたが、アユ自身は自分にそんな力があると思ったことは微塵もなかった。人より少し頑張る方で、諦めの悪い方だとは自覚しているが。
多少のことでへこたれる訳にはいかない。何もかもがアユの精神力にかかっているのだとも言えるのだから、いつでも気を強く持たなければ。
(ちゃっちゃと高度特殊型を張ってしまって、温室に行こう)
アユは頬をぺち! と叩いて、勢いよく立ち上がった。
高度特殊型の結界は、人が扉の外に出ていても害を与えてしまうほどの強力なものだ。メンバーが帰ってくるのは約3時間後。この難しい結界を張るのには最低でも1時間かかり、張り終わってからも30分は扉が開かない。つまり、誰も入れない。そして高度特殊型を張った後は、大抵の守護魔導士は疲れきって倒れてしまうのだが、アユは気合いでソファーまで体をひきずってから、横たわることにしていた。よし! やりますか!
(難しいことを考えてしまうのは、日本人の悪い癖なのか、私の癖なのか)
両方かな。アユはそれ以降ものを考えるのをやめて、全神経を集中させて瞳を閉じた。
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