07.
カフェを出てすぐ、人混みに紛れて鮮やかにスティーブンを撒いてみせたアユは、ようやく止まった涙で濡れた頬をぐいと拭い、ローブから携帯端末を取り出した。有能なGPSが搭載されているライブラから支給されたスマートフォンだ。スティーブンがアユを見つけ出すのも時間の問題。それはわかりきっていることだったので、アユはそれを投げ捨てるでも壊すでもなくいつも通り起動させ、今ではすっかり仲良くなった「彼女」に電話をかけた。
(……何やってるんだろう)
電話に出たオリビアは、アユの涙声に少し驚いた様子で『こっちもちょうど昼休み、いつもの公園でいい?』と短い確認を取ってすぐに通話を切った。何やら様子が変だということですぐに向かってくれるのだという。スマホをローブにしまったアユは、曇ったように白い霧の舞うHLの大通りでひとり、立ち尽くした。
スティーブンさんは少し不機嫌だっただけで、こうなってしまったのは彼に食らいついた自分のせいだ。そもそもきっとランチに向かう途中……それよりも前、出張から帰ってきたその時から、スティーブンさんの雰囲気はいつもと違っていたはず。感性が鋭くなったとか油断してただとか散々考えておきながら、こんなに近くにいる人の小さな変化に気付くことができなかったなんて。教会で聞いた声のことを考えていて気もそぞろだったっていうのがあったとしても。
それにムキになって、言わなくてもいいことまで言ってしまった。スティーブンさんが女の人と街を歩いてるのを見たことがある、っていうのは事実。でもザップさんから「番頭は"その手"の仕事もやってんの」と吹聴されていたこともあったし、そういうものなんだろうと思っていた。もしかしたら本当にプライベートかもしれないし。そして恐らく、彼は他人にどうこう言われることを好まないだろうから……だから、別に誰に言うわけでもなく心の中にしまっておいて、自分も忘れてしまうまで風化させるつもりだった。
(あ〜……馬鹿、馬鹿だ)
でもだって、スティーブンさんだってひどい。もともと私の出張にザップさんをあてたのもスティーブンさんなのに。そのことも自分の仕事も棚に上げて「僕も付いていく」なんて言われたって、はいどうぞとは言えない。ただでさえ負担の大きい仕事にまみれてるライブラの上司に、これ以上迷惑をかけることなんて出来ないって……
「それなのに……」
何が悲しくて涙が出たのか、ひとりで考えているうちはわからずじまい、早くオリビアに会いに行こう、そしていっぱい笑わせてもらおう。アユはそう決意して、いつもの公園へと足を進めた。
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