06.
霧烟るHL。その中心である"永遠の虚"と呼ばれる地の入口に、HLPDの警部補……ダニエル・ロウはいた。クセの強い前髪は地の底から吹く風によってかきあげられ、長いトレンチコートはバタバタとはためいている。彼は咥えていた煙草を力一杯噛み締め、眉間に皺をよせた。眠りにつくことも許されずに3日目の朝を迎えた三白眼は、いつにもまして気迫迫る鋭さをみせていた。
「厄介どころの騒ぎじゃねぇ……」
クソッたれ。吹き上げる風の音にまぎれて悪態をつき、ダニエルは背後にあったユグドラシアド中央駅の方に体を向けた。ここで会う予定だったその青年と、ちょうど向かい合う形になる。ダニエルの目線の先……10メートル程離れた所に、彼を呼び寄せたハインリヒ・ディートリッヒが立っていた。
「はじめまして、警部補殿」
「……これ以上グレーゾーンの知り合いが増えるのは御免だぜ」
「何のことです?」
「……いや」
ライブラの半ば強引とも言える紹介で、秘密結社"シャミアニード"の次期リーダーと連絡を取り合う羽目になったダニエルは、彼から送り込まれてくる無数の機密情報で自身のPCの容量が爆発しかけるのを必死で食い止める作業をする、という毎日を送っていた。
シャミアニード側がお近づきの印に、と言って送ってきた重要案件……最近その活動がエスカレートしてきている裏オークションヒットリストに"添えて"送られてきた、莫大なまでの「エギンウイルスに関する情報」を目にした時、彼は一瞬だけ失神した。HLに居着いてからある程度時間の経ったダニエルも、一応一般人ではある。自身のキャパを超えるレベルで溢れ出す"HLPDにいるだけでは知りえなかった事実"をつけつけられて、ぶっ倒れなかっただけ褒めて欲しい、と思っているくらいだ。
「よっぽどヤバイんだろうよ……年明け早々、脳が爆発するかと思ったぜ」
「目を通してくれただけ、ありがたいです」
「で? そのグルズヘリム様は"今回の件"に関して何か言ってるのか?」
「いえ。彼女は別件で、今危機的状況にありますから……結界は魔導士本人の精神状態で質の変化が起こりうる不定の代物です。今はこの件のことは知らせずに、なるべく普段通りに、むしろオープンに活動してもらってます」
「……オイ、それ大丈夫か……?」
「タイミングを見計らって知らせるつもりではありますよ。年内には大きな抗争があるかもしれませんね……さて、HLPD……いえ、ダニエル・ロウ警部補。あなたには、その……"牙狼会"をお縄にする、お手伝いをしていただきたいんです」
そこまで一気に話してから、ハインはまっすぐ、ダニエルを見た。
−−さすが。
あのきな臭い正義の秘密結社ライブラと手を組む組織の長なだけはある。人にものを頼むときの目つきではない、鬼気迫る瞳がそこにはあった。
首を縦にふる以外にはない、と。
脅迫にも似た"協力へのお願い"を前にして、ダニエルはため息をつくしかなった。
「……俺を落とした所で、上がウンと言わなきゃどうにもなんねぇよ」
「貴方にも指揮権が有るはずだ」
このクソガキ……俺の独断でやれと!?
「責任は?」
「そこはシャミアニードとライブラでなんとかします」
「有無言わせねぇつもりかよ……」
「"今回の件"はHLPDのような公的な武力が必要になる作戦なんです。悪どい連中を捕まえられれば、全て貴方の手柄になりますよ」
「……」
ダニエルはハインに聞こえるようにわざとらしく舌打ちをしてやった。ライブラには貸しやら借りやらある。が、今日が初めましてのシャミアニードにはない……いや、これはギブアンドテイクなのか?力を貸す代わりに、手柄を得る。
「確実か」
「確実です」
僕らを舐めてもらっては困る。そういって笑うハインリヒは、どこぞの冷血漢にも引けをとらないほど狡猾で、強かだった。恐らく、従妹のグルズヘリムリムでさえも知らないような顔を使ってダニエルの返事を待つ。
「お前はその、いつも……こうなのか?」
「まさか。世界の命運と、妹の未来がかかってますからね」
僕が生きてきた中で今この時が、一番の非常事態だ。ハインリヒは笑顔のまま、ピッと真っ白なUSBをダニエルの目の前に突きつけてきた。どうやら彼の舌打ちやらため息やらを、Yesと受け取ったらしかった。
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