Magic Green!!!本編 | ナノ
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11 Love VS…

01.
「失礼します」

何の変哲もない、HLにはよくあるビル。紐育の雰囲気を残すその高い塔の最上階。恐らく、ライブラとほとんど変わらない立地条件のそこに、秘密結社"シャミアニード"の本部は鎮座していた。清廉なオフィスビルにはそぐわない凶悪なまでの巨体をピシリと律し、白く美しい、大きな扉の前に立つのはクラウス・V・ラインヘルツである。しん、と静まり返っている空気は、消毒液を思わせるような清潔な香りを漂わせている。生活感のあるライブラの事務所とは、明らかに違う点の一つだ。

『すまんのぅ、ラインヘルツ殿。入りなさい』

天井から響いた老婆の声が、何やら簡単な呪文を唱えて扉を開けさせた。プシュ、と無機質な音を出してから、するすると開いていく扉が完全に動きを止めるまで、クラウスは微動だにすることなくその場に立ち続けていた。数秒の沈黙の後、ようやくその重量感のある靴を浮かせる。

「お待ちしておりました。ライブラのリーダーともあろう方に、無理を申した我々を許していただきたい」

事務所に入ってすぐの廊下でクラウスを待ち受けていたのは、今ではすっかり見知った顔になった……ハインリヒ・ディートリッヒだった。どうぞこちらへ、と案内された先に進む。コツコツと2人分の革靴が鳴る音が廊下に響いた。その間には、先日のような緩やかな空気はない。ぴりっと張り詰めたような何かが、"長"の目をした2人の男の間を漂っていた。

やがてクラウスとハインリヒは、白く塗られた廊下には映えすぎるほどに−−悪く言ってしまえば異質感だって伴いかねない−−濃い紫の扉の前で足を止めた。

「おばあ様、お入れしても?」
『もちろん、構わんよ』

今度は扉の向こうから聞こえてきたゲルダ婆の声がかかった後に、ハインリヒは扉の右下にあった薄紫の円をなぞった。僅かに震えたそれが白く点滅しだし、ハインリヒはクラウスに「お気を付けて」と口添えして扉の前から離れた。まっさらな紫だったそれは、ボコボコと形を変えてクラウスを飲み込む。恐怖さえも覚えかねない紫苑の波に飲まれてもなお、無言のままどっしりと立っていたクラウスは、瞬きすらせずにまっすぐ前を見続けていた。

次の瞬間。

藍にも近い紫が一斉に霧散し、クラウスが立っていた場所はふわりとした土に変わった。室内であるはずだが、どこからともなく風が吹き、彼の硬い赤毛を撫でた。視界いっぱいに広がるのは生き生きとした緑。クラウスの愛してやまない温室に限りなく近い、それ以上に自然のまま揺らぐ木々に囲まれた草原の中心に、紫の椅子に体を沈める老婆がいた。

「おひさしゅう。クラウス・V・ラインヘルツ殿」
「お久しぶりです、マダム・ディートリッヒ」

恐らく冷たいであろう、多少の水分を含んだ土を踏みながら、クラウスはゲルダ婆の元に足をすすめた。その間、彼女は目元の皺をさらに増やして黒い瞳を細め、空を仰ぐように天井まで伸びるヤシの木を眺めていた。

「素晴らしい空間です。感服いたしました」
「そうじゃろう。なんせここは、アユのための部屋じゃからな」

その言葉にむ、と一瞬だけ顔をしかめたクラウスだったが、すぐに元通りの紳士的な表情に戻す。この空間のある場所は、シャミアニードでもライブラでも、HLですらない。

「……予想はしておったよ。しかしまさか、ここに来て…とはね。本当に申し訳ない」
「我々は、貴女やハインリヒを責めるつもりはありません。しかし……彼女の望むところでなければ、承服しかねます」
「ありがとう、そして同意見じゃな。しかし私も、もう年でのぅ。昔のような物言いはできんのじゃよ。ハインリヒも……若すぎる。まだ、言葉だけで抗うことはできまい」
「ということはやはり、決定……なのですか」
「いや、まだじゃ。牙狩り本部は随分余裕をかましてくれているようでの? どうやら我々のような"小さな"秘密結社のひとつやふたつ、どうにでもなるのだと思っているらしい」
「……本部の方々には、考え方を改めていただく必要があるようだ」
「全くじゃ」

風に乗ってさわさわと歌う草木達に混ざって、2人は静かに会話を続けた。牙狩り本部の一部の上役達がアユに気に入ってもらいたい一心で、急いで作らせた空間。ゲルダ婆はこの場に魔法を使って干渉し、クラウスをHLから"意識だけ"転送しているのだ。彼女には疲れの色さえ見え、クラウスは眼鏡の奥の翡翠色の瞳に影を落とした。

牙狩り随一の力を持つロロカリアン。エギンウイルスへの唯一の対抗種であるグルスへリム。そして、そのどちらにも当てはまらない異質な"真の才能"。これら全てを併せ持つ人間は、クラウスのような実直で屈強な大男でも、スティーブンのような狡猾で強かな男でもなかった。その小さく弱々しい外見とは似ても似つかぬ程の驚異の才能を見せる少女に、恐らく上役達は心酔している。クリスマスイブの戦闘が、それに拍車をかけた。

アユ・マクラノの牙狩り本部への異動。
後の"実験"への協力。
彼女によるエギンウイルスの"特効薬"の精製。

年が明けてすぐ、彼らは、この3つの案をライブラとシャミアニードに提示してきた。しかし"牙狩り本部への異動"というのは、アユが望んでいた−−血界の眷属を倒すために出世する、とか−−形のものではないだろう。"実験"などと呼ばれたそれも、ハインリヒがアユの同意を得て行おうとしていたものとは確実に違う。ゲルダ婆もクラウスも、ハインリヒもわかっていた。この案を受ければ、アユはいいように使われ、いたぶられ、後に死にも近い悲しみを得るのだということを。

「グルズヘリム……いや、アユを使った特効薬の精製など……開いた口が塞がらぬわ」
「……可能なのですか、そのようなことが」
「魔法学的に言えば、恐らく、な。アユの力に底はない。が、それを行えばまず間違いなく、あの子は壊れる」

魔法、ロローク、そして心を。強固に維持してきた彼女は、それでもやはり、まだ20年も生きていない少女である。負荷をかけすぎれば、まず先に身体が音を上げる。

「あやつらは何もわかっておらん。そのくせもの欲しさだけは一級品じゃ。いずれ力づくであの子を奪い去る可能性ですら、なくはないのじゃ」
「我々は、どのように対応するべきですか、マダム」
「ふむ……まずは、互いの連携の強化を。この話は熟してから、アユに持ちかけよう。その前に潰してしまいたいがね。……して、これはエギンについての最新資料じゃ。シャミアニードの今後の予定も込みでな。おっと……おまけに、いや、礼に…ちょうど今、困っているんじゃないかい? 先日のGGA紛争の最新チェックリストじゃ」
「……これは……! こちらこそ、礼を申し上げたい」
「なんのなんの」

ふぉふぉ、とようやくいつも通りの笑みを見せて、ゲルダ婆は軽くウインクをした。
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