グリフィンドール。
帽子が高々とそう告げた日の事は鮮明に覚えている。拍手が鳴り止まないテーブルに着き、上級生から頭を撫でられ握手をし、同級生と自己紹介をし合った。次々に名前を呼ばれる組み分けの儀式。
私がドラコと出会ったのはいつだったろうか。
私の大切な友人のハーマイオニーを傷つける男の子。それがドラコだった。だから私はドラコが大嫌いで、ドラコも穢れた血でグリフィンドールの私を大嫌いだったようだ。会う度に喧嘩。ハリーやロンもドラコと仲は悪かったが、私とドラコはそれ以上だった。
なのに、どうして。
いつからこうなったのだろうか。
七年という月日の中で私とドラコは恋人同士になった。不思議な物だ。あんなに嫌いあっていたのに。ハーマイオニーやロンやハリーはそれはもう驚いていたが「そんな気はしていたの」というハーマイオニーのセリフに私は更に驚いたな。ロンは最後まで嫌そうな顔をしていた。
卒業してからも私はマグル界に戻らず魔法界で就職し、ドラコとお付き合いを続けていた。ひっそりと。純血主義でマルフォイ家の一人息子のドラコが穢れた血の私と付き合っているだなんてあってはいけない事だったから。
誰にも知られないように付き合っていた。
だから、気づいてはいた。
終わりがいつかくる事に。
「…父上は、純血じゃない人間との結婚は許してくれないから」
ドラコはうつむいたままそう言った。途端に私の心臓は誰かに潰されたように痛くなり動機が激しくなる。
こんなのいつかは言われるとわかっていた言葉だ。お互い仕事で忙しい毎日だが珍しくドラコから私の家を訪れた。―――アポなしなんて珍しいね、と言った時ドラコはどんな反応をしていたっけ。
私は穢れた血でドラコは純血。
その違いは大きく、簡単に壊せる壁ではなかった。壊す努力をしなかったわけではない。
私は知らないふりをしていたけど、ドラコはドラコの父親であるルシウスさんに私の事を説得していたようだ。魔法界は広いようで狭い。それにマルフォイ家の事だ。噂は私の耳にすぐ入ってきた。マルフォイ家の息子が父親に反抗しているらしいのよ、と。どのような内容かは誰も知らなかったが、私にはわかった。
あのドラコが父親に楯突くなんて。学生時代から父親大好きだったドラコが。
私はその事実だけで嬉しかった。大きな幸せを求めてはいない。私は小さな幸せでいい。
だけどやはり私は欲張りで、
「…あ、」
そっか。
でも、
やっぱり。
でも、。
何でも良かった。沈黙に耐えきれず、とりあえず何かを言おうと言葉を探してみるが、適当な声を出そうとする前に涙が溢れてきた。
「あ、ごめ…っ」
慌てて両手で涙を拭う。拭っても拭っても流れてくる涙に苛立ちながらくらむ頭で考える。
どうして。どうして。
私が好きなら、私の事が好きなら父親を説得してよ。
いつからの付き合いだと思ってるの。
信じられない。
馬鹿。嫌い。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。
「ナマエ…、」
一歩。ドラコが私に近づいてきた。
「来ないで」自分でも信じられない程低く震えた声。
ドラコは足を動かすのを止め、ただ私を見る。
「来、ないで。ドラコが悪いんだから。父上を、ルシウスさんを説得出来なかったドラコが悪いんだから。私はあの日、ホグワーツを卒業する日ドラコに別れを切り出したじゃない。許されないまま付き合うのは嫌って。なのに、あなたが、ドラコがなんとかするって私を引き止めたじゃない。抱きしめたじゃない。いつか結婚だって、指輪もくれたじゃない。なのになのになのに、なんで?なんで?どうして?」
涙で顔はぐちゃぐちゃで、嗚咽混じりの声は汚い。何も考えられない頭で、ぽんぽん口を突いて出てくる言葉達はそれ以上にぐちゃぐちゃで汚くて。一定の位置から動かず、こちらを見ているドラコを私は見る事が出来ない。
「イヤよ私はイヤだイヤだイヤだイヤだ。もう、有り得ないほんと有り得ない。なんで、馬鹿、ドラコの馬鹿馬鹿馬鹿。嫌い。嫌い嫌い嫌いきら、あっ」
突然強い力で抱きしめられた。
痛い程の力。
ぎゅっなんて、そんな効果音じゃ足りない程の力。
「ごめん」
ドラコは私の肩に顔をうずめて謝る。籠もった声。それはすぐそこで発せられているのに聞こえてくるのはなんだかひどく現実味を帯びていない音。お願い、悪い夢であって。
「ごめん。僕なんか嫌っていいから。無能で嘘つきな僕なんて嫌って、いいから」
先ほどより強い力で抱きしめられ、痛さに思わず顔をしかめる。こんなにも強く抱きしめられているのに私達は離れなきゃいけないんだなぁ。どうしてだろう。理由はわかっているけど、そう思わずにはいられない。
「ごめん。他人になろう」
抱きしめ返しもせず、だらんと垂れている私の手をとり、ドラコは指輪を抜く。
シンプルな指輪。きっと高かったのだろう。
「泣くなよ」
そう言って静かにキスをしてきた唇はひんやりと冷たく、私の中にポツリと雨を降らせた。ひんやりと広がっていくそれはじくじくと私の中に浸食していき、胸が痛い。
「…やだ」
堪えきれず言葉を漏らすと、ドラコは私をきつくきつく抱きしめていた腕をほどき少し脚を折って目線を私と同じにした。見えるのはいつもと変わらない青みがかった灰色の瞳。
「ごめん」
「いやだ。嫌いにもなれないよ。今まで幸せだったじゃない。2人で外出ができなくても、ルシウスさんに反対されても、私は小さな幸せで良かったんだよ。だからお願い、別れるなんて…」
これでドラコがどれ程苦しむかなんてわかる。すぐそこに終わりがきているのもわかっている。これは私の最後の無意味な抵抗なんだ。何も変わらないのに。
「…ごめん」
ドラコは洋服のポケットから1本の杖を取り出した。
涙こそ流していないが、私が見たこともないような表情で私の目を見つめ、杖を私に向け、小さなだけどはっきりと「オブリビエイト」とドラコは言った。
これが、私とドラコの幸せになるのだろうか。
これからドラコとの思い出を全て忘れてしまう私にはわからない。
けれど、私は、ドラコが幸せなら良いんだよ。
――――刹那、私は走馬灯のように昔の事を思い出す
思い出せば思い出す程するすると頭から抜けていき、だけど思い出す記憶はどれも幸福なもので、私は、遠のく意識の中、
小鳥が鳴いている。どうやら床で寝ていたようだ。昨日は余程疲れていたのかお風呂にも入っていない様子だ。
ひどく疲れている体を起こす。
不思議だ。どうしてか、激しい幸福感に満たされている。しかし同じように激しい後悔の念が押し寄せている。
それ以上に空っぽの心があり、私はなんだか別人になったようだ。
――確か今日は学友のハーマイオニーと会う約束をしていた。早く入浴して準備をしなければ。ハーマイオニーはロンと幸せに過ごしているのだろう。私もそろそろ恋人でも見つけないと。
ホグワーツ時代から恋人が居ない自分に嘲笑い、浴室に向かう。
足りていない物はなんなのだろう。
少し痛む頭も、外で朝を知らせる小鳥達も、昨日まではなかったはずの指輪焼けも、私に何も教えてはくれない
あぁ、朝だ。
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