光櫂



路地裏の猫と同設定




「何をしているんだ?」
後ろから声をかけられ、ソファーでデッキの調整をしていた僕は手を止めると、声の主を仰ぎ見た。
「……」
櫂くんの曇りのない翠が、まっすぐ僕へと注がれている。
その力強さと息を呑むような美しさに一瞬目を奪われたけれど、すぐに気を取り直して微笑み返す。
「これだよ」
そして、手に持っていたデッキをその眼前に掲れば、櫂くんはじっと目を凝らして僕の手の中を見つめた。
「なんだ? これは」
ところが、彼にはこの正体がわからないようで、その細い眉をきゅっと潜めて僕に聞き返してくる。
「これは、ヴァンガードって言うんだよ」
「ヴァン、ガード……」
噛み締めるように僕の言葉を反芻してから、少し考えるような素振りを見せた櫂くんは、ソファーの横を回ると僕の隣に腰掛けた。
そして、テーブルの上に置いてあったカードの山から一枚を手にとると、それをまじまじと見つめる。
「……」
何か気になることでもあるのだろうか、カードを見つめる櫂くんの表情は真剣そのものだった。彼の頭についた二つの耳はピンとまっすぐに立っていて、それが時折ぴくぴくと動く。
その様子がなんだか面白くて、僕は頬が緩むのを抑えるのも忘れて、彼の横顔を眺めた。
「気になるかい?」
訊ねれば、櫂くんはちらりとこちらに視線を寄越して、こくりと小さく頷いた。
「そっちも、見ていいか?」
それから、僕の前にあるカードの山を指差すと、窺うようにこちらを見つめて言う。
「もちろんだよ」
僕はそんな櫂くんに笑顔で答えると、カードの束を手に取って差し出した。
それを受けとった櫂くんは、慣れない手つきで一枚一枚カードを捲っていく。
そんなふうにしてカードに釘付けになってしまった櫂くんは、まるで僕のことなど忘れてしまったかのように、すっかり黙り込んでしまったのだった。


 ***


興味を持ってもらえることは、純粋に嬉しく思う。
彼と一緒に暮らすようになって日は浅く、僕はまだ、彼のことをほとんど何も知らない。
無口な櫂くんは必要以上に口を開くことがなく、彼と話をしても専ら僕が一方的に喋ってばかりだった。僕の言葉に櫂くんが相槌をうつ、それが僕らの会話の常だったのだ。
だから、彼が自分のことを口にすることもほとんどないまま、僕もそれを知る機会を逸し続けてきたのである。
それになにより、彼自身ですら自分の名前以外の記憶を持ち合わせていないのだから、それ以前の問題でもあった。
彼の記憶が戻れば、彼が何者で、どこから来て、そして元に戻る方法も、わかるのかもしれない。
僕自身も、彼の記憶が早く戻ればいいと願う気持ちは変わらない。記憶がないということがどれほど頼りなく、怖いことなのか、僕に推し量ることはできないけれど、時折寂しげに瞳を揺らす櫂くんを見ては、痛む胸を押さえられなかった。僕で何か力になることがないだろうかと、悩んだ。
その結果、というには些末なことかもしれないが、僕は櫂くんに、新しい思い出をたくさん作って欲しいと思った。
過去の記憶はもちろん大切だけれど、それが彼のすべてではないはずだ。
今この瞬間だって、彼を形作る何かになっている。

僕はそう、櫂くんと過ごしたこの短い時間の中で感じていた。
そうであってほしいと願っていた、というのが、正しいのかもしれないけれど。


 ***


「……」
そんなことを考えながら手元のカードと睨めっこしていた僕は、ふと、カードを捲っていた櫂くんの手が止まっていることに気付いて、その手元を覗き込んだ。
すると、どうやら櫂くんは一枚のカードを一心に見つめているようで、熱い視線がそのカードに注がれていた。
(……ドラゴニック・オーバーロード?)
その翠に晒されていたのは、ドラゴンエンパイアの赤き竜、ドラゴニック・オーバーロードのカードだった。
櫂くんは瞬きも忘れて、それをじっと見つめていた。まるで、それに意識を奪われてしまったかのように。確かに彼はここにいるのに、心はここではないどこかに在るような。少し怖いとさえ思ってしまうくらい、真剣な眼差し。
「それが、気に入った?」
「……いや……」
僕が口を挟めば、櫂くんはハッと我に返ったように肩を揺らして、曖昧に言葉を濁した。
そして、再び手元のカードに視線を落とすと、少し考え込むような仕草を見せる。
「それ、よかったらキミにあげるよ」
「えっ?」
僕の申し出に驚いたのか、今度は目を丸くして顔を上げる。
「僕はそのカードは使っていないからね。それに、キミが持っていたほうが彼も嬉しそうだ」
そう言葉を重ねたけれど、櫂くんはカードと僕の顔とを交互に見つめながら、まだ戸惑っているようだった。
だから僕は、そんな彼の迷いを拭うように、その目を見つめてもう一度頷いてみせる。
そうすれば、櫂くんもまた、決心したように小さく頷いてくれたのだった。

「ありがとう」

そして、その手をぎゅっと握りしめながら、柔らかな微笑みを湛える。
「――っ!」
僕はそんな櫂くんの顔を目の当たりにして、思わず息を呑んでしまった。
それは、あまり表情が豊かでない櫂くんが、初めて僕に見せてくれた笑顔。
ともすれば、見逃してしまうかもしれないくらい微かな微笑み。
「……どうかしたのか?」
僕が面食らっていたからだろうか、櫂くんはきょとんとした顔で首を傾げる。
「い、いや、なんでもないよ」
内心慌てながらも、なんとか平静を装って返したけれど、心のざわめきはおさまりそうになかった。なんとなく落ち着かなくて、そわそわしてしまう自分に困惑する。櫂くんの笑顔に驚いたのは確かだけれど、ここまで動揺することもないのに、と自分でも思う。
恐る恐る櫂くんを見れば、僕の動揺にも気づかず、再び熱心にカードを見つめていた。
僕はそんな櫂くんを眺めながら、浮き足立つ気持ちをなんとか紛らわせようと、再び自分のデッキに目を落とした。


 ***


結局、デッキの調整にすっかり没頭してしまった僕は、自分の腹の虫が鳴ったのと同時に、時計に目を向けた。
「わっ、もうこんな時間か!」
部屋の時計が指す時間を見て慌てた僕は、デッキをケースにしまって腰を浮かせようとソファーに手を突く。
「櫂くん、夕食は何が食べた……」
そのまえに、隣に座っている櫂くんに言葉をかけようとしたところで、はたと止まる。
「……」
振り向いた僕の瞳に映ったのは、ソファーにもたれ掛かって眠りこける、櫂くんの姿だったのだ。
薄く開いた唇からは小さな吐息が零れ、白い頬に少し長い睫が乗る。
視線を下ろせば、その手にはオーバーロードのカードが握られたままで、僕は思わずクスリと笑ってしまった。
よほど気に入ったのだろうか、クールな見た目に反して可愛らしいところもあるのだと、僕はまた一つ、彼のことを知ったような気がして嬉しくなる。
「こんなところで寝ていたら、風邪をひくよ?」
気づけば僕は、無意識のうちに彼に手を伸ばしていて、その額にかかる前髪をさらさらと指で払っていた。
「ん……」
「っ!?」
すると、櫂くんの口から小さな呻き声が零れ、僕の心臓が飛び跳ねる。
もしかしたら起こしてしまっただろうかと、冷や汗をかく。
気持ちよさそうに眠っていただけに途端に申し訳なくなってしまい、咄嗟に手を引っ込めた僕は恐る恐る櫂くんの様子を伺った。
「……」
しかし、僕の心配も余所にすぐに規則正しい寝息が聞こえてきたことに、ほっと胸を撫で下ろした。
これでもう安心だ。僕は今度こそ櫂くんを起こさないようにそっとソファーから立ち上がると、キッチンへ爪先を向ける。夕飯は何にしようか、冷蔵庫には何が残っていたかな、なんて考えながら、ふと違和感を覚えて立ち止まる。
(あ、れ……?)
どういうわけか、僕の鼓動は未だに早鐘を打っていたのである。
櫂くんを起こさずに済んだのだし、もう心配することもないはずなのに、叩きつける心音は激しく、ドクドクと全身に血液を送り続けていた。
心なしか、顔も熱く火照っているような気がする。彼の額に触れた指先も、なんだかじりじりとする。
僕は一体、どうしてしまったというのだろう。

「うーん。風邪をひいたのは僕の方だったかな?」

そのまま額に手のひらを宛てると、僕はぼんやりと天井を見つめた。



自分の身に降りかかる症状に、僕はうまく名前を付けられずにいた。










おわり
(なぜケンちゃんが騎士王を買っていたのかは突っ込まない方向で(笑))













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