闇に惑わされた哀れな奇術師のおはなし




「もう、下がっていいよ」
レンの言葉が、室内に木霊する。
黒塗りの大きな椅子に深く腰を下ろしたレンは、直立する美童に背を向けて、ひらひらと手を振った。
「……」
しかし美童は、そこから動こうとはせず、ただ一点を見つめて立ち尽くす。レンに対して一際忠実な美童が、そのレンの言葉に従わないというのは、殊更珍しいことだった。
「……? どうしたの? 下がっていいよって、言ってるでしょ」
いつまでも退室しようとしない美童に対し、レンは顔だけを後ろに向けると、不思議そうに見つめて言う。
「……」
それでも美童は、レンの顔をじっと見つめるだけで、何も答えない。
しかしその顔は、何か言いたそうな、物欲しげな表情をしていて、それにすぐ気づいたレンは、美童に気づかれないようにクスリと小さく微笑んだのだった。
「美童?」
そしてもう一度、レンは小首を傾げてその名を呼ぶ。
「言わなきゃ、わからないでしょ?」
それから、そう口の端を釣り上げて言えば、美童はようやく、その固く結んだ唇を解いたのだった。

「レン様、今日は……」
零れた声は僅かに震えていて、強く握りしめた拳もまた、小刻みに揺れている。
「今日は…………してくださらないのですか……?」
絞り出すように紡がれた美童の言葉は、二人だけの静かな室内に、小さく響く。
「……」
レンは、きょとんとした顔で美童を見つめていたが、やがて美童から視線を外すと、腕を組んで考えるような素振りをしてみせた。
「うーん? するって、何を?」
そして、のんびりとした口調で、そう尋ねる。
「レン様……っ!」
そんなレンの反応に、美童は耐えきれないとでも言うように、一歩前に踏み出すと声を上げた。
震えはいつしか体中に伝わっていて、全身を打ち震わせている美童の様子は、レンのところからでもはっきりと見て取ることができた。
「……はぁ」
しかし結局、美童ははっきりとは言葉にしなかったものだから、レンは少し不満に思うのだった。思わず、大げさな溜息が口を突いて出ると、だらりと椅子の手すりに腕を下ろした。
そんなレンの様子を見て、美童はビクリと肩を揺らすと、怯えた目でその横顔を見つめる。
しかしレンは、美童の様子など歯牙にもかけず、ゆっくりとその瞼を閉じると黙り込んでしまう。しんと静まり返った部屋で、美童は一人、緊張した面持ちで立ち尽くしていたのだった。

「してほしいなら、ちゃんとお願いしないと、ね? 美童」

どのくらい経っただろうか。目を開けたレンが、椅子の手すりをトントン、と指で叩いて言う。
「……はい。レン様」
それから少し間を置いて、美童は意を決したように小さく返事をすると、椅子に座るレンの前までゆっくりと歩を進めた。
「レン様」
そして正面に立つと、右手を胸に当てて頭を下げ、ゆっくりと膝を折りながらレンの足下に跪く。
レンはそんな美童の姿を、蔑むような目で見つめていた。
「レン様……。僕を……踏んでください」
その美童の言葉を受け、レンは唇に綺麗な弧を描いた。

「……くっ!!」

――刹那。美童の肩に激しい衝撃が走る。
目の端には、レンの黒いブーツが映っていた。ぐいぐいと足で肩を押され、美童は咄嗟に床につく手に力を込めた。
「美童は、なぜこんなことを僕に望むのですか? 本当に、理解に苦しみますね」
踵が骨に当たり、苦痛に美童の顔が歪む。レンは、そんな美童の姿を冷めた目で見つめながら、さらに踵をぐりぐりと食い込ませた。
「く、う……っ、はぁっ」
少しして、踏みつける足の力がふっと抜けたのを見計らい、美童は小さく息を吐く。ところが、痛みから解放されたかと思ったのも束の間、今度はその爪先が美童の頬を撫でるように掠め、白い頬をなぞりながら顎を掬った。
「あっ!?」
美童は、レンの爪先によって顎を持ち上げられる。
強制的に上を向かされて、美童の喉が撓った。
「ひ……っ」
さらに、顔を上げた先でレンと視線とぶつかり、美童の喉から短い悲鳴が上がる。
レンの赤い瞳がまっすぐに自分を見下ろしていて、美童は戦慄を覚える。息が詰まり、頭の中が真っ白になって、自然と唇が震える。
そこには確かに、レンに対する恐怖もあったが、美童にしてみれば、これから起こることに対する期待の気持ちの方が多くを占めていて、その顔には恍惚とした笑みすら浮かんでいた。
「美童」
顎を解放され、そう短く呼ばれると、目の前に爪先を突きつけられる。
美童はなんの躊躇いもなく、むしろ自ら進んでその靴先に唇を寄せると、小さく口づけをした。
「ふふっ」
レンは、そんな美童の姿を見下ろしながら愉しそうに笑う。明らかに蔑まされているのに、美童にはそれすらも喜びに感じられた。
そして彼が、興奮に緩む顔を上げようとした、そのとき。
「本当に、気持ちが悪いですね」
「……っ!?」
レンの足が、美童の体を思い切り蹴り飛ばしたのだ。
後ろに飛ばされた美童は、盛大に尻餅をつく。
一瞬、何が起こったのかわからず混乱する美童だったが、すぐに我に返ると、その顔を上げた。
「あ……」
すると、まっすぐに自分を見下ろすレンと目が合い、美童の体が硬直する。
まるで金縛りにでもあったかのように、後ろに手をついた状態で、指一本、動けなくなってしまったのだった。
そんな美童に対し、レンは再びその右足を持ち上げると、ある一点を捉えてゆっくりとそれを下ろす。
「あっ、レン様、待……っ!」
その足が向かう先をすぐに把握した美童は、思わず躊躇の声を上げてしまう。
しかしそこには、明らかに期待の色が混ざっていて、美童の顔には朱が差し、目にはうっすらと涙が溜まった。
「ほら、こうして欲しかったんでしょ」
もちろん、美童の躊躇をレンが聞き入れるはずもなく、レンの右足は、美童の中心へとまっすぐ下ろされる。
美童にはそれがスローモーションのように見えて、思わずゴクリと生唾を飲み込んでいた。
「ぐぁぁああ……っ!!」
そして次の瞬間。襲い来る激痛に、美童は野獣のような声を上げた。
「あぁ、あがっ……あぁっ」
レンの右足は、容赦なく美童の股間を踏みにじり、美童は激痛に身悶える。あまりの痛みに、意識を手放してしまいそうになったが、なんとかそれも堪える。
額には脂汗が滲み、噛みしめた歯の隙間からは絶えず声が漏れた。
「ねぇ、こんなことされてたら、いつか使い物にならなくなっちゃったりしてね、ここ」
「あ、ぐぁ……っ、くっ、あぁあ!」
「あぁ。でも、お前のような変態には、必要のないものだったかな?」
レンの罵りの言葉も、美童の耳に届いているのかは定かではない。
「あ、く……あぁ、あ」
股間を踏みつぶされてしまうのではないかというほど、足の裏でぐりぐりと躙られ、美童の噛みしめた唇の端からは唾液が垂れる。床についた手は、力を込めすぎて血の気を失い、白くなっていた。
薄暗い部屋には、ただひたすらに、レンの嘲笑と美童の呻き声が響いていた。



「あぁぁ……っ」
美童に変化が現れ始めたのは、それから少ししてからのことだった。
「ふっ、あ……レン様……っ」
苦痛に悶絶するその口から、先ほどまでとは違う、吐息のような声が混ざり始めていたのだ。
「ねぇ、美童……これは一体、どういうこと?」
それに気づいたレンが、踏み躙っていた足を止めると、冷たい声で尋ねる。
レンが少し足を上げてみると、そこは見事に膨れ上がり、白いズボンを押し上げていたのだった。
「なんだか、大変なことになっちゃってるみたい」
レンは、まるで汚いものでも見るかのような目で美童を見下ろし、哀れみの眼差しを浴びせかける。
「あ……っ」
それと同時に、レンの足から解放された美童は、きつく瞑っていた目を開く。僅かに滲んだ視界に映るレンの顔を見つめると、美童は全身を小さく震わせた。
「レン、様……っ、ぁ」
それも束の間、レンの足が再び下ろされる。
しかし、先ほどまでの力任せのそれとは違い、今度は様子を探るように、やわやわと強弱をつけながら器用に足を上下させられる。
「踏まれて喜ぶなんて、とんだ変態だね……美童」
「はっ、ぁ……申し訳っ、ございません……レンさ、ま……ぁっ」
美童は、苦痛や羞恥や快感がぐちゃぐちゃに入り交じった顔で、それを受ける。
「ふふ……」
下からぐりぐりと爪先で突かれ、美童の口からはもう、嬌声しか上がらない。
「う、あぁあ……っ」
すでに完全に立ち上がっている美童のそこを、レンはわざとらしく、爪先で突いたり踵で強めに踏みつけたりしながら、刺激を与えた。
「あっ、あぁ……っ」
そして極めつけに、足の裏を使って下から滑らせるようにして擦り上げると、
「っ、あぁぁぁ……!!レン様ぁ……っ!!」
美童の悲鳴は虚しく部屋に響き渡り、泡沫のように消えたのだった。



「本当に、哀れな奇術師だね……美童」







おわり















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