2DKのふたり





そいつはまるで猫のようだと、俺は思う。

「櫂、お腹がすきました」
突然ふらっといなくなったかと思うと、こうしておなかがすいたと言って姿を現す。
そして、腹を満たして暖を取り、しばらく居座っていたかと思えば、またふらっといなくなる。そんなことが、だいたい数日の間隔で――長いときには数週間に渡ることもあるが――今まで幾度となく繰り返され、もうどれだけの月日が流れたかもわからない。
いつからだったか、どういういきさつだったかなんて、今となってはもうどうでもいいことではあるが、とにかくそんな風にして、俺たちのこの奇妙な関係は成り立っていた。

「櫂」
この、何の変哲もないマンションの一室に。
三日ぶりにレンが帰ってきた。
今回は、長くもなく短くもなく、といったところだろうか。なんとなく帰ってくる予感がしていたので、少し多めの夕食を作ろうと思っていたのが幸いだ。
「……櫂。僕はお腹がすいたのですが」
キッチンに立つ俺のすぐ背後からレンの声が聞こえたかと思うと、そろりと腰に腕を回された。
「もう少し待ってろ」
握っていた包丁を一端置いて窘めるように言えば、レンは俺の肩越しにくんくんと鼻を鳴らして、火にかかっている鍋の匂いを嗅いだ。
「そうですか……」
わかったというようにそう頷いたものの、レンはいつまでも腰に纏わり付いて、離れる様子はない。
「レン、邪魔だ」
だからもう一度、俺は言い聞かせるように念を押す。
「隣の部屋で、テレビでも見ていたらすぐ……」
「でも櫂、向こうの部屋は、寒いです……」
しかしレンは、俺の言葉を遮るようにそう言って、顔を寄せてきた。レンのはねた髪が俺の首筋を擽り、腰に回る腕の力が少し強くなる。

そういえば、今日は夜から冷え込むと天気予報で言っていた気がする。キッチンは火を使っていて暖かいが、何もつけていないと確かに寒いかもしれないと、俺はレンに言われて気づく。
「それなら、暖房をつけてやる」
だから俺は、そう言って腰に纏わり付いたままのレンの腕を取ると、隣の部屋へと連れて行き、暖房のスイッチを入れた。
そうすればすぐに、暖房が起動する機械音と共に生温かい風が吹き込んでくる。
「ここで大人しくしていろ」
そうして、掴んでいた腕を引き、促すようにしてソファーへと座らせれば、レンは少しむすっとした顔でこちらを見上げたものの、結局大人しく言うことを聞いた。
「……」
そして俺は、そんなレンに対して、心の中で安堵と疲労の混じった溜息をつきながら、再びキッチンへと戻ったのだった。


***


レンが俺の前から姿を消している間、あいつが一体何をしているのかは知らないし、問いただそうとも思わない。気にならないと言えば嘘になるが、聞いたところで答えは得られないとわかっているから、俺は何も聞かない。
それにレンも、俺が深く追求しないから……必要以上に踏み込んでこないから、こうしてここに帰ってくるのだと、思うから。
もしかしたらレンには、ここと同じような場所が他にもあるのかもしれないし、ここもまた、レンにとってたんさんある帰る場所の、ひとつに過ぎないのかもしれない。
それでも、そうあることが、こいつにとって居心地のいい場所であり続けることになるのなら、俺はこのまま、この曖昧な関係を続けていてもいいと、思ってしまうのだ。

(それに、深く知り合わない方が、楽でいい……)

この関係に居心地の良さを感じていたのは、レンだけではなかったのだと、気づいたのはいつだろう――

「まぁ、こんなもんだろ」
煮え立つ鍋の味見を終えると、俺は食器棚から二人分の皿を取り出し、レンの待つ隣の部屋に向かった。


***


あっという間に皿を空にしてしまったレンは、ふぅと満足げに息を吐いてソファーに寄りかかった。
こいつの本当の年齢など知らないが、見た目から察するにおそらく俺とさほど変わらない歳だろうと思う。けれども、レンはいつもぼろぼろと食べこぼしては、テーブルを汚した。ぼーっとしているせいなのか、単に食べるのが下手なのか……おそらく両方なのだろうが、こればかりはなんとかならないものかと、呆れてしまう。
そしてそれは、今日も例外ではなく……。
俺は、散らかるテーブルを傍目に頭痛を覚えながら、とにかく食器を片付けようと腰を上げかけた。
「櫂」
すると、ふいに名前を呼ばれて、顔を上げる。
呼びかけたレンはのっそりと立ち上がると、こちら側へと回ってきて、俺の隣に膝をついてソファーに乗り上げた。
「なんだ?」
俺より少し目線の上がったレンを上目に見て尋ねれば、レンは少し眉を下げて呟く。
「櫂……」
そして、相変わらずぼんやりとした調子で、のろのろとこちらに腕を伸ばしてきたかと思えば、その両の手を俺の肩に置いて、言った。
「おなかすいた……」
「は?」
何を言うかと思えばそんなことで、俺は思わずがくりとずり落ちそうになる。
「今食べたばかりだろ」
俺の分まで少し分けてやったというのに、こいつはこの数日間、何も食べていなかったとでもいうのか……?
俺はとにかく呆れかえってしまって、溜息が口を突いて出る。
「そうではなくて、こっち……」
しかし、レンがそう否定するのと同時に――
「な……っ!?」
突然、俺の視界がぐらりと揺らいだ。
眼前には白い天井が広がり、背中はソファーの柔らかな感触に包まれる。
「櫂」
そして、白い天井の代わりにレンの顔が見下ろしてきたところで、俺はようやく、こいつに押し倒されたのだということを理解した。
「何のつもりだ」
「……」
その顔を睨み付けるが、レンは俺の言葉には応えず、そのまま覆い被さってくる。
首筋に顔を埋められ、レンの髪が頬をくすぐった。
「レンっ」
皮膚の薄い部分にレンの唇が触れ、全身に緊張が走る。
そのまま、レンは首筋を唇で舐めるようになぞりながら、シャツの上から手を這わしてきた。
「レン、やめろ……っ」
のし掛かるレンを押しのけようと伸ばした手は、レンの左手によってあっさりと掴まれてしまって、驚く。
レンの力は思った以上に強く、振りほどくことができなくて焦燥が走った。
「あ、待て……んっ」
制止する言葉など聞かず、シャツの中に侵入してきたその手の冷たさに、ぞわりと鳥肌が立つ。
レンの冷たい指は、その持ち主の性格を表すかのような緩慢な動きで、弧を描きながら肌を遡っていく。
「……あっ」
しかし不思議なことに、触れられたところからは熱がこみ上げてきて、次第に全身が火照っていくのだった。
「レン……っ!」
そして、張り上げた声が僅かに震えていることに気づいたときには、俺の下腹部はすでに熱を持ち始めていて。
両太股の間に挟まるレンの膝が、そこをぐいぐいと押しつけてくる。
「あっ」
レンのそれが、無意識なのか意識的なのかは知る由もないが、いよいよ本格的にやばいと思い始めた俺は、掴まれていない方の手を、レンの胸に押し当てて言った。

「……するのか?」

低く呟いたその言葉を聞き留め、レンは寄せていた顔を離すと、赤い双眸でじっとこちらを見つめて答える。

「櫂は、したくないのですか?」


***


レンとの行為は、初めてではない。とはいえ、数えられないほど、というわけでもない。何度行為に及んだかなど、いちいち数えていないし、覚えていないからわかるはずもない。
ただいつも、なんとなく。こうやって唐突に体を求めてくるレンに流されるままに、俺は体を開いていただけだ。
レンが何を思って俺を求めるのか、それもまた、俺は知らないし追求もしない。
そして、俺が何を思い、なぜ体を開くのかも、深くは考えない。
「……」
だから俺は、もうそれ以上は何も言うことができない。レンもそれをわかっていて、手を止めないのだろう。

「ところで、櫂」
レンが、ジーンズの厚い布越しに俺自身に触れながら言う。
「なんだ」
「これ、脱がさなきゃいけませんか?」
「っ、当たり前だ、汚れるだろ……っ」
「そうですか……仕方ないですね」
面倒くさいのですが……そうボソボソと文句を言いながら、レンは小さく溜息をつくとチャックに手を掛けた。それから、もたもたと頼りない手つきで、ジーンズと下着を脱がしていく。
「……ふっ」
そのゆっくりした動きがあまりにももどかしくて、少し苛立つ。無意識に、太股を擦り合わせている自分が浅ましい。
布が擦れるだけで声が溢れそうになり、このほんの少しの時間が、俺にはひどく長く感じた。

「ああ……。やっぱり、櫂は綺麗だ」

そして、ようやく俺の穿いていたものを取り払ったレンは、うっとりと目を細めて、俺を見下ろすとそう言った。溜息混じりのその声に、俺は不覚にもぞくりと体を震わせてしまう。
一体、俺のどこが綺麗なのか、レンの言っていることは甚だ理解できないが、あまりじっと見られるのは、やはり落ち着かない。
「あまり、見るな……っ」
そう言えば、レンは不満そうな顔をしたが、すぐに口元に笑みを浮かべる。
「見られて興奮しましたか?櫂」
弧を描くレンの口から、妖艶な声で囁かれ、ずくりと下半身が疼く。
「櫂のここは、随分元気みたいですねぇ」
それから、レンの手が俺のそこに直接触れてきて、声を上げそうになったところを寸でのところで堪える。
やわやわと揉み拉かれ、慌てて腰を引こうとしたが、強く握りしめられてはそれもままならない。
「だ、まれ……っ」
そんな俺の言葉にも、レンは嬉しそうに微笑んで、自身を握り込んだ手を激しく上下させた。
「ぁ……っ、ん、くっ」
「もうこんなに出てきていますよ? あぁ、手がべたべたじゃないですか……」
「っ、だま、れ……と言って……あっ」
レンは急に饒舌になると、目を細めて俺を見下ろしながら、蔑むように言う。
どういうわけか、行為になるとレンの性格が少し変わるような気がする。気にしているうちにいつも行為に溺れ、結局流されてしまっていて。
そして、いつしかそれが当たり前になってしまっているのだけれど。
「一度、イかせてあげましょう」
「や、レン……あっ、あぁ……っ」
あっというまに絶頂まで高められ、抗うこともできないまま、俺はレンの手の中に熱を吐き出した。
「こんなにたくさん……溜まっていたんですか?」
「……っ」
そう言って俺に見せつけるように、レンは手についた白濁を舌で舐め上げた。
それを目の当たりにして、かぁっと顔に熱が集まり、俺はそこから咄嗟に目を逸らす。
「そんなに恥ずかしがることないでしょう?自分のものなのに……」
レンは、心外とでもいうような調子で言う。
さすがにそれには、ひとつ反発でもしてやろうと声を上げかけたのだが、結果的にそれは、レンによって阻まれてしまった。
「あっ!?」
レンの濡れた指先が、後ろの窄まりに触れたのだ。
「レ、ン……っ」
細い指がゆっくりと中に入ってきて、俺はぐっと息を呑んだ。
何度体を重ねても、この異物感にだけは慣れない。
「……ん、あっ……ぁ……うっ」
くねくねと関節を曲げながら、徐々に中を開かれていく。否応なく声が零れそうになるのをなんとか押さえようと、俺は唇を噛み締めた。
「櫂。そんなに噛んだら、唇が切れてしまうでしょう」
しかし、レンはそれを許してはくれず、自分の唇を俺に重ねると、舌をねじ込んで強引に割り開いた。
「ふっ、ん……ぁ」
口内に侵入してくるレンの舌は熱く、混ざり合った唾液が口の端から零れ落ちる。
「んっ」
さらに、そちらに気を取られている隙に、中を蠢く指の本数も増やされていて。
「んっ、んぁ……ふ、あ」
圧迫感と異物感に不快を感じながらも、指が内壁を擦るたびに生まれくる快感には逆らうことはできず、中心に熱が集まっていく。
「レン…っ」
体の中でぐるぐると渦巻くそれを、俺はもう、とっくに持て余していた。
「あっ、も、はやくしろ……っ」
レンも、それを見越していたのだろうか。
ずるりと指を引き抜かれ、今まで押し広げられていたそこに、ぽっかりと喪失感を感じる。
しかしすぐに、レンの猛るものがぐっとめり込んできて、息が詰まった。
「くっ、はぁ……っ、あぁあっ」
最初はゆっくりと腰を進めてきたレンだったが、幾分か入ったところで一気に奥まで穿ってきたものだから、俺の目の前にチカチカと光が走る。
「櫂……っ」
「んっ、……ぁあっ」
レンは一度息をついてから、腰を引くと一気に律動を始めた。
「はっ、櫂……っ、かい……!」
奥を突いてくるレンの動きは、普段のレンからは想像もつかないほど激しくて、俺はうまく呼吸ができなくなる。
「はっ、ん……あっ、ふ」
がくがくと揺さぶられながら、歪む視界でレンの赤い髪が揺れるのを、ぼんやりと見つめて――
気づけば俺は、レンの髪に手を伸ばしていて、その頭を抱えるように抱き締めていた。
「櫂っ、櫂……っ!」
腰を打ち付けながら、レンが何度も俺の名を呼ぶ。
「あっ、ん……っあぁ」
しかしその声も、次第に遠くなってきて。
奥を突かれる衝撃と、襲い来る途方もない快感が、俺の全身を支配していく。
「櫂……っ、ずっと、僕の――――」
だから、レンが何を言っているかも、しっかりと聞き取ることができずに……
「あぁっ、レン……っ!!」
ただ、覆い被さるその体の温かさに、俺は身を委ねた。



居心地がよかったはずのこの関係に、いつしか物足りなさを感じていた自分の、心の隙間を埋めるように――



ただ、それでも一つだけはっきりしているのは、俺はレンがいつ帰ってきても、また温かいご飯を作ってやるのだろう、ということだけだった。









おわり
















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