スタートライン






「こんなところで寝ていたら、風邪をひきますよ?」
公園のベンチで昼寝をしていると、頭上からそんな声が降ってくる。ゆっくりと瞼を持ち上げれば、目に鮮やかな赤髪が視界の淵でさらさらと揺れていた。
「おはようございます」
昼下がりの公園には太陽が惜しみなく降り注ぎ、俺はその逆光に目を細めながら声の主を見上げた。
「……レン」
呟けば、はい、と短い返事が返ってくる。
影になったその顔には柔らかな笑みが湛えられていて、それは俺の心を凪いでいく。
「何の用だ」
「おやおや。せっかく遠路遙々会いに来たというのに、随分と冷たいんですね」
「呼んだ覚えはない」
「それは照れ隠しですか? 櫂のそういうところ、可愛くて僕は好きですよ?」
笑みを絶やさぬまま、むしろ先ほどよりも愉しげな声音を含ませて言うレンに、俺は腹の底から込み上げてきた溜息を盛大に吐き出した。
きっと、これ以上何を言っても無駄なのだろう。決して忘れていたわけではないが、こいつはこういうヤツだった。
「お前、ここまで一人で来たのか?」
「え? えぇ、テツに電車の乗り方のメモを書いてもらったんです。それから地図も……ほら」
気を取り直して訊ねれば、レンは誇らしげにポケットから紙切れを取り出すと、俺の目の前に突き出した。
手のひらくらいの大きさの紙には、懇切丁寧かつ明確に、レン住む最寄りからこの街までの経路が書き連ねられていた。そんなことをしなくても、今のご時世道すがら調べる手段なんていくらでもあるというのに、そこからテツの気心が見て取れるようで、俺は内心で苦笑せずにはいられなかった。
さすがレンの幼なじみなだけあると言えばそれまでだが、レンからPSYクオリアがなくなった今も、結局あいつの苦労は昔から変わらないのかもしれないと思うと、同情するより他にないというものだった。
「だが、どうしてここがわかった?」
それでも、俺には一つ疑問に思うことがあった。
その紙には、この公園の場所までは書かれていなかったのだ。テツとしては、駅に着いたら俺に連絡しろだとか、そうレンに言い聞かせていたのだろうと思うのだが――なぜならその紙には、ちゃっかり俺の携帯番号が書かれていた――しかし、俺はずっとここで寝ていたし、もちろんレンからも連絡は来ていない。
「うーん、KAIクオリアというやつでしょうか?」
「……なんだそれは」
「まぁ、簡単に言えば櫂探知機みたいなものです」
「……」
眉を顰める俺に対し、人差し指を立ててなぜか自慢げに言うレンに、俺はほとほと呆れかえってしまう。
「とにかく、何をしに来たのかは知らないが、用がないなら――っ、くしゅっ!」
それから、レンを窘めようと口を開いた途端、むず痒さと共に込み上げてきたくしゃみによって、俺の言葉は遮られてしまった。続けて、寒気を感じてぶるりと体を震わせる。
「ほらほら、こんなところで寝ているからですよ」
「そんなんじゃない」
「またそうやって意地を張って……。と、まぁ、いいです。とりあえず何か羽織るもの……あっ!」
「?」
「そういえば、コートは置いてきてしまったんでした」
言われてみれば確かに、今日のレンはあの暑苦しそうなコートを羽織っていなかった。
「お前の方がよっぽど薄着じゃないか」
もう秋も随分深まるこの季節、臙脂色のシャツ一枚では、いくらなんでも寒すぎるというものだ。
「これでも、下にヒートテックを着ているからほかほかなんですよ? ほら」
「捲らなくていい」
「えっ? そうですか?」
……ひどく頭痛がするのは、おそらく気のせいではない。レンと喋っていると、どんどんレンのペースに巻き込まれてしまうから敵わない。
「それに僕は、櫂みたいに屋上で寝ていたら雨に降られて風邪をひいた――なんてことにはならないから、大丈夫です」
「……お前、まだそんなことを覚えていたのか……」
「えぇ、もちろんです」
俺でさえ今の今まで忘れていたことを……というより、なかったことにしたはずの過去をいきなり掘り返され、思わず言葉を詰まらせる。
「そのあと、テツと二人でお見舞いに行ったときのことも覚えていますよ」
「そんなことは……なかっただろ」
「おや? 忘れてしまったなら思い出させてあげましょうか?」
歯切れ悪く答えれば、レンはそう言って口の端を釣り上げ、何か企んでいるような瞳で俺を見つめた。
「どういう、ことだ……?」
そんなレンを訝しみながらも、紡がれた言葉の意味をすぐに理解できないでいる俺の顔に、すっと影が差す。
それが、レンの顔が降りてきたせいだと気づいたときには、俺の口はレンの唇によってしっかりと塞がれていた。
「――ッ!!」
突然のことに目を丸くしていると、あろうことか舌までねじ込まれて、俺の動揺はますます膨らむ。
「んっ、……っ、んぅ、っは、ふ……っ」
口内をレンの舌に貪られれば、否応にも体が熱を持ち始めてしまう。じんじんと芯に痺れを感じ、さすがにやばいと思い始めた俺は、渾身の力でのし掛かるレンの胸を突き放した。
こいつは、一体ここをどこだと思っているんだ。
「っ、なにす……っ!」
「ふふっ」
そして、なんとかレンを引き剥がすことに成功した俺は、慌てて上体を起こすと辺りを見回した。
「別に、見せつけてやればいいじゃないですか」
人が見当たらなかったことにほっと胸を撫で下ろす俺に、レンは不満げな顔をして言うものだから、冗談じゃないとその顔を睨み付けてやる。
「そんなことより櫂。思い出しました?」
しかし、そんな俺の視線など特に気にもしない様子で、レンは言葉を続ける。
「風邪をひいた櫂のお見舞いに行ったときのこと。櫂がプリンを食べたいと言うので、それなら僕の分もとテツにお願いしたじゃないですか」
「……」
「それから、テツがコンビニに買い物に出て行ったあと、僕が、櫂の……」
「それ以上言ったら殺す」
「それは困りますね、僕はまだ死にたくないですから」
レンは大袈裟に肩を竦めると、口元を緩める。
「……チッ。お前、こんなことを言うためにわざわざ来たわけじゃないだろ?」
俺がギロリと睨み付ければ、レンは小さく息を吐きながら眉をハの字にして、それからやれやれと呆れ気味に笑った。


「わかっているくせに」


手を差しのべるレンの顔が、いつかの屋上でのそれと重なって見えた。






おわり
(二期EDで櫂くんを迎えに来た影の正体がレン様だったら…イメージでした)













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