ありがとう、よろしく




夢を見ていた。
夢の中の僕は、荒野で戦う一人の戦士だった。周りに仲間は一人もおらず、おそらく敵であろう、同じように鎧を纏った戦士や、ドラゴン、見たこともないような怪物たちに、ぐるりと周りを取り囲まれていた。それはまさに、四面楚歌。
僕は、そんなもう一人の僕の姿を、空から眺めているのだった。

戦場の僕は、牙を剥いて剣を構えていた。しかし、こんな状況でもその顔に絶望の色はない。なぜなら僕は、絶対の力を手にしていたから。他の誰がいなくとも、誰も認めてくれなくとも、僕は僕一人のこの力で、どんな強大な力も打ち負かすことができると、そう思っていたからだ。
その原動力はきっと、いつのまにか溢れ出してとまらなくなった、深い深い憎悪。そして、寂寞。
「――」
微かに、悲鳴が聞こえる。それは荒野に立つ彼の、声にならない声。なぜわかるのかと言えば、彼も同じ僕だから。
絶望的なこの状況で、それでも絶対の自信があるはずなのに、彼は悲鳴を上げる。誰にも聞こえない、僕にしか聞こえない声で。それは行き場を求め、彼の体の中を渦巻く。それを聞いていると、僕は途端に胸が苦しくなって、耳を塞いでしまいたくなった。
「――」
するとまた声が聞こえた。しかし今度は、先ほどとは違う、他の誰かの声。
「――レン」
もう一度、今度ははっきりと聞こえたその声に、僕ともう一人の僕が、同時に顔を上げた。
僕は、この声を知っている。僕はこの声に、またこうして名前を呼ばれることを、ずっと願っていたのだと思う。
なかったものと、忘却の彼方に捨て去ったはずの記憶が、呼び覚まされる。温かくて優しい思い出たちが、残照のようにキラキラと輝いている。

(僕たちは、随分遠回りをしてしまった……)

近づいて、離れて――それから引き返して差しのべられたその手を、僕は冷たく突き放したのだ。

「――」
声に呼応するように、戦場の僕が雄叫びを上げた。それは悲痛な叫び。僕のところからではよく見えないけれど、もしかしたら彼は、涙を流していたのかもしれない。

「……レン、目を覚ませ……レン……」

空のかなたから、僕を呼ぶ声が聞こえる。
ねぇ。キミはまだ、そこで一人で戦うのですか?
僕はそろそろ、あちらへ行きますよ――


 ***


「……」
白い天井がぼんやりと映る。
全国大会が終わり、会場を後にしてからの記憶は朧気だったけれど、どうやらしっかりと帰ってきてはいたようだ。
しかし、なぜかソファーで眠っていたせいで、体の節々が少し痛んだ。臙脂色のTシャツ一枚で寝ていたせいか、急に肌寒さを感じて、僕はぶるりと体を震わせた。
変わらない部屋。脱ぎ捨てられた服に、散らばるカード。僕以外誰もいない、静かな部屋。
それは昨日、決戦に向けてこの部屋を出たときとなんら変わらない景色のはずなのに、まるで初めて見た風景のようにすら思えた。
まだ完全に覚醒しきらない僕は、それでも上体を起こそうと、ソファーに手をつく。

「いつまで寝ているつもりだ、レン」

すると、そんな声が耳に飛び込んできて、ハッと顔を上げる。
「……どうして……」
息が止まるかと思った。それは確かに、夢の中で聞いたのと同じ、大切で、大好きな、櫂の声だった。
なぜ櫂がここにいるのかとか、僕は一体どんな顔をしたらいいのかとか、考えることはたくさんあったけれど、それもすべて、込み上げてくる熱いものに押しつぶされてしまった。
それでも僕は、なんとかそれを堪えようと、ぐっと唇を噛みしめる。
「そんな顔をしてどうした? 朝食ならもうとっくにできてるぞ」
僕はきっと、とてもおかしな顔をしていたに違いない。櫂は呆れた様子で僕を見て、小さく溜息をついた。
「櫂……」
ぽつりと呟く。ソファーに座り込んだまま、僕は動くことができなかった。
櫂はそんな僕から視線を逸らすと、ふと足下に落ちていた僕の服に気づいて、それを拾い上げる。
「レン、少しは部屋を掃除しろよ」
それからその服を目の前に掲げ、眉根を寄せてそう言った。
「僕は、片付けが苦手なんです。知っているでしょう?」
「せめて服くらい畳め。皺になるだろ」
「それなら……。それなら櫂が、畳み方を教えてください」
「……仕方のないやつだな」
櫂はそう言ってやれやれと溜息をついて、それから少しだけ、微笑んだ。
僕はその微笑みに、心が満たされていくのを感じた。僕にそんな権利があるのかはわからないけれど、それでも今は、今だけは、この喜びを、幸せを、噛みしめてもいいのだろうか。
「だが、その前に朝食だ」
そんな僕に対し、櫂は持っていた服を手早く畳むと、それを棚において背を向けた。
「あっ! 櫂、待ってください! 僕、コーヒーには砂糖とミルクを――」
そのままキッチンへと消える櫂に、僕は思い出したように声をかけながら、慌てて立ち上がろうとフローリングに足を下ろす。
「――あっ」
その時、ソファーに捏ねてあったコートが滑り落ちて、そのポケットに入っていたデッキが床に散らばった。
「わっ、いけません……っ」
僕は慌ててそのカードたちをかき集めると、それを手に抱えて顔を上げる。


「……櫂?」


ところが、そこに櫂の姿はなかった。

美味しそうな朝食も、湯気を立てたコーヒーもない。
「……」
そこにあるのはただ、乱雑に広げられたカードと、脱ぎ捨てられた服と、それからただ一人の、僕。


「僕は一人で、何をやっているんでしょうね……」


込み上げてくるのは、自嘲だった。
しかしなぜだか清々しく、そして温かな気持ちでいる僕がいる。
とても不思議な気分だ。でも悪くない。
それもきっと、この手の中にある温もりのおかげなのだろう。
これがあれば、僕たちはきっと、また笑顔で向き合うことができると思うから――

だからそのときまで、



「ありがとう、よろしく」



僕は手の中の絆を、ぎゅっと握りしめた。






おわり
(アニメ一期お疲れ様でした。すべての人にありがとう。)











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