小説 | ナノ


「…元気でね」
「うん。夜天くんも、ね?」

最後に交わした言葉はこれだけだったけど。
それで充分だった。お互いに。


『優しい風』


穏やかに、緩やかに、この星は息を吹き返した。
破壊によって荒れた大地には草木が芽吹き、腐敗し濁った湖は澄んで魚が泳ぎ回る。小さな生命の輝きは日に日に数を増し、そして新たな命を紡ぎ星を癒していく。
復興に費やした時間はとても短いものとは言えなかったが、それでもこうして故郷に再び平穏が訪れたことに彼女は安堵し胸を踊らせた。
足元に広がる緑がずっと遠くまで続いているのを見て、彼女…ヒーラーは目を細めた。
「もう大丈夫ね…この星は」
宮殿からずっと離れたこの場所も、すっかり以前の姿を取り戻したよう。キンモク星の現状を把握する為にここまで足を運んだ訳だが、仲間には良い報告が出来そうだ。
ヒーラーは空を見上げる。うっすらと橙が広がるそれは、産まれた時から見慣れた空の色だ。このじんわりと暖かみを持つ色が彼女は好きだった。
だけれどふと思い出す。青が広がる景色も結構綺麗だったな、と。

突如、ざわりと風が吹いた。背中を押すように流れた空気は銀の髪を絡め取り散らせる。
まるで何かを追い立てるような力強い突風は、ヒーラーの五感を刺激し、ある異変に気付かせる。
心臓がドクリと跳ねた。

「そんな…まさか…」

ヒーラーは目を見開いたまま空を、その先の宇宙を見つめる。
感じる。
確かに、それは。

「…っ!」
地を思い切り蹴った。早く、速く!高鳴る心臓に追い立てられるように、ヒーラーは宮殿への帰路を駆け抜けた。



初めはただうるさい奴だと思った。
青い星で夜天として過ごす日々は苦しいことや苛立つことばかりで。気ばかり焦って肝心のたった一人の人は行方知れずのまま。大気も星野も妙に地球の環境に適応しているのも腑に落ちなかった。
自分はとても馴染めそうにない、というより馴染む気など起きる訳もなく。ただただ己の命を懸けるべき女性の姿を、それだけを求め続けていた。
だけれどいつしか、肩の力を抜くことも必要なのかもしれないと気づいた。焦りすぎていたのかも、と。
そう考えることが正しかったのかはわからない。だけど事実、少し心に余裕が生まれたことはプラスなったし、今振り返ってもあの星での経験は有意義なものだった。
出会えて良かった。彼女達に。
だけれど同時に出会わなければ…と考えてしまうこともある。…彼女に。
「こんな時だからこそ、夢を諦めない」
そう凛と強い眼差しを見せた彼女に。



地面をひたすら蹴り続ける。やっと半分戻ったところか。速さには自信がある。きっとすぐに戻れる。

思い出すのは、あの時から止まってしまっているその姿。
今回だけじゃない。もう何度となく脳裏をよぎった。
その度に「あたしはまだ頑張れる」と呟いた。
胸の奥を暖かくさせてくれる。だけど少しツキンと痛む。それが心地よくて愛しく思っていた。
忘れない、忘れることなど出来る訳がないその輝きが、何故。

「お願い、待ってて…!」

近づいてくる。この星に。
その懐かしく美しい輝きは迷うことなく宮殿へと向かっている。
星の輝きに敏感なヒーラーだからこそすぐに気付けたもので、他の仲間は今頃やっと感じている頃だろう。
目的はわからない。良い知らせなのか悪い知らせなのかすら。一瞬、最悪の状況が思い浮かぶ。ヒーラーは目を細めるとかぶりをふった。

風を切る音がゴオゴオと耳元で騒ぎ立てる。頬を擦れていく空気は少しヒヤリとしていて。それは青い星、地球の空気を思い出させた。

あの子に惹かれたのはいつだったか。
突っぱねて、突っぱねて。それでももう認めるしかない程に気持ちが膨れてしまっていたのは。
何も考えていないように見えて、実はとても強いのだと知ったのは。


見慣れた宮殿が目前に迫る。
息苦しさよりも全身を駆け巡る血の
、ドクドクと脈打つ激しさに酔いそうだった。
足下の地面は石畳に変わり、ブーツの底がカツカツと音を立てた。せわしく響いていたその音色は一人の女性の前で鳴り止んだ。
黄金色の髪をサラサラと風になびかせた彼女の蒼い瞳は、ヒーラーの姿を捉える。

「久しぶりね、ヒーラー」

そう囁きにこりと笑う彼女は、あの頃より一層綺麗になっていた。

「…どうして?」
口から絞り出た言葉はとても愛想の無いものだった。他にもっと言いたいことはあったはずなのに。
ヒーラーの一言に彼女はあの頃を懐かしむように、ふふっと笑ってみせた。
「この度我らが王女、プリンセス・セレニティはプリンス・エンディミオンとの結婚及び戴冠式を行う運びとなりました。つきましてはぜひご列席賜りますようお願い申し上げたく、招待状をお持ち致しました」
すらすらと紡がれる言の葉に途切れてしまった二人の時間を実感させられる。
いくら大きな祝い事とはいえ、わざわざこの星を探し当ててまで招待するその意図は。彼女の弧を描いた口元と潤んだ瞳を見れば答えは簡単だった。
「…そう」
ヒーラーは一言だけ返事をすると彼女との間合いを詰める。小気味良い靴音が普段よりも速いテンポで響き、その勢いのまま彼女の身体を掻き抱いた。

抱き締めたその身体は温かく、確かに今ここに存在している。
指先が少し震えた。それを誤魔化すようにさらに力を込める。
きつく抱き締められた彼女は同じように応えてきた。彼女の息遣いが耳元ではっきりと聞こえる。時折呼吸が乱れるのは恐らく泣いているからだろう。
「ねえ、ヒーラー?今だけ…少しだけでいいの。あの頃に戻りましょう?」
少しだけ鼻声になった彼女が囁いた。
次の瞬間。彼女は変身を解いてみせた。
ヒーラーは腕の力を緩めその姿を確認する。

−やっぱりあの頃より美人だ。

輝くような金色の髪も。涙を滲ませる蒼い瞳も。口角の上がった艶やかな唇だって。
ずっとずっと記憶の中で反芻してきた姿よりも美しかった。

「お願い」

ヒーラーは目を伏せた。
彼女はちゃんと解っている。
あの頃になんて戻れやしないことも。
それでも。
出来れば自分もあの頃の姿で再会したい。あの煩わしくも魅力的だった日々が脳裏を掠めていく。


そっと目を開ける。
久しぶりの身体の感覚は、より懐かしさを引き立てた。
目の前で驚いた顔をしている彼女の瞳からは次々に涙が零れ落ち、頬を伝っていく。
「夜天くん…!」
うわぁんと更に泣きじゃくる彼女の姿は思い出の中のそれと変わらなかった。

不思議だ。
もう、会うことはないと思っていた。
それでも未練なんて無かった。
彼女のことは己の人生の中の一瞬の煌めきとして、心に残る思い出となったはずだった。
それなのに。

掻き毟りたいほどの熱が身体の内側から押し寄せる。胸を高鳴らせ、喉を引っ掻き、目の奥を熱くする。

ああ。
僕は。


再度彼女の身体を抱き締めた。
さっきよりずっと華奢に感じる。
細くて、柔らかくて、うっかり手を放したら消えてしまいそうだ。
「夜天くん…」
耳元で囁かれた名前に、頬を温かいものが伝うのを感じた。
「美奈……僕は自分で思ってたよりずっと、君に会いたかったみたいだ」
「泣いてるの…?」
「美奈よりはマシ」
「だって私もずっと…会いたかったんだから」



いつだって、己の使命を誇りに思う。
命を懸けて守り続けたい大切な人がいる。
その事に疑問を持つことなんて無い。
それでも。
一人の人間として、一人の女性に惹かれてしまった。
彼女がずっと隣にいる未来を全く想像しなかった訳じゃない。
だけれどそれは絶対に叶わないのだ。

なぜならお互いにもっと大切なことがあるから。

それなら彼女への想いは不必要なものなのか?と聞かれれば、それは違うとはっきり言える。

彼女は自分では考えつかないようなことをあっさりとやってのける。
驚かされることばかりだが、同時に変にねじれて固まってしまっている観念を壊してくれる。そうして気付ける事もあるのだ。

現に今、こう思う。

彼女を好きになって良かった、と。


吹き抜ける風は、二人を優しく撫でるように通り過ぎていった。


fin.

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