小説 | ナノ

この夜を、この景色を、この世界を、キミと見られたこと。

本当に嬉しく思うから。


『勇敢な君と共に』


日本の冬は寒い。
北風はひどく冷たいし、吐く息は白くなる。足先だって冷えて痛くなる上に、鼻が赤くなったりもする。
もっと過酷な寒さが訪れる国だってあるさ、と言われれば確かにそうなのだけれど。それでもやっぱり寒いものは寒い。
ついうっかり冷え切った廊下を裸足で歩いてしまえば、足先どころか足首あたりまで感覚がおかしくなってしまうんだから。

「ただいまぁ」
とリビングの扉を開ける。
広過ぎず、狭過ぎない日本において極一般的な造りのその部屋には、この時期だけの特別な家具がテレビの前を陣取る。そう、こたつだ。
最近は利用する家庭も幾分減ってきているようにも思われるが、ここ橋本家では毎年大活躍の冬のマストアイテムだ。しかもご丁寧にこたつの中央には籠に入れられたみかんまで置いてある。完璧だ。
ただひとつ違和感を唱えるとすれば、「おかえり」とこちらに顔を向けた少年の顔立ちや髪の色は、どことなく日本人のそれと違う。その少しこの部屋の景色から浮いている様が、ナツミにとってはなんともむず痒くもあり、また当たり前の日常へとなりつつもある。

「外すっごく寒いよ〜!」
言うなりナツミはコートも脱がず少年…ソルが座っているのと反対側のこたつ布団を捲り足を中に入れる。
向かい合ったソルは少しだけ眉を寄せて「着替えて来なくていいのか?」と言った。
「ちょっとだけあったまってから」
「皺になるぞ、制服」
「足が冷たくてさ」
「なんで裸足なんだ」
「水たまり事故?車が横を通った時に靴下が」
そういえば昼過ぎに少し降ったな、とソルは納得したように呟く。そのまま籠のみかんに手を伸ばした。
彼の呑気な返事と態度にナツミの悪戯心が疼く。
「ほら冷たい!」
言うなりこたつの中で胡座をかいていたソルに足を押し当てる。
偶然、しかし狙い通り、くるぶし丈の靴下とズボンの裾のわずかな隙間に当たった。こたつでぬくぬくと温まっていたソルの肌に、ナツミの体温が下がった足を直接当てられ、彼はうわっ!と顔をしかめた。
「冷たい」
恨めしそうな顔で不満をたれるソルに、ナツミは
「ごめんごめん」
と笑う。
じとりと細められた眼差しはまだ何か言いたげだったが、彼は何も言わず、蜜柑の皮を剥いていく。
実の白い筋も丁寧に取り除いていく様子は慣れたもので、この世界での暮らしぶりも板についてきたなぁ…などと感じる。
日中はナツミは学校があるためソルはフリーになるが、近所の図書館に行ったり家でテレビを見たりして過ごしているらしい。(どちらも彼には大層面白いのだそうだ。)
たまに母親の仕事休みの時には二人で買い物に行ったりもしているようで、それなりにこの世界を楽しんでくれているのかもしれない。
ナツミはというと、自分の生まれ育った環境に一生懸命馴染もうとするソルに胸がむずむずと疼いてしまう。それは喜びが大半なのだが、それだけではない。

ナツミも一つみかんを取り皮を剥く。取りやすい白い筋だけ大雑把にとってから口に放り込む。程良い甘みと酸味が口内に広がった。
細かく筋取りをしていたソルもようやく一房食べた。もぐもぐと口を動かしている彼はなんだか可愛らしい。
のんびりとした時間。だけれどあっちの世界にいた頃とは違う過ごし方。今、彼が食べている蜜柑はあの世界には存在しないし、こたつだってありはしない。ナツミにとっては当たり前にあるもの一つ一つが、彼にはどんな風に映っているのだろう。
彼女の見立てた洋服を身に纏い、様々なことに物珍しげな顔を浮かべるソルは、この世界のどんなことに興味があるのだろう。
思いつくことは出来る限り見せてみたいし、知ってもらえるのは嬉しい。だけど、どこにでもいる普通の女子高生であるナツミが出来ることはほんとにささやかなもので。それでも自分も彼も楽しんでいるから良いと言えば良いのだろうけど。
ふと、不安になる。
ここはソルにとって居心地は良いのだろうか。
家やビルがひしめき合うように建っている街並み。アスファルトで舗装された道路には多くの車が行き交う。ナツミでさえふとした時に窮屈に感じるその景色。今では大分慣れたようだが、最初は興味深そうに眺め、そして、どことなく落ち着かない様子だった。
他にも心配なことはあるが、なによりも戸籍のない彼は様々なことが制限されてしまう。現に今ソルは学校に通えない。そしてこれから先も何かしら生きづらい世界に身を置くことになるのだ。

「ね、ソル」
「なんだ?」
「ちょっと今夜出掛けない?」
「夜に?」
「そうそう。夕飯食べてからくらいがいいかも」
「わかった。どこに行く?」
「それはお楽しみ〜!」
どうやら何か考えがあるらしいナツミのにこにこした顔を眺めながら、ソルはまた一房、蜜柑を口に放り込んだ。


橋本家の夕飯はだいたい20時頃だ。家族全員揃う時もあれば、父親は残業でいない時もある。今日はまさにその日だった。
父親不在の食卓はいつもより会話が少ない気がする。かといって父が良く喋る訳でもなく、ただなんとなくそう感じるだけなのだろう。
食事を終えたソルとナツミは母親に出かける旨を伝えると、手早くコートとマフラーを身につけて玄関の扉を開けた。
びゅう、と昼間よりさらに冷たくなった風がぶつかって来る。
「ひぇ〜寒いっ!」
首を縮めるナツミの息は街灯のぼんやりとした光の中に溶けていった。
隣を歩くソルもまた、同じように白い息を吐き出す。
昼間降った雨の跡はほとんど消え失せていたが、側溝や日陰だったらしい場所はまだ湿っている感じがある。
ヒリヒリと頬を刺すような寒さに混ざる、冬の匂いは凛としていて。
目的地に向かうナツミの足取りは軽やかだった。対して外に出たことを若干後悔し始めているソルの足運びは重い。
それでも彼は歩き続ける。彼女が目指す目的地まで。

「ついた〜!」
とナツミの弾んだ声が響いたのは高台にある公園だった。
両手を広げ走り出した彼女の後を、ソルは少し早めの歩調で追いかける。
「公園じゃないか」
なにもこんな時間に来なくても、と続けるソルに、振り返ったナツミはにいと白い歯を見せた。
「いいから!こっちこっち!」
手招きをしてまた走り出す。そんなに広くない公園だ。奥まで行くのはすぐだった。端に並んだ柵に手をかけもう一度こちらを見るナツミの顔は満足気で。
「ね、ほら、見て!」
と外に視線を送る。
追いついたソルも同じように外を見やった。
「すごいでしょ?」

眼下に広がっていたのはこの街の風景だ。高台にあるおかげで家々の灯りや街灯が小さな光の粒になり、黒いキャンパスに散らばっている。普段良く行く大型商業施設の看板や、信号機の赤青黄色にちかちかと変わる様子も、まるでおもちゃの電飾のように輝く。その世界を、車のライトがあちこち動き回る様はなんとも美しかった。
今まで見たこともないであろうその光景に、ソルは目を大きくさせてじっと見入っている。
「これがあたし達の住んでる街の夜の姿だよ」
ソルの予想通りの反応にナツミは頬を緩ませた。
「すごいな」
「うん…綺麗だよね」
口の端を上げて夜景を眺める横顔は楽しそうで。
見せられて良かった、とナツミの心はじんわりと暖かくなっていく。

「ずっとソルに見せたかったんだ」
想いを口に出すのは少し勇気がいる。それでもきっと、彼なら受け止めてくれるだろう。
だから。

「ここはね、あたしにとって特別な場所なんだ。だからいつかソルと一緒に来ようって思ってた」
広がる小さくなった世界を眺めたまま、ナツミは話し続ける。
「でもさ、どうせ来るならここぞ!って時がいいなって思ったんだよね。特別な場所だし、とっておきにしとこうって」
「…それが今日か?」
「うん」
「…」
「…」
ソルは次の言葉を待っている。静かに。煌めく街並みを眺めながら。
彼の目に映るこの街は、ナツミが今見ているものと同じだろうか。
見え方は違っていても、感じるものは似ているといい。
このキラキラと輝く世界は、やっぱりソルがいるから眩しいのだ。

「ここはさ、初めてキミの声を聞いた場所なんだ」
「!」
ソルは反射的にナツミに視線を送った。気づいたナツミもソルの方を向く。
「ソル」
彼の名を紡ぐ。言の葉は白い息と共に夜の空気と混ざり合う。鼻が少しだけツンとした。
「あたし…戻るよ。リィンバウムに」
見つめ合ったまま少々の時間が過ぎた。きっと彼は頭の中で、いろいろなことを考えては処理しているのだろう。
「…いいのか?」
ようやく出た言葉はその一言だった。一言だったが、そこには彼の沢山の想いが詰まっている。
「キミがいいなら」
「俺は構わない。けどさ」
「…あたしは大丈夫。そうしたいんだよ」
「上手くいくかわかんないぜ」
「きっといくよ。あたしとソル、二人だもん」

風が吹く。冷たさに頬がびりびりする。かじかんだ手は震えていた。
指先に息を吹きかける。さっきよりも鼻がツンとした。
それでも温まらない手を擦り合わせていると、ソルの手が伸びてきた。ナツミの両手を、彼の両手が包み込む。ソルの手の温度も低かった。
暖かくも冷たくもなく感じる、同じぐらいの体温。二人並んで同じ世界を生きている。
「手袋持ってこれば良かったね」
「そうだな。さすがに寒い」
優しく触れてくるその感触はナツミの胸を暖かくする。掌を合わせる形でいた自身の手を反転させ、ナツミはソルの手を握った。
指先が絡む。自分とは違う肌。骨格。体温。全てが愛おしい。
「俺は何処だろうとナツミの傍にいる。俺の居場所はそこだから」
「あたしも…ソルの隣がいい。あたしの居場所はソルだよ」

チカチカ光る夜景は美しいけれど。
あの世界には、ここよりずっと綺麗な星空と月明かりがある。
そこで生きていきたいと、ナツミは改めて感じたのだ。
いろんな事を考えた。大切なこの世界を離れるのが寂しくないと言えば嘘になる。それでもたどり着いた答えは揺るがない。
指に力を込める。ソルもそれに応えるように握り返してきた。
「一緒に帰ろう、リィンバウムへ」
「ああ」
一段と強い風が吹く。視界がぼやけているのに気付いた。いつからだろう?ソルは何も言わなかった。

「この世界に来てくれてありがとう」と言うと、ソルは楽しかったと笑ってみせた。


fin.

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