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「よし、じゃあ、ごはんにするか」
「パパ、いたい?」
 史人の気配が近づく。
「大丈夫。パパは寝てるだけだ。もうすぐ、お医者さんが来て、パパのこと、元気にしてくれる。おまえも、メシ食って元気になれ」
「うん」
 扉を閉めずにリビングへ行った二人の声が、しだいに遠ざかる。優は健史に背格好が似ていた。年齢も近い気がする。史人の警戒心が薄いのは、おそらくそのせいだと思った。

 直広は布団の上でしばらくの間、眠っていた。額を触られて、目を開ける。壮年の男が、こちらを見下ろしていた。
「パパ!」
 男より先に史人が勢いよく視界に入ってくる。大きなTシャツを着ている史人からは、風呂上がりのいい香りがした。
「あや……おはよう」
 何とか手を伸ばして、史人の頬をなでた。
「おいしゃさん」
 史人の言葉に、直広は自分の額に手を当てていた男へ視線を向ける。白衣は着ていないが、彼はやわらかな雰囲気をまとっていた。すっと伸びてきた指先が首筋に触れる。
「熱は扁桃腺からきてる。本当はしばらく入院するのがいいんだけど」
「それ、は……」
 保険証のことを考えてしまうあたり、自分は本当に貧しいと思った。保険証があったとしても、入院費を払えるわけがない。それに、史人を一人にするわけにもいかなかった。医者は事情が分かるのか、うんうんと頷いて、黒い鞄から風邪薬を取り出した。
「これとこれ。五日分、置いていくから、朝と夜、食後に。それから」
 彼は、「失礼」と言いながら、布団をめくり、毛布の巻かれている下半身をあらわにした。直広は体を強張らせたが、彼は太股の内側に軽く触れて、すぐに毛布を戻す。
「下は切れてるだけだと思うけど、中が腫れると長引くから、こっちの塗り薬、使って」
 軟膏容器を風邪薬とともに、枕元に置かれた。
「栄養のあるもの食べて、寝て、薬飲んでたら治るから。もし、何かあれば、電話して」
 電話して、と言ったが、彼は名刺も何も出さずに、部屋を出て行く。直広は礼も言わなかった、と気づき、起き上がろうとした。玄関のほうで、優の声が聞こえる。扉が閉まる音の後、「おかゆ、食べるだろ?」と優が入ってきた。
「あ、おはようございます。あの、ありがとうございます」
 直広が上半身を折るようにして礼を言うと、優はトレイを垂直に持ち、ゆっくりとあぐらをかいた。
「いいって、いいって。これ、ひざの上に置いてもいいか?」
「はい」
 優はそっとトレイを置いた。携帯電話の着信音が鳴り始める。
「あ、食べてて」
 ディスプレイを確認した彼は、そう言ってリビングのほうへ出て行った。直広は温かい食事に空腹を思い出し、スプーンですくう。
「史人は食べたの?」
 左手側に座っている史人へ尋ねると、史人はかすかに笑った。
「うん、あーはね、ハンバーグ」
「そっか。ハンバーグ、食べたんだ。おいしかった?」
「うん」
 史人は直広の左袖をつかんでいた。安心させるように笑みを見せて、直広はおかゆを口へ運ぶ。タマゴの入っているおかゆは、味付けも薄く、今の直広には食べやすい。食べ終わる頃に戻ってきた優から、ミネラルウォーターを渡される。
「深田さん、詳細は明日、話すから、今日はもう薬飲んで寝たほうがいいよ」
 名前を教えた覚えがなく、直広は優を見つめ返す。
「史人君が教えてくれた」
 直広はまだ袖をつかんでいる史人の頭をなでる。
「あや、お名前ちゃんと言えて、えらいね」
 褒めてやると、史人は笑みを浮かべる。直広は優へもう一度、礼を言い、薬を飲んだ。
「史人君、こっちのベッドに寝ようか。パパの具合、よくないから、一人でゆっくり寝かせてやろう」
「うん」
 ベッドまでの距離はそこまで離れていない。史人は優に従い、ベッドへ寝転ぶ。
「パパ、よくなる?」
「大丈夫だよ。おやすみ」
 直広の言葉を聞いてから、史人は目を閉じた。優は静かに扉を閉める。温かい食事と薬が効き始めたのか、直広もすぐに眠った。

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