falling down 番外編8 | ナノ





falling down番外編8

 レアンドロスの持っているビールの銘柄を読み、トビアスは胸が苦しくなった。彼が本当はアルコール好きなことを知っている。決して飲み過ぎるようなことはなく、料理に合ったものをたしなんだり、珍しい酒を楽しむ程度だ。
「レア」
 つないでいた手を引くと、レアンドロスはトイレだと思ったのか、レストルームへと誘導する。レストルームへ続く道は非常扉を挟むため、音が響きにくくなっていた。
「グラス、持ってるから」
 レアンドロスが左手を差し出す。トビアスは彼の手にあるノンアルコールビールへ視線をやった。
「どうして?」
 レアンドロスは苦笑して、ビールを一口飲む。
「健康のこと、考えてるだけだ。それに、研修が始まってから、運転もあるし、控えてる」
 レアンドロスがインターン先で研修を始めたのは、去年の秋からだった。半年の予定はさらに半年延び、今秋まで通うことになった。カティエスト地熱開発研究所はここから通うより、別荘から通ったほうが近い。毎日こちらへ戻ってくるのは、自分のためだと知っている。
「早く修士を取りたくて、研修と平行して論文を進めてる。俺が俺達の将来のために、選んだことだ。ここまで戻ってくるのも、君のそばにいたいから」
 彼の左手が優しく頬をなでていく。トビアスはくちびるを噛み締めて、うつむいた。
「ビー、顔を見せて」
 レアンドロスが自分達の将来を見据えて、努力しているのに、自分は彼ほど努力していない。今年になってもまだインターン先を決められず、このままだと彼が先に修士課程を終えて卒業してしまう。そうなると、別々の場所で暮らすか、自分が在学中は彼が今のようにここまで戻ってくるかのどちらかになる。
「……ほんとの、理由は?」
 トビアスは彼がアルコールをやめた理由は自分にあると思った。彼は困惑した笑みを浮かべて、それから、「帰ろうか」と手を引く。グラスとビールをカウンターへ戻し、クラブの外へ出た。六月にしては、少し肌寒い。

 ダイニングキッチンにある椅子へ座り、テーブルの上に置いてあったミネラルウォーターを飲み干す。レアンドロスは冷蔵庫から新しいボトルを出してくれた。
「クラブ、楽しかったか?」
「……うん」
「なら、いいんだ。俺のこと、心の狭い男だって思わないで欲しいけど、今日、金曜だろ?」
「うん」
 レアンドロスは向かいの椅子をトビアスの隣へ持って来て座る。
「だから、夕食の後は皆と別れて、家で過ごしたかったんだ」
 トビアスは自分をいつも優しく見つめるブルーの瞳を見た。椅子の背もたれの部分をこちらへ向け、その上に肘をつき、彼はほほ笑む。
「平日は君と過ごす時間が全然足りない。アルコールをやめたのは、酒臭いと君がキスしてくれないから」
 冗談めかして言われたが、トビアスは息を飲んだ。戻った記憶は今も悪夢となって、トビアスの心を苛む。レアンドロスの言葉に、トビアスは彼が飲んだ後、無意識のうちにキスを避けていたかもしれないと思い当たった。
「ごめ、ん、俺……」
 レアンドロスは両手を差し出して、トビアスの手を握る。
「ビー、謝る必要なんかない」
「だって、いつも、レアが我慢して、俺は、俺、もっと頑張らないと」
 レアンドロスの足を引っ張りたくない。彼に追いつかなければ、と思った。
「君は頑張ってる。誰よりも努力してる」
 手を握ったまま、椅子から立ち上がったレアンドロスが、額へキスをした。
「俺の幸せを考えたことはある?」
 トビアスは頷いた。彼の幸せを考え、自分は身を引いたほうがいいと何度も考えた。
「じゃあ、どうして俺に聞かないんだ?」
 レアンドロスは小さく笑い、トビアスの足元へひざまずく。
「俺の幸せは、君が幸せであることだ。それを叶えられるのは君しかいない」
 愛してる、と続いた言葉に、トビアスは嗚咽を漏らした。力強く抱き締められ、トビアスは彼の胸の中で目を閉じる。仰々しい言葉は笑われるかもしれないと思ったが、小さな声で告白した。
「レアは俺にとって、光なんだ」
 彼の大きな手のひらが頭をなでた後、背中をさする。
「君がいる場所が俺の帰るところだって思ってる。君も俺にとっては光だ」
 涙を拭いて見上げた先に、澄んだブルーの瞳がある。彼は口元を緩め、穏やかな笑みを見せた。トビアスが瞳を閉じると、甘いキスが落ちてくる。優しい夜の始まりだった。

番外編7 番外編9(トミー視点)

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