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 夢ではないかと思った。直広の腕の中には健史と史人がいる。二人とも温かい。自分は夢を見ていて、起きたら、喫茶店のアルバイトに遅刻するような時間なのではないかと考えた。だが、史人の言葉で、直広は現実に戻った。
「おなか、すいた」
 直広は、「そうだね」と頷き、健史の体をそっと玄関へ横たえる。涙と鼻水を拭い、史人のおむつを確認した。新しいおむつと交換して、冷蔵庫から昨夜のおかずの残りを取り出す。
 こたつテーブルへ朝食を置き、史人に一口食べさせた。彼の手にフォークを握らせ、先ほどまで寝ていた布団を隅へ寄せる。玄関扉は開いたままだった。健史の体を引きずるようにして、布団の上へと寝かせた。そっと頬をなでても、彼は目を開けない。また出そうになった涙をこらえて、直広は玄関に落ちている携帯電話を拾いに行った。
 土を蹴るような音に顔を上げると、右手に持っていた携帯電話が台所のほうへ飛んでいく。手を蹴り上げられたと分かったのは、強烈な痛みに手首を押さえてからだった。黒い革靴を履いた男達が三人、狭い玄関へ入ってくる。
「深田さんですか?」
 まだ明け方の六時だった。弟を亡くしたばかりで、途方に暮れている直広は、男達の正体も彼らが話し始めたことも理解できない。奥で朝食を取っている史人を見て、直広は無意識のうちに襖を閉めた。
「すみません、もう一度、お願いします。何の話かさっぱり……ぐ、ぅう」
 いきなり腹を蹴られ、その衝撃で携帯電話と同様に台所へ吹き飛ばされる。すぐに男が台所へ上がり、次の一撃を直広へ加えた。喉からせり上がる胃液を吐き出すと、男の手が髪をつかんで引き上げた。
「べ、弁護士にそう、だん、します、かえって、ください」
 男達は楼黎(ロウレイ)会という組織の人間だった。健史が彼らの経営している金融会社から一千万以上の借金をしているという話をされた。だが、身内であっても保証人になっていなければ、肩代わりする義務がないことくらい、直広は知っている。
「弟よりは頭がいいようだな。ガキも連れてこい」
 逃げなくてはいけない、と思っても、直広は男の手で拘束されていた。連れて行かれたら終わりだ。自由の利く足で目の前の相手を蹴ろうとする。男は笑って避け、直広のみぞおちを狙い、拳を突き出した。
 両ひざを着く前に意識が遠のく。史人の泣く声が聞こえていた。史人は関係ないと言わなければ、と顔を上げたつもりだったが、真っ暗な闇の中へ落ちていった。

 唐突に走った電流に体がけいれんした。直広は白い光が閃くような世界から、薄暗い世界へと視線をめぐらせる。目の前にいたのは、左頬に傷のある男だった。その男のうしろにはスーツを着た男が二人いて、直広のそばにはジーンズにシャツを羽織った男達がいた。
 先ほどの電流はシャツの男が手にしているスタンガンだと分かった。現状を把握して、体を動かそうとしたが、まだ痺れているのか、なかなか動かせない。直広は史人のことを探した。
「深田直広さん」
 頬に傷のある男が陰湿な目でこちらを見つめている。
「あんたの弟がうちから借りた金を返してもらいたい」
 自分には返済義務がないと言おうとして、口に猿ぐつわを噛まされていることに気づいた。直広は絶望を感じながら、小さく首を横に振った。
「っ、ン、ぅう」
 左の太股に当てられたスタンガンから電流が流れ、直広はソファの上でのけぞる。痛みとともに息が詰まるほどの圧力が胸に迫ってくる。スタンガンが離れると、直広は猿ぐつわとくちびるの間から唾液を吐き、酸素を取り込もうと鼻で大きく呼吸した。髪をつかまれ、ローテーブルの上にある契約書へ顔を押し当てられる。
 健史が借りていた金と利子を合わせた金額を、直広が払うという内容だ。読み上げた男が、直広に署名しろと迫る。拒否すれば、スタンガンを当てられ、直広はもがき苦しんだ。だが、署名をすれば、自分も健史のようになってしまう。史人のために、借金を背負うわけにはいかない。
「なかなか根性のある奴だ。たいていは三回までで、署名するんだが……あぁ、深田さん、粗相しましたか。そのソファ、五百万、と床の清掃料金も請求しないと。おい、この契約書、改めろ」
 頬に傷のある男がそう言うと、うしろに控えていた男が部屋を出て行く。直広はうつろな瞳で男を見た。冷淡な黒い瞳が弧を描く。
「ガキはおむつしてたな。深田さん、あんたの代わりに息子さんとスタンガンで遊びますか。彼なら粗相しても、うちの物を汚すこともない」

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