on your mark7 | ナノ





on your mark7

「あの女には頼まれたら金、渡したくせに、で、あの女の子どもには貯金に学資保険まで積み立てて、それで、俺の子だって主張する? 頭、おかしいんじゃねぇ?」

 史人の母親の話は、耳をふさぎたくなる。出会った当時、直広は二十六歳で、彼女は二十歳になったばかりだった。夜勤をしているインターネットカフェの前に、直広は別のインターネットカフェで働いていた。そこで知り合った同じアルバイトの子が彼女だった。
 結婚は諦めていたが、気の合う異性と出かけることは楽しかった。だから、彼女から付き合って欲しいと告白された時、今まで通りの関係でいいなら、と頷いた。直広は昔から性的なことに関心が低く、自慰もあまりしないほうだった。アルバイト先の店長には、風俗に行けとよくからかわれていたが、二十九歳の今でも経験がない。
 彼女との清い交際は、たいていキスまでで終わった。父親不在の家庭で育った彼女とは、本当に気が合った。時々、ここまで料理を届けてくれたり、時間があればここで料理を作ってくれたりもした。
 交際を続けて一年ほど経った頃、彼女から金を貸して欲しいと言われた。健史のための貯金は、彼名義の口座へ入れていて、彼が自ら管理していた。高校を辞めていたものの、もしもの時に備えて、直広は自分の口座へ毎月少しずつ貯金をしていた。かなり迷ったが、彼女の母親に借金があることは知っていたし、理由を聞くと、生活費が足りないということだったため、二万円を貸した。
 一年半ほど毎月いくらかずつ貸していた。夜勤の回数を増やし、直広はなるべく今までの貯金が減らないように努めた。
 ある日、夜勤明けに帰ってくると、彼女と健史が全裸で一緒に寝ていた。彼女は、「寂しかった」と漏らした。直広がキス以上を求めず、愛されていないと感じて、つい健史にすがったと言っていた。交際を始めた時点で、健史へ彼女を紹介していたが、健史は彼女の名前すら覚えておらず、帰ってきたら、彼女がいたから部屋へ入れて抱いたと言われた。
 直広は自分の足元が真っ暗になり、そこから果てのない闇に落ちていくような感覚を覚えた。彼女に寂しい思いをさせたのは、自分だ。生活するために働くばかりで、健史にも同じ思いをさせていた。どうしたら、うまく生きられるのだろう。直広はずっと苦しんでいた。
 その後、夜勤のアルバイト先を辞めて、今のインターネットカフェで働き出した。彼女に貸していた金は戻ってこないと承知していた。健史を責めるだけの気力はなかった。
 三ヵ月後、彼女が母親を伴って家へ来た。堕胎すると言われ、直広は反対した。健史はその場にいなかったが、彼がお腹の子の父親であることは間違いなかった。まだ二十歳の彼女には留学をするという夢もあり、子どもはいらないと何度も言われた。
 直広は頭を下げ、自分が父親になることと、出産後三ヶ月目までの彼女の生活や子どもにかかる費用を全額負担することで結論が出た。

 泣いている史人の声を聞き、直広は彼のほうへ視線を移す。あの時の選択は一つも誤っていない。彼女に貸した金はうやむやにされたが、彼女が与えてくれた新しい命は、直広にとって生きる糧になった。
「俺の子でも、あるよ、もちろん。でも、俺達、家族だ、ろ? 健史、あやに悲しい思い、させないで」
 健史は直広の上から退き、財布とポーチを手にする。
「家族ね。じゃあ、お兄ちゃん、俺、金に困ってるんだ。こっちか、こっち、どっちなら貸してくれる?」
 直広は涙を拭い、上半身を起こす。
「たけ、いくらあるの? 本当のこと、話してくれないと、協力できない」
 ある程度の金額は覚悟していた。だが、健史は興奮して、史人のことを足で蹴る。
「健史!」
 直広は四つ這いになりながら、史人のそばへ寄った。鼻血が落ちて、畳を汚す。史人の泣き声は大きくなり、直広は彼を安心させるように抱き締めた。
「大丈夫。史人、大丈夫だから」
 ポーチから貯金通帳のほうを取り出して、額を確認した健史が財布からカードを抜く。
「貯金のほうでいいや。暗証番号は?」
 黙っていると背中を蹴られた。健史の履いている靴は、見た目もハードなチャッカブーツで、重い衝撃に胃液がせり上がってきた。何度目かの衝撃の後、史人を抱く腕が離れ、直広はその場に倒れる。
「次、史人な」
 直広は右手をついて、上半身を起こし、小さな声で暗証番号を教えた。史人の誕生日は安直すぎるため、父親である健史の誕生日にしていた。健史は馬鹿にするように笑うと、玄関のほうへ歩き出す。直広は泣いている史人をもう一度、抱き締めた。

6 8

main
top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -