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 直広は寝転んだまま、「靴、脱いで」とだけ声をかける。健史が土足で上がってきたことは、音で分かった。掃除が大変だと言っても、史人の健康上、よくないと言っても、健史は聞いてくれない。その些細なことでケンカをすることにも疲れ、直広は目を閉じる。
 冷蔵庫を開ける音の後、どたどたと健史がこちらへ来た。
「史人、起きろ」
 健史が史人を足で蹴ろうとしたため、直広は慌てて、上半身を起こし、その足を止める。
「健史、静かにして。史人がかわいそうだろ」
 久しぶりにバスで遠出したため、史人は疲れてしまったのだろう。起こしてはかわいそうだと思ったが、健史の声に史人はもう起きていた。健史は部屋の隅にあるこたつテーブルへ視線をやる。
「折り紙だけにしとけって言っただろ」
 直広は耳を疑った。
「何だよ、これ」
「それは鈴木さんからのプレゼントだよ。健史、折り紙だけってどういう意味?」
 立ち上がって、史人を背中へ隠す。直広は健史より十センチほど身長が低い。彼を見上げたら、彼は薄く笑った。
「そのままの意味だろ。うちは貧乏なんだから、プレゼントなんて一個で十分。あんなでかいケーキ買って、何なんだよ? 小さい時からぜい沢、覚えさせんな。それとも、また? なおさぁ、確か俺が十三の時にホールのケーキ、買ってきたっけ? 全然、嬉しくなかった。あんなんでも二、三千円するんだろ? 現金でくれるほうがいいに決まってる」
 誕生日くらいみじめな思いをさせたくないと思い、健史の十三歳の誕生日に、初めてケーキをホールで買った。プレゼントは現金がいいと言われ、五千円を渡した。健史は一口だけ食べると、すぐにその五千円を持って出て行った。
 友達と遊ぶほうが楽しいのだと知っていた。直広は今でこそ、諦念するという言葉通り、自分の欲求はすべて我慢できたが、昔は違った。それなりに楽しかった高校生活への未練や奨学金を得てでも行きたかった大学のことを考えるだけで、自分の環境に対する怒りがこみ上げてきた。もしも、母親が生きていたら、今の健史のように彼女へ不満をぶつけていたかもしれない。
 二十歳を過ぎて、同級生達が大学生活を謳歌し、就職活動に勤しむ姿を目の当たりにして、直広は気が狂いそうなほど彼らに嫉妬した。どうして自分だけが、といつも考えていた。何もかもを投げ出して、自分のためにだけ生きたいと真剣に悩んだ時期もある。
 だが、健史の存在がいい意味でも悪い意味でも直広を縛っていた。気づいた時にはもう遅くて、健史は悪い方向へ進んでいたものの、今でも直広は彼のことを大事なたった一人の弟だと思っている。
「現金って、史人はまだ小さいんだから、おもちゃのほうがいいよ」
 健史は直広の言葉を無視して、畳の上にしゃがみ、うしろにいた史人を睨んだ。
「おまえのせいで俺の小遣いが減るんだよ」
「健史っ」
 史人が声を上げて泣き始める。言葉の意味はおそらく分かっていないだろう。だが、意地悪なことを言われているということは分かるはずだ。直広はしゃがんでいた健史の肩を押した。彼はびくともせずに立ち上がり、直広のことを突き返す。
「本当のことだろうがっ。あいつの貯金、渡せよ! 学資保険も組んでるんだろ!」
 知られていないと思っていたことを言われて、直広は固まった。健史が泣いている史人を押し倒して、そのうしろにあった鞄の中へ手を突っ込む。直広の財布と保険証や印鑑、通帳が入っているポーチを取り出した。直広は彼の手から、それらを奪い返そうとするが、手を払われ、頬を殴られた。
 痛みからではなく、ポーチの中を確認される焦りから、直広は涙を流した。もう一度、挑むと、健史は舌打ちして本格的に拳を振り上げる。直広を押し倒し、馬乗りになった彼は、頬や腹を何度も殴った。顔は腕で防御したものの、簡単に振り払われる。
「貯金か保険、どっちか渡せ」
 史人の泣き声を聞きながら、直広はせき込んだ。くちびるが切れ、口内も噛んでいて、血の味が広がる。座り込んで泣いている史人を見つめて、直広は涙声で訴えた。
「……きょう、あやの、誕生日……あやは、たけの、っぐ」
 腹を殴られて、直広は拳を握り締めた。
「俺の子じゃねぇって言ってるだろ!」
 健史はまだ直広の太股辺りに乗ったまま、こちらを見下ろして笑う。

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