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on your mark3

 近所の公園は遊具の置いていない広場のような場所で、いつ来ても誰もいない。直広は史人の手を握りながら、歩く練習をさせる。健史の時は成長が早かった気がした。
「よいしょ、よいしょ」
 声をかけながら、両手を握り、史人が足を踏み出すのを見守る。同い年くらいの子ども達と触れ合えば、言葉も早く覚えるだろう。来年の四月から、保育所へ通えないか、区役所へ相談したほうがいいかもしれない。直広の生活は毎日があっという間で、史人を育てるようになってからは、自分のための時間は持てなくなった。
 毎年、母親の誕生日には散骨した海まで、バスに乗って出かけていたが、それも最後に行ったのは四年前になる。史人がもう少し大きくなったら、一緒に行こうと思った。小さな手を離し、彼が一人で歩く姿を見つめる。五歩ほど進んだところで、前のめりに倒れた。ちゃんと手をついていたが、なかなか起き上がらない。
「あや」
 顔だけ上げて、こちらを見た史人に、直広はほほ笑んだ。
「史人君」
 名前を呼ぶと、「はい」と返事をしてくれる。瞳は史人の母親に似ていたが、それ以外の部分では健史にそっくりだ。泣かずに、自分で立ち上がり、ふらつきながらも直広のところまで歩いてきてくれる。五歩目で直広のひざに手を伸ばした彼は、そのまま抱きつくように顔を押しつけた。
「すごい、あや、一人で歩けるね。えらいなぁ」
 直広は史人を抱き上げ、彼の頬をなでる。声を立てて、小さく笑う彼を見るだけで、生活や将来への焦りや不安を忘れることができた。持ってきていたボールで遊びながら、また健史の言葉を思い出す。直広は健史や史人に期待をしているわけではない。自分より学歴を身につけて、きちんとした社会人になり、将来は養って欲しいといった希望を持っているわけではない。
 高校二年の夏休み前だった。母親からもう限界だから、と言われて、高校を辞めた。直広の高校では、アルバイト許可証を持っている生徒だけが、アルバイトをすることができた。入学と同時にファーストフード店で働き、楽しい高校生活とまでは言えなかったが、それなりに高校生活は謳歌していた。成績も悪くなく、奨学金で大学へ進もうと考えていた。
 皆にとって当たり前のことが、自分にだけ許されない。直広は今でこそ落ち着いていられるが、十七歳の頃はそうとうこたえた。その絶望を健史に味合わせたくない一心で、彼のために貯金をしてきた。結局、彼は直広と同じように高校を辞めてしまい、大学進学費用に、と思っていた貯金も使ってしまった。
 このままだと史人も同じ道を進むのだろうか。直広は見当違いな場所へボールを投げ返した史人へ、ボールを転がす。健史はいつだったか、「なおは自分のことばっかりで、自分の価値観を人に押しつける」と言っていた。母親が亡くなってから、それまで以上に働きに出ていた直広は、健史の話を聞いてやれなかった。彼のために働き、それが裏目に出て、兄弟の仲に大きな亀裂を入れたとすれば、生活に必死で弟を省みなかった自分のせいだ。
「史人」
 直広はボールを拾いに行く史人に聞こえないほど小さな声で、彼の名前を呼んだ。五歩ほど歩くとつまずき、地面に手をついて立ち上がろうとしている。彼の成長や言葉が遅れているのも、働きに出てばかりで、彼を構ってやれない自分のせいだ。
「パパ、はい」
 直広が返事をためらうと、史人は、「なー」と呼び直した。今はまだ小さいからごまかせるが、いずれ彼が物事の判断をできる年齢に達すれば、今のような曖昧な呼び方では混乱させてしまう。健史の父性がいつか目覚めて、史人のことを自分の息子だと受け入れてくれる日が来るかもしれない。戸籍上は直広の息子にしてしまったが、その時は経済的な事情から、とでも言えば、史人は納得してくれるかもしれない。
 すべてが可能性の話で、直広にはパパと呼ばせるか、おじさんと呼ばせるか、決めることなどできない。
「パパ?」
 史人が、なかなか返事をしない直広のひざのあたりへ突進してくる。
「あ、ごめん、ごめん。買い物して帰ろうか?」
「もっといる」
 携帯電話で時間を確認する。十五時半を過ぎたところだ。
「分かった。じゃあ、次は何しよう?」
 かろうじて存在している砂場へ手を引っ張られる。
「おうち」
「おうち、作るの?」
 史人は頷き、山のような形の家を作り始める。直広は砂場の縁へ腰を下ろした。しばらく史人のことを見ていたが、しだいに頭が揺れる。
「パパ」
 直広ははっと顔を上げた。すでに薄暗くなっている。いつの間にか眠っていたようだ。
「たべる?」
「お腹、空いたね。ごめん。すぐごはんにしようね」
 直広は史人を抱え、近くのスーパーへ歩き出した。

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