falling down56 | ナノ





falling down56

 手首をつかんでいた手が離れ、ソファの背もたれを殴った。トビアスはレアンドロスを見上げる。彼も泣いていた。何か言おうとして、口が開き、そして、ぎゅっとくちびるを結ぶ。彼は無言のまま、トビアスを抱き起こした。耳元で静かな泣き声が聞こえる。
「レア……ごめん」
 トビアスはレアンドロスのことを抱き締め返す。レアンドロスの愛情を疑っているわけではない。ただ途方もなく大きな自己嫌悪が、自己不信へとつながっていた。
「レア、俺が悪い、ごめん」
 悲観的なことばかりを考えることで、最悪の結果が起きても、衝撃が小さくて済むと思った。だが、それでは前に進むことはできない。
「差し出せるものが、体しかないって思ったんだ。でも、それは間違ってる」
 トビアスの言葉に、レアンドロスが頷く。
「あぁ、間違ってる」
 後頭部をなでたレアンドロスは、赤くなったまぶたを擦る。
「ビー、君は夜中に時々、うなされてるんだよ。さっきみたいに泣きながら、謝ったり、怖がったりしてる。そんな君を抱くなんてできない」
 トビアスは覚えていない。だが、悪夢を見る時はたいてい、見えない何かに追いかけられる。
「……話を、蒸し返したいわけじゃないけど、やっぱりお金、返す。嫌なんだ。自分が金銭でやり取りされたみたいに感じる。お金なんか欲しくない」
 この間は返すと言っただけで、理由を話していなかった。レアンドロスはしばらく黙って考えていたが、「分かった」と頷く。
「ビー、君の母親にお金を渡したのは事実だ。だけど、俺は君を買ったつもりはない」
 かすかに笑みを浮かべたレアンドロスが、頬に音を立ててキスを落とした。
「君のそばにいたいだけだ。君を愛してるから」
 彼はもう一度キスをして、トビアスの乱れた服装を整えた。トビアスは指に光る約束の証を見つめる。
「十歳の誕生日から半年後くらいだった」
「ん?」
 トビアスは立ち上がったレアンドロスの手をつかむ。彼はすぐに隣へ座ってくれた。
「それまで、色んなこと、されてたから、それ以上があるなんて、知らなかった」
 話せば楽になると思った。だが、それ以上は言葉が出てこない。レアンドロスはある程度の生い立ちを調べている。自分がどういう存在で、母親とマクドネル家からどういうふうに扱われていたか、知っている。
 初めての時のことと、記憶をなくしてから、もう一度、同じ恐怖を味合わされたことを、どうにか話してしまいたいと思った。手足を縛られ、後頭部を押さえつけられ、泣きながら助けを求め、嘔吐した。母親はその様を見ていた。
「ビー」
 呼吸が乱れ始める。レアンドロスが肩を抱いてくれた。
「母さんのこと、許そうって、母さんだって、苦しんできたって、考えようとした」
 しぼり出すように言うと、レアンドロスが手の甲をなでていく。
「でも、できない。礼拝堂で、いつも、祈ってた。母さんなんか消えればいいって思ってた。俺は、最低の人間だ」
「トビアス、不注意が原因の自動車事故だ。君が祈ったから、亡くなったわけじゃない」
 レアンドロスは優しく髪をすく。
「レアのことも、煩わしいと思ってた。上から見てるだけで、世間知らずだって」
「その通りだった」
 彼は苦笑する。
「君が自己満足だと怒った理由、あの時は分からなかったけど、今は分かる。ジョシュアが散々、注意してくれたのに、俺の行動や言葉が、君への中傷や暴力を増大させていたなんて、理解してなかった」
 トビアスは少しずつ彼の体へもたれていく。
「俺、まだ全然、整理できてなくて、記憶もぐちゃぐちゃで、色んなことに不安を感じるんだ。それ全部、話したいのに、言葉にならない」
 指先同士が絡み、トビアスはレアンドロスの手へ視線を移した。温かくて大きな手だ。
「無理に言葉を探さなくていい」
「うん」
 視線を上げると、レアンドロスもこちらを見た。自然とくちびるが近づく。触れるだけのキスの後、今度は彼のほうから口を開け、舌を絡ませた。トビアスがそれにこたえ、キスの応酬が続く。
「……これ以上は」
 レアンドロスはわざと冗談口調で言う。トビアスも笑った。

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