spleen76 | ナノ





spleen76

「大友君!」
 明史は腕をつかまれたまま、その場に座り込み、呼吸を乱していた。涙があふれ、苦しいが、懸命に、「合意だ」と言い募る。里塚は教師の手を叩き、明史を解放させた。
「立てる?」
 里塚がそっと背中をなでてくれる。激しい嗚咽の合間に、明史は里塚を見て、手を伸ばした。
「いら、い、って、いで」
 途切れる言葉を何度も紡ぐ。明史は、「いらない子って言わないで」と伸ばした手を握ってくれた里塚に言った。里塚は何かをこらえた後、明史のことを抱き締める。
「そんなわけないだろう? 君は愛されてる。いらない子なんかじゃない」
 里塚が立たせてくれた。明史に肩を貸し、彼は保健室へ向かって歩く。ソファに座ると、冷たいタオルを渡された。
「呼吸が落ち着くまで、リラックスして」
 明史はタオルを目に当てながら、なるべくゆっくりと呼吸する。隣に座った里塚が、「ごめんね」と謝罪した。
「君がいちばん辛かった時、先生達は君のそばにいなかったね」
 明史がタオルを離して、里塚へそっと視線を移すと、彼は握り締めた拳を見ていた。
「でも、もう一人じゃない」
 その言葉を明史は信じることができない。あの映像を見た生徒達は、明史のことを軽蔑するだろう。志音と釣り合う人間ではないと言われるのは、目に見えている。脅されて黒岩と性的関係を結んでいたことも、自分にとってはマイナスにしかならない。いずれ、どうしてそうなったのか暴かれる。
 優秀な兄と不出来な弟はいつも比べられた。弟は両親から抱き締められたこともない。かわいそうな弟は、優しくしてくれた教師に甘えた。
 志音にはいつまで甘えられるだろう。その幸せな時間が終わったら、自分はどうなってしまうのだろう。
「大友君」
 里塚の澄んだ瞳が、明史を見つめる。
「君の映像が流れた後、クラスメートの子達は自主的に君を探していたんだ。生徒会も委員会も動いた。青野君はね、部室棟で君を傷つけた生徒達の顔と名前を挙げて、証言した」
 先ほどとは異なるものを源にしている涙が、明史の頬をつたう。
「若宮君は今後の君の学園生活を考えて、先生達と事態収拾をしてる。皆、君のためにできることをしたいんだ。間に合わなかった償いじゃなく、これから君と過ごしたいから。君はいらない子じゃない」
 心に突き刺さっていた、悪意のあるメールが消えていく。一人だけでもよかった。誰か一人、自分を必要としてくれる人がいたら、明史はそれだけで生きていけると思っていた。そして、それは兄であり、志音だった。だが、今は彼らだけではない。
 里塚の言うように、学園の中では少数かもしれないが、明史のために動いている生徒達がいるのも事実だった。拒絶してきたのは自分だ。手を振り払って、見ないふりをしていたのは自分だった。
「せ、んせい」
 ありがとう、と言うと、里塚は柔らかな笑みを浮かべる。
「今日、水川先生から今回のこととか、今後のこと、話す予定だから。あともう少しで終業式も終わるし、ここにいる?」
 頷くと、里塚は心得たとばかりに言った。
「じゃあ、若宮君へここにいるってメールしておくね。あ、冷蔵庫、開けてもらっていい?」
 明史は立ち上がり、うしろにある冷蔵庫の扉を開けた。
「その箱の中にシュークリームがあるから、食べて」
 有名な洋菓子店のロゴが入っている。
「いいんですか?」
「もちろん。君のため、に用意したんだよ」
 里塚の笑みに、嘘だと分かったが、悪い気はしない。明史は箱を開けて、シュークリームを一つ頬張った。

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