ふくいんのあしおと 番外編14 | ナノ





ふくいんのあしおと 番外編14

 食事を終えた朝也が、グラスに麦茶を足してくれた。
「会社には派遣社員やバイトの人達もいる。俺はたまたま運がよくて正社員だけど、仕事上では皆、自分の仕事に打ち込んで、立場は同等だって考えてる。和信、今の工場で正社員を目指して頑張ってきただろう? 片道二時間もかけて、すごく一生懸命働いている。俺、おまえのこと、尊敬してるよ」
 黒い瞳が優しく光っている。和信は箸を置いた。
「俺の正直な気持ち、言うな。今回のことがあって、すごく不安なんだ。辞めて欲しいって思ってる。でも、岸本さんが動いてくれるから、おまえがこれからも仕事を続けたいなら、辞めなくていい。ただ、体のこともあるし、できれば辞めて、この近くで働いて欲しいっていうのが本音……って何だ、やっぱり辞めろってことかって思った?」
 ふっと笑った朝也につられて、和信もほほ笑む。四歳も下のくせに、いつも自分を引っ張ってくれて、時おり、子どものようなことを口にする。和信は数時間前の暗闇からすでに抜け出している自分に気づいた。
「辞める」
 自分に課してきた正社員になるという目標を手放す。それは母親の望みから解放されることでもあった。
「本当にいいのか?」
 頷くと、朝也が涙をあふれさせた。
「おまえに辛い決断させて、ごめんな」
 辞めて欲しいと言ったのは朝也だ。だが、彼が言わなくても、和信は今の決断をしていただろう。それに、辛い決断をしているのは彼のほうだ。和信は立ち上がり、椅子に座る彼の胸へ飛び込むように頭をあずける。
「辛くなんかない。おまえと出会ってから、俺はずっと……」
 最後まで言う前に、朝也にくちびるをふさがれた。しばらくキスを堪能する。彼の足の間に座り込むと、両脇の下から持ち上げられた。寝室へ運ばれ、ベッドへ下ろされる。
 朝也は添い寝するように隣に寝転んだ。
「今日はもう疲れただろ? ゆっくり休んで」
 薄いブランケットをかけられ、目の前の胸に頬を当てた。背中を熱い手の平が上下する。朝也のにおいと温もりに安堵して、和信は目を閉じた。
「怖い夢は見ない。もし、和信が怖い夢を見たら、俺が夢の世界まで助けにいくから」
 眠るまで、朝也が何度もキスを落とし、背中をなで続けてくれる。

 真っ暗な闇の中で、和信はまただ、と絶望した。体を動かすと、右足に何かが絡んでいた。手で触れると、そこには鎖があった。目の前には大きなスクリーンがあり、そこでは和信が犯される映像が繰り返し、再生されている。和信は泣きながら、鎖を外そうとした。映像の中の自分も泣き叫んでいる。
 早く逃げないと、映像の中の自分のようになる。和信は鎖を引っ張った。びくともしない拘束に気持ちだけがあせっていく。映像の中の自分がひときわ大きな悲鳴を上げる。
「っや、たすけっ、いやっ」
 誰かがこちらへ来る気配があった。こつこつと靴音が迫る。指がちぎれそうになるほど、和信は鎖を引っ張る。大きくなる靴音に呼吸が速くなり、和信は泣き叫んだ。
「ともや、ともや! たすけて!」
 暗闇の中、足音が自分の目の前でとまった。恐怖で震えながらうつむいて、耳をふさごうとする。
「和信」
 愛しい人の声に和信はおそるおそる視線を上げた。ほほ笑みを浮かべた朝也が屈み込む。
「やっとここまで来れた。帰ろう、和信」
 抱き上げられると、右足にあったはずの鎖が消えていた。彼の胸へ顔をあずけて、目を閉じる。こつこつと聞こえていた足音が、とくとくという音へ変わった。

 目を開くと、朝也の腕の中にいる。彼の心音が聞こえた。和信が少し動くと、彼が無意識に体を抱き締め直して、薄いブランケットをかけ直してくれる。和信は喉から込み上げてくる熱いものを飲み込んだ。もう二度とうなされることはないと思いながら、彼の手を握った。握り返してくる強さに、和信は安堵してもう一度、夢の世界へ入った。

番外編13

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