ふくいんのあしおと 番外編7 | ナノ





ふくいんのあしおと 番外編7

 Kファイナンスを訪れるのは何度目だろう。金を借りにきたわけでも、当然、返しにきたわけでもない朝也は、目の前の煎茶を一口飲んだ。
「ごめん、ごめん」
 岸本の個室へ通されていた朝也は、彼が戻ってきた声を聞き、ソファから立ち上がる。
「いえ、こちらこそ、お忙しいのにすみません」
 頭を下げると、「堅苦しいな」と言われた。岸本を見ると、彼はくちびるを歪める。十ほど歳上のはずの彼だが、あまり年齢を感じさせないところは、和信と似ていた。今日はその和信のことでここへ相談へ来ていた。朝也は座り直して、さっそく話を始める。
 年末に一時帰国をして、四月から日本支社で三年間働くことを告げた。それから、朝也は和信のために、ワシントンDCでのほとんどの手続きを大急ぎで済ませた。本来は一月初旬にあちらへ行き、三月下旬にこちらへ戻る予定だったが、それを二週間で済ませて、一月下旬には和信のもとに戻った。
 その後は家探しや有給を使ったため、出社不要だったが、日本支社のほうへ顔出しをして、ばたばたと慌ただしい日々が続いていた。家は支社が近い中心部になり、和信はピッキング工場まで電車で二時間かけて通っている。仕事を辞めることを頑なに拒否された。それは仕方ないと思う。ただ、同棲を始めて半年、和信は真夜中にうなされることが多くなった。
 声をかけてもなかなか起きず、うなされながら、謝罪の言葉を口にする和信に、朝也は自分の兄がしたことの重さを知った。だが、半年間、和信を見てきて、果たしてそれだけなのか、という疑念がわいたのも事実だ。結局、体を売っていたのかどうかも、きちんと確認していない。そんなことはどうでもいいと思う反面、和信のすべてを知って、彼のことをきちんと受け入れたいと考えている。
「でもなぁ、話さないってことは、和信の中でまだ準備ができてないんじゃないか? 俺が知ってることなんて、あんまりないからさ」
 二人で煙草を吸いながら、和信のことを話した。確かに岸本の言う通りだ。岸本なら和信の身元を調べつくしていると思うが、彼は勝手に個人情報を漏らす人間ではない。大きく溜息をつくと、岸本は笑った。
「大型犬みたいだな」
「よく言われます」
 岸本はもう一本、煙草に火をつけて、煙を吐き出した。
「落ち込むなよ。話さないってことは信頼してないってことじゃない。俺、昔、アンダーグラウンドのパーティーで競りにかけられたことがあって……」
 朝也は岸本の話の内容に驚き、同時に彼がやはり裏の世界の人間であると思い知らされた。その舞台で受けた屈辱や恐怖は、今でこそ淡々と話しているが、その時はそうとうのものだっただろう。短くなった煙草が指先へ熱を与えて、朝也は慌てて、灰皿へ煙草を落とす。
「……っていう経験をしたわけだ。今でも、思い出すし、思い出せば胸くそ悪い。だけど、無関係のおまえにはこうして話せても、恋人には絶対に言えない」
 震えた声に視線を向けると、岸本がはかなげにほほ笑んだ。
「話したら、相手に辛い思いをさせるんじゃないかって考える。俺が辛い時、そばにいなかったことを責めるだろうなって。それ考えると、一生言わないでおこうって思う。きっと、和信もそうじゃないかな」
 朝也は二時間もかけ、くたびれて帰ってくる和信が、時々、うしろから抱きついてくることを思い出す。
「あいつはこの五年、辛いとか寂しいとか、一回も言わなかった」
 朝也は、「寂しかった」とむせび泣いた和信を思い出す。
「うんと甘やかしてやれよ」
 岸本の優しい声音を聞いて、朝也は深く頷いた。涙をこらえたが、エレベーターへ乗り込んだ瞬間、頬へつたう雫を拭う。和信の定時は十七時半で、帰宅は二十時頃になる。朝也はフラワーショップで花束を買い、夕飯には和信の好物を作ることにした。いつもの笑顔で、「おかえり」と言えば、彼はちゃんとここが彼の居場所だと分かってくれる。夜も夢の世界でも、自分が隣にいれば、いつかきっと、安らげる場所にいるのだと気づいてくれる。
 鍵を開ける音に朝也は玄関まで駆けた。

番外編6 番外編8(同棲開始1年目くらい/朝也視点)

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