ふくいんのあしおと41 | ナノ





ふくいんのあしおと41

 和信がうつむくと、朝也は壁に寄りかかった。
「一緒に暮らそう」
 耳を疑って、朝也を見上げた。彼は寄りかかったまま、腕を組む。
「それがいい。ためらってる場合じゃなかった。和信、一緒に暮らそう?」
 朝也は冗談を言っているわけではなさそうだ。真剣な面持ちで、和信を見つめ、そっと両肩へ手を置く。
「そ、そんな、だって、どうせ、アメリカ、行くだろ、意味ない」
 半年だけの同棲は、和信にとって苦痛でしかない。しかも、相手は朝也だ。先ほどは好きだと言ってくれたが、それが友愛の好きだという意味だと分かっていた。
「いい。俺、母さんのとこに行けるし、岸本さんにも相談できるし、もう敬也とは会わないから、そんな心配いらない」
 朝也が少し体を傾けた。
「そういう意味で言ってるんじゃない。負い目に感じてるなら、それは俺のほう。何もできなかったあの時とは違う。俺、今度はちゃんと救える、と思う……」
 その言葉に和信は朝也を見つめた。視界がにじんでいく。彼はそれを肯定と取ったのかもしれない。だが、和信が泣いた理由は他にあった。
「和信」
 名前を呼ばれても、素直に喜べない。朝也は昔、救えなかった敬也の恋人と自分を重ねている。母親の声で、「わのぶ君」と聞こえた。自分は誰かの代わりだ。どこにいても、誰の隣にいても変わらない。和信は「かずのぶ」になることができない。自分の存在が求められるのは、暴力と性欲のはけ口としてだと気づき、和信は暗い笑みを浮かべた。
「俺、酒も煙草もスロットもやめない。今は無職だから、すぐに家賃とか払えない。それでもいい?」
 どうせ朝也の自己満足のためだと思った。半年間、それに付き合うだけだ。和信の言葉に彼は頷いた。
 母親の暮らすマンション前まで送ってもらった和信は、朝也の靴を履いており、引きずるようにして玄関扉の前まで来た。その時にはもう、送ってくれた朝也の姿はなく、インターホンを押すと、いつもと同じくらいの待ち時間で扉が開く。
 部屋を探しておく、と朝也は言っていた。たった半年の暮らしだが、息子のために彼の両親は保証人になるだろう。自分と一緒に暮らすと知ったら、と半ば自虐的なことを考えた。
「わのぶ君」
 冷たい母親の声がする。彼女とは同じくらいの背丈のため、視線をうまくそらせない。染め過ぎて痛んだ髪を耳のうしろへかけた後、彼女は和信の足元を確認した。
「ふーん、あんた、朝から男のとこに行ってたんだ? 慰めてもらったの?」
 伸びてきた白い手が、股間へ触れた。和信は反射的にうしろへのけぞり、そのまま倒れる。
「何、ビビってんのよ? 男に触られるのはよくて、女はダメってこと?」
 気持ち悪い、と続いた言葉を聞いた瞬間、和信は手で口元を押さえた。肺から呼吸を止められるような息苦しさを感じた。母親が一度、キッチンのほうへ入っていく。
「はい」
 差し出されたのはプリンとスプーンだった。プリンのふたの上にはメモがある。和信はプリンのふたと母親の顔を交互に見た。
「食べれば?」
 和信はふたを開けて、甘いプリンを一口食べた。メモにはホテルの名前と時間、そして、相手の名前が書いてある。
「昨日と同じ要領だから。迎えにいかないけど、ちゃんとお金もらってね」
 頷く以外になく、頷くと、母親は奥へと消えた。リビングと廊下をつなぐ扉が閉まる。プリンを食べた後、朝也の靴を履いたまま、和信は仰向けに寝転んだ。借りていたジャケットを脱がず、前を手で閉じる。温かいのに、体はずっと震えていた。

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