ふくいんのあしおと33 | ナノ





ふくいんのあしおと33

 岸本は少し外出するらしく、戻ったら一緒に帰ろうと言われた。和信が頷くのを確認してから、彼は扉を閉める。
「岸本さんと暮らしてるのか?」
 朝也の問いかけに和信は頷く。
「部屋の一室を借りてるだけだけど……彼の同居人もいる」
 言いわけのようにつけ加えたことに気づいて、和信は戸惑った。黒い瞳がこちらを見ている。落ち着かない気分で視線をそらし、母親の言葉を思い出した。
 誘惑した。色目を使っていた。
 心が緩みそうになるのを制した。自分にその気がなくても、相手を誘っていると言われたら、やはり自分が悪い。
「……兄貴のとこは出るよな?」
「一回、ちゃんと話してみないと」
 朝也は立ち上がると、大きな深呼吸をする。
「じゃあ、俺も同席する。会う前に絶対、連絡して」
 頷くと、朝也は満足そうな表情を浮かべて、扉へ向かって歩き出す。一度だけ振り返って、何か言いたそうに口を開き、そして、また背を向けた。
「連絡する」
 その背中に言うと、朝也が振り返って笑みを見せてくれた。何となく、前進している気持ちになり、和信はまず仕事を探そうと思った。いつまでも岸本のところにいるわけにもいかない。敬也と暮らした部屋に置いてきてしまったノート型パソコンを取りにいかなければならない。
 和信はポケットに入れていた携帯電話を開く。添付されていた写真はすべて消去していた。会うのは怖い。だが、会わなければ、先には進めない。メールを打って送信した。今夜には敬也から返事があるだろう。

 オフィスでは会わないと言う敬也に、和信は部屋まで行くと言った。岸本にその話をすると、不機嫌な雰囲気になったが、すぐについて行くと言われた。それを断り、朝也に同席してもらう話をした。敬也にとっては家族のほうがいいのではないかと考えたからだ。
 だが、岸本は異なる意味で受け取ったらしく、朝也に来てもらうと言った後、「あー、なるほどね」と腕と足を組んで大きく頷いた。何か勘違いをしているようだと思い、説明しようとすると、「俺は無粋な真似はしないって。いや、いいと思う。弟、まだ二十二のくせに、WG社の編集に携わるんだろ? 将来有望株だよな?」と同居人へも同意を求めていた。
 岸本の同居人も同意していたが、和信はあまり雑誌に詳しいわけではなく、WG社のことを知らなかった。あいまいに頷いていると、絶対に知っているはずだとインターネットサイトを見せられる。そのサイトを見て、和信はようやく、すごいことなのだと理解した。本屋で雑誌を見かけるだけではなく、専門のテレビ番組も持っている大きな会社だ。
 モニターには色鮮やかで荘厳な自然の風景や歴史的な建造物の写真がゆっくりと映し出される。朝也のことを尊敬すると同時に、世界有数の企業に就職する弟に対して、敬也がどんな気持ちでいるのか考えると、胸が苦しくなった。

 約束の夜、駅で朝也と待ち合わせしていたが、彼はなかなか来なかった。十分も過ぎる頃、敬也から着信があり、駅にいると告げると迎えにいくと言われた。すぐに切れてしまったため、断ることもできず、和信は改札口を出たところへ戻る。また携帯電話が鳴った。朝也からだった。
「あ、和信? ごめん、電車が遅れてるんだ」
「そっか……遅いから迎えにくるって言われた」
「え、絶対、待ってて。俺、あ、次の電車、すぐ来るから。そうだ、どっか喫茶店とかに入って」
「うん」
 駅前にはファーストフード店や喫茶店が並んでいる。和信はすぐ隣にあった喫茶店へ入った。喫茶店の名前を告げて、電話を切る。喫煙席へ案内してもらい、和信は気持ちを落ち着かせるため、煙草を一本吸い始めた。

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