ふくいんのあしおと32 | ナノ





ふくいんのあしおと32

「前にも話したけど、兄貴は俺にコンプレックスを持ってる。別にそんなもん、感じる必要もないのにな。長男だから、親の期待が大きかった部分があって、色々と溜め込んでたと思うんだ」
 長テーブルの上に腕を置いた朝也は小さく息を吐く。
「八歳も離れてる弟に嫉妬する必要ないのに、兄貴は俺だけ愛されてるって勘違いしてるんだ。金をくれっていうのもそう。親はすぐ用意して渡した。兄貴は愛されてるって思っただろうけど、別に金のこと抜きにしても、父も母も大事に思ってる」
 敬也がちょうど自分とは逆のことをして親の愛情を確認したことに、和信は驚いた。そして、羨ましいと思った。和信はどんなに金を与えても、母親の愛情を感じたことはなかったからだ。
「俺の存在、兄貴を疲れさせてるって気づいて、高校出た後、バイトして、金貯めて、バックパックの旅に出た。帰らないつもりだったけど、色々あって、半年間だけ帰ってきた。俺が帰らなかったら、きっと兄貴は結婚するなんて言わなくて、おまえが傷つく必要、なかった。俺のせいだ」
 朝也の太い腕がゆっくりとこちらへ伸び、突っ立っていた和信の指先に触れた。彼はざんげするように和信の手を握り、謝罪の言葉を口にする。
 兄弟の仲であっても生じるかすかなずれのせいで、敬也も朝也もすれ違っている気がした。誰が悪いわけでもない。和信に兄弟はいないが、想像することはできる。
 どんなに努力しても立派な兄に追いつけない弟の気持ちも、自分の時には許されなかったことが許される弟を見る兄の気持ちも、朝也が語る以上に複雑で根の深いものだろう。
「……兄貴がゲイだって、俺は早くから知ってた」
 朝也が包帯の巻かれている和信の腕を見つめる。
「高校の時、兄貴の友達が部屋に遊びにきてた。その人、まだ九歳くらいの俺のこと弟みたいに可愛がってくれて……時々、見えたんだ……体にアザができてるの……」
 和信は続く言葉を予想して目を閉じる。朝也の涙声が響いた。
「兄貴、きっと、なおらない。俺……」
 涙をこらえる朝也は歳相応に見えた。朝也は敬也に弟として認めて欲しいのだろう。朝也は離れているほうがいいと判断するほど、彼の邪魔になっていると感じている。だが、本当は弟として甘えたり、頼ったりしたいと思っている。まるで母親の気を引きたい自分と同じだ。和信は握られていた手を握り返す。
「もうあの時みたいに子どもじゃないのに、俺、どうして、おまえを助けていいのか、分からない。兄貴には会わないで……」
 すがるように見上げられ、和信は頷きそうになる。だが、これは自分の問題であり、敬也と別れるにしても、一度は会わなければならない。
「朝也、ありがとう。別に君のせいじゃない。昔からそういうことがあったなら、いつか、何かのきっかけで、暴力を振るう衝動を抑えられなかったと思う。朝也は悪くない」
 迷った末、和信はそっと朝也の頭を抱えるように抱いた。五分程度、そのままの状態でいたが、ふと尋ねたかったことを思い出した。
「差し支えなければでいいけど、朝也は半年、こっちに戻って、それからまた旅に出るのか?」
 朝也は首を横に振る。
「ルアンパバーンで一週間だけ過ごした時に知り合ったアメリカ人から、仕事、紹介するからアメリカに来いって言われて。準備に戻ってきただけなんだ」
 そんなドラマみたいな話があるんだな、と思いながら、素直に感想を言う。
「じゃあ、ちゃんと定職に就くんだ?」
 仕事をなくしたばかりの和信には、羨ましい話だ。
「和信って、いいな」
 朝也は少し目を見開いてから、和信の言葉にそう返してきた。意味が分からず、彼を見下ろすと、彼は笑みを浮かべる。
「だって、たいてい、スゴイとか、英語話せんの? とかそういう反応なのにさ、気負わずに済む」
 ノックの音に思わず、まだ握っていた朝也の手を放す。岸本が顔だけのぞかせた。

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