ふくいんのあしおと30 | ナノ





ふくいんのあしおと30

 眠らないでおこうと決めていたのに、和信は眠っていた。起きた時、体には包帯が巻かれており、熱のせいで頭がぼんやりしたが、体の痛みが消えていた。部屋を出てリビングダイニングへ顔を出したが、誰もいない。
 キッチンテーブルにいくつかの新聞が並んでいて、その日付を見て驚いた。寝ている間に三日も経っている。他人の家をのぞき回る趣味はないものの、トイレを探すため、扉を開けた。用を済ませてから、喉の渇きをうるおそうと、部屋へ戻り財布を探す。
 玄関からホールへ出ると、男が二人、立っていた。こちらをじっと見て、「どうなさいましたか?」と聞かれる。和信は首を横に振る。男の一人が電話をかけ始め、しばらくすると、こちらへ歩いてきた。
「一弥さんです」
 岸本は和信が目覚めたことを喜び、体調に異変はないかと尋ねた。冷蔵庫にあるものは何でも食べていいと言われる。そして、リビングダイニングのガラステーブルにある薬を、忘れずに飲むようにと念を押された。
「必要なものがあれば、遠慮なくおっしゃってください」
 携帯電話を返す時に、男からそう言われてあいまいに頷く。和信は部屋へ戻り、冷蔵庫から飲み物を取り出した。一気に半分ほど飲み、L字型のカウチソファに寝転ぶ前に、冷蔵庫にあったプリンを頬張る。甘いカスタードの味に涙があふれた。
 ゼリーでもヨーグルトでもなく、プリンを無意識に選んだ自分を嘲笑う。幼い頃、風邪を引いた時だけ、母親はプリンを与えてくれた。スーパーで一番高いプリンだ。
 変わってしまったのは母親だけではなかった。彼女の連れてくる男に色目を使った自分も、ずいぶん変わった。だから、彼女の主張は当然だと思える。自分は悪い息子なのだと和信は痛感した。薬を飲んでから横になると、すぐに眠くなった。

 全治一ヶ月というのが医者の言葉だった。和信が眠っている間に診療を終え、手当てしてくれた医者は、岸本の同居人と同じく寡黙で、必要なこと以外は言わず、尋ねもしなかった。
 ちょうど五日分だけもらっていた薬が切れる頃にやって来て、包帯を巻き直してくれた。
「火傷の痕は残念ながら残るだろうな」
 岸本は同席していなかったが、医者はそう言っていた。その後、岸本はすぐに部屋へ入ってきて、赤茶色の丸みを帯びた容器を持ってくる。
「これ、薬じゃないけど、肌に残った痕を薄くしてくれるクリームなんだって。知り合いがドバイから取り寄せてるんだ。効きそうだろ?」
 容器のふたを開けて見せた岸本が笑う。クリームというより、オイルに見えた。
「ありがとうございます」
 和信は礼を言って受け取る。オイルは不思議な香りがした。夕飯を終えたばかりのため、岸本の同居人はリビングダイニングで寛いでいる。和信は二人の邪魔をしないでおこうと部屋にいるつもりだったが、岸本に呼ばれてリビングダイニングへ移動した。
「今日、和信に会いたいって男が二人、来た」
 カウチソファに座ると、岸本が話を始める。
「うちのオフィスまで来て、借金を払うからおまえを返せって言う男と、謝りたいからおまえに会わせて欲しいっていう男だ」
 岸本はそこでいったん口を結ぶと思い出したのか、笑い始めた。
「全然似てない兄弟だよな?」
 和信は岸本の瞳を見て、ケガのことを何も聞かない彼が、自分やその周囲の人間についてきちんと調べているのだと確信した。
「会う会わないはおまえが決めろ。これ、弟のほうの電話番号。ただし、どっちに会うにしても、オフィスでしか認めない」
 和信が頷くと、岸本は新しい書類をテーブルへ置いた。

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