ふくいんのあしおと26 | ナノ





ふくいんのあしおと26

「兄貴のこと好きなんだろう?」
 そう問われて、和信は小さく頷く。
「じゃ、何で今、出てくんだ? 兄貴が帰ってから、話し合えるのに」
 和信は朝也の言葉にくちびるを噛んで理由を考える。彼の指先が目尻の下へ伸びてきた。恐怖を感じて目を閉じた和信はそのまましゃがみ込む。彼はその反応に驚いていた。
「悪い。びっくりさせた?」
 手を差し伸べてくれるが、和信は自分で立ち上がった。
「俺、邪魔者だから、早く出てったほうがいいと思って」
「え、でも、どこ行くんだよ? 同居してるんだろ?」
 朝也の疑問はもっともだ。和信は玄関で靴を履いた。
「母さんのとこか、友達のとこ」
「ふーん……あ、そうだ」
 朝也からすれば何気なく腕をつかんだだけだろう。だが、和信はあまりの痛みに悲鳴を上げた。驚きを通り越して、彼はあやしむように和信を見た。
「え、俺、そんな強く握ってないよな?」
「青アザ……この前、ぶつけた青アザがあるところ、つかんだから」
 納得していないような表情だが、和信は外へ出た。早くここから出ないといけない。敬也が帰宅するまで、まだ時間は十分ある。だが、母親へ金を持っていく約束をしている。あまりにも遅いとまた怒られるかもしれない。母親のことを嫌っているのだと言われるかもしれない。
「和信!」
 合鍵を渡されて困惑している朝也が、エレベーターへ乗り込もうとする和信を止めた。
「困る。俺が追い出すみたいだ。兄貴に何て言えばいい?」
 律儀に鍵をかけた朝也は一緒にエレベーターへ乗り込んでくる。彼の視線が上下に動いた。彼は気づいている。和信はそう感じて、言葉を出さず、エレベーターから出た後、すぐに外へ歩いた。冷たい雨が降っている。
「和信、待ってくれ」
 追いかけてきた朝也も同じように雨に濡れ始める。
「ちょっと、待って。ちょっとだけ、確認させてくれ」
 雨に濡れた和信の髪はくせが強くなり、うねっていた。そのうねった髪へ触れようと、朝也が手を伸ばす。和信の瞳に恐怖が浮かんだ。開いたくちびるから嗚咽が漏れる。小さく、「ごめん」と言った。朝也の瞳が強い色に変化した。彼の手が和信の手首をつかむ。震える指先を見た後、彼はコートの袖口を引いた。手首に残る拘束の痕や前腕の赤黒いアザが雨に打たれる。
「あ、あの、これは」
 朝也の瞳から逃れて、和信は雨が跳ね返る水溜まりを見た。敬也がしたと言えるわけがない。彼はとても真面目で、会社でも頼りにされていて、両親から期待されて育っている。酒も煙草もしない。いつも優しくて、掃除や洗濯だけではなく、夕飯の用意もしてくれる。和信は冷蔵庫に並んでいたゼリーを思い出した。自分のために買ってくれていた。
 朝也の、「両親も誇りに思っている」という言葉が耳に響く。敬也が気づいていないだけで、彼だってちゃんと愛されている。自分のことで、彼が人生を狂わせる必要はない。自分だけが悪者になればいい。
「借金を返すために、体、売ってるんだ。敬也は優しいから、俺を救おうとしてくれてる。俺が悪い……」
 和信は母親のマンションへ向かって歩いた。歩きながら泣いた。敬也が自分のことをどう話していたのか知って、深い悲しみに沈んだ。私物でふくらんだ鞄が重い。和信は雨に打たれながら、ひたすら歩いた。

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